か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

遠い 遠い 冬のソナタ

2016年06月23日 | 韓国

外国映画であれ韓国映画であれ、

映画の原題を日本語にしたとき、あまりにもバカな訳がつくことがある。一方で、さすが専門職だと思うすばらしく適切な訳がついていることがある。

「007は二度死ぬ」(原題  I can live twice)。映画はともかく邦題のつけ方は秀逸だ。文化の違い言語構造の違いにより直訳的に訳せない場合がある。

ところがほとんどの洋画の邦題は、漢字が読めないバカでもわかるよう短く、内容と関係ないただのひらがなの、どうでもいい日本語を置き換えただけの、その日本文化すら破壊するどんな低能でも読める気違いの氾濫のためのママゴトだ。

今日のポイントに戻る。果たして韓国映画はどうか。似ているから訳しやすいとはならない。低能は恥さらしにも、韓国が嫌いだとなんでも、バカで、幼稚で、ずるくて、お粗末なのが韓国だとする。

大体そのとおりだ。全部ではない。ソウル大学は東大以上の学力だ。マヌケ顔の背中に隠されているナイフを見落とすと致命的な怪我をする。

映画のTitleについては、日本人のバカさ加減にあわせてミーハー映画は日本をなめている、ことだけにして、詳しくはまたの機会にする。

 

Winter Sonataは英題として無理があり、タイトルから内容が浮かばない。直訳すると、冬の恋歌となる。ま、これでいい。いろいろキザなことせずに原題が一番良い。

僕はテハンノという最高の繁華街からカンナムに引っ越した。どちらも映画人が多くカフェではよくあって話をした。

ある監督が言った言葉に、韓国映画は70年代以上にに苦難の時期を迎えるということばがあった。

対北協力という名目で体制批判を行うと投獄拷問を受けたが、今後は資本がスポンサーとして内容に介入しシナリオをゆがめる力を持つだろうといった。

そして現にそうなった。テレビは「人生画報」、「1945ソウル」のような大作は消え好いた惚れたの恋愛劇を安っぽいセットで延延演じている。

日本で流行るのはおおぜいのバカが見るだけで実に内容が無い。何の教養も歴史認識も必要ない。韓国でバカにされきったドラマが日本では人気なのが情けない。

 

 その苦境からいち早く脱出したのは映画である。独立した資金で自由に作る。

「僕らの青春白書」「カンナムブルース」

 


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