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訳) 要するに、相当数の韓国人資本家たちが関与する中で、日帝の下、刮目するほどの資本主義的経済成長があったのだという客観的事実だ。 (チョンサンイン ソウル大学教授 ・ 写真)
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頭が悪いとウソをすぐ信じる。バカの一つ覚えとはよく言ったもんだ。信じ込むともう理屈が通用しない。論理が同じところを回ってますます頑迷固陋な狂信になる。狂信になるとどうなるか。タイトルどおり、しきりと絶叫する。
だが日本はまだ今のところ人種差別主義者は一部だ。ところが韓国では日本人差別主義者は90%だ。
日本もWWⅡ開戦前はそれほど反米意識が高かったわけではない。バカがウソに踊って一億総阿波踊り状態になり酩酊し真珠湾に突っ込んだ。鬼畜米英は瞬く間に常識となる。
韓国で親日的な発言をするということは必ず身の危険を伴う。ソウル大のチョンサンインは勇気のある人だ。あたりまえに読んでほしい。過去を美化する一部日本のバカには利用してほしくない資料だ。
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韓国は日帝時期に近代資本主義を最も先進的な形態で発展させた。 植民地初期に日帝は近代的官僚国家を構築して制度的基盤を用意したし、土地調査事業の実施を通じて近代的所有関係を確立した。 土地調査事業を契機にして“従来朝鮮社会を支配した前近代的受取関係(取引形態)の代わりに資本主義の論理が新しい受取関係として出現した”と見ることができて、これは土地調査事業が資本主義発展に寄与したことを意味することだ。 また、教育制度や財政・金融制もおよび交通・通信施設と同様に各種社会間接資本も積極的に育成された。
近代的制度の整備が一段落された以後からは資本主義が本格的に発展し始めた。 経済は1930年を前後した恐慌期を除いては1911年から1938年まで年平均3.7%の成長を見せた。 これは非常に長期持続的な経済成長だった。 また、1918年から1944年まで進行された産業構造の変化を見れば、農産額の場合、80%から43%に下落したが工産額の場合には18%から41%に成長した。 国内総生産にあって鉱工業の比重は1911年の4.5%から1938年の18.7%に増加したし、工場数においては同じ期間の間に110個から6,590個に増えた。 また、工場労働者の数字は1931年から1943年間86,000人余りから36万人余りに増加したし、全体労働者数字は1943年まで175万人余りに増えた。 これで1940年代初に至ると植民地朝鮮の経済発展は先進帝国主義諸国が近代経済成長に進入した水準に到達することができた。
植民地時代の経済成長の動力は日本からの資本流入および日本との輸出入だった。 したがって工業化の典型的なパターンは日本人資本と韓国人労働力の結合だった。 しかし朝鮮人工場数を見れば1918年には965個であったが1939年まで4,185個に増加したことに反して、日本人工場数は同じ期間の間929個から2,768個に増えただけだ。 韓国人資本家の大部分が比較的大きい規模の日本人・朝鮮人合作会社に投資・参加していた。 重要な点は相当数韓国人資本家が参加した中で日帝下で注目するほどの資本主義的経済成長があったという客観的事実だ。
原文:韓国の植民地近代化 (訳 からけん)
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このような状態が続く中で人々が親日にならぬはずはない。戦前の朝鮮人はすべて親日だった。朝鮮は唯々諾々と日本製の近代というものを総督府を通じて受け入れた。モノよりも制度のMade in Japanが肝要なことなのだ。韓国の今日あるのは韓国人の勤勉さにあるのではない。つまり勤勉と豊かさに相関はない。自分の家庭に置き換えて考えるべきだ。誰が今日のようなシステムを残したかを見るべきだ。
韓国は崩壊しない。それは韓国がMade in Japanであるからだ。
ポイントは、日本が半島に発展の「仕掛け」ともいうべき資本主義的生産様式の確立をしたことにある。
今京都大学にいる小倉紀蔵など日本の低能が戦後ソウル大学に留学した。その低能ぶりとは対照的にソウル大学には韓国の頭脳が集まった。その頭脳は勇気がある。夜道で襲撃されても親日派を助ける者はいない。しかし彼らはアカデミズムの最高に位置する者としての矜持がある。日本のナマクラ学者に欠ける点だ。