先日天神を歩いていた。年に一度程度しか街には出ないので誰も僕を呼び止めたりしない。しかも年を取ると元の顔が分からなくなるから、だれも気付かない。さみしく且つさわやかである。
まれに、裏切り者や卑怯者が平然とした顔で声をかけることがある。僕は三越の前であってもたたきまわす。先制攻撃にしか勝ち目はないから。
これを学んだのは韓国である。よく韓国かぶれの低能が、「韓国人は言葉で争うがあまり手を出さない」とかいう。バカ。手も口も出す。そして手も口も限度がない。
たたかれないで韓国人とけんかができると主張する方、どうぞ一度おやりください。泣くから。
水分はなかったのに
あと少しで飲める 梅サワー
言葉での言い争いはそれなりに日本より激しく、かつ論理的である。ままごとな自分たちだけに通用する理屈で「竹島かえせー」といってみろ。頭が悪いから視点が変わると論理構成ができないか反論に遅れて負ける。
その点議論とは殴り合いと同じだ。つよい所を攻めたらそれを議論というが弱いところを攻めるとそれをケンカという。それだけの違いだ。
韓国。TVドラマはアホが見るからストーリーを単純にしてあるし語彙が多くない。だが映画は違う。まともなのを見るたびほんとうに恥ずかしくなる。(韓国映画、ストーリーに凝りすぎだが、きわどい言葉もいいかえないのでリアリティーがある 年寄りが黙ってみるので良い)
一方、日本ではバカが大勢して見に行くようにマスコミやらで誘導した映画であり、汚いポップコーンの匂いで窒息しそうになる。
シンガポール会談は必ずある。Headがその後また会うかどうかはわからないが、下級職の折衝は継続する。1回で終わる終わらないは問題ではない。交換文書は1メートルになる。ヤルタ会談は、その後の事務処理が30回続いた。チャーチルもルーズベルトもスターリンもその後会うことはなかったがでも問題のポイントではない。
ポイントは何か。利害の対立がない以上、決裂は互いに損だと分かっている。アメリアが武力攻撃に踏み切って…と戦争好きが面白がるが、平壌を浪江村にして何の利益があるか。
北が暴発して・・・というバカも同様なのに頭が悪いから違う話をしていると思いわめいて恥をさらす。一流の帝王学はそんな甘いものではない。
アメリカが虎視淡々とねらい北が鶴首吉報を待つのは北の労働力の活用でありこれ以外にない。日本は最後の市場獲得に遅れた。
原則を忘れてはいかん。北のミサイルを止めたのはアメリカの核兵器かあるいは話し合いか。
哀れにも拉致被害者家族会は安倍についた。これで100%被害者の帰還はなくなった。いつまでも圧力としか言えない国にだれが返すものか。横田さんを泣かせたのは金正日だが、そのあと泣かせたのは、狡猾有能な外務省とバカな安倍だ。今、北に圧力を、と叫んで世紀の会談をぶち壊そうとするのは、世界中で安倍だけである。
ピントが甘いですね 反省します