か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する   11

2014年09月20日 | 韓国

 

併合前の現状 凄まじいインフレを起こした葉銭(ヨプチョン、朝鮮に流通した貨幣)の山

 

 

僕はシナジン、チョンの悪口や、低脳ぶりや、失敗や、お粗末粗相の類を書いて、自分のコンプレックスをしばし忘れようとか、他人の低脳を喜び自分を見失うまねはしない。

さらに僕は、任意に思いつきで気に入らない人のブログや画像を消す行為を理性ある人間の行為とは思わない。120年前の人物やグラフ、表は歴史資料であり人類が共有するものだ。聖徳太子の顔に肖像権があるか。奈良の大仏はブログにアップできないか。

よく分からないなら一生懸命勉強しろ。なあ、みんカラ。

本論
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中国、西太后(せいたいごう)は、自分の庭園、頤和園(いわえん、290ヘクタール)を改修した。その費用の捻出には国家予算を流用した。日本との戦費捻出に官僚たちが苦心していたにもかかわらず、気まぐれに庭の改修を決めた。

わが日本にとってはありがたい人だ。おかげで日本は戦争に勝った。

それは有り余る国家資産のある国だから出来ることであり、東方の半島がそれを真似ると国家自体が滅びることとなる。王朝が政争と麻薬漬けに明け暮れる頃、優れた官僚は暗殺されパージされた。

世の中でもっとも悲惨なことは、バカが多いことではなく、バカが権力を握ることだ。昇進したバカを見ると僕はいつもそうだと思ってきた。

以下、「帝国のたそがれ。1ドルを交換するのに葉銭(ヨプチョン、朝鮮に流通した貨幣)がひとかかえになる。」から一部引用。必ず次の年代を頭において読んでほしい。

1894 日清戦争 / 1904 日露戦争 / 1910   日韓併合

(引用開始)
日露戦争を取材しに来ていたColler's(コリアス)の特派員、ロバート=ドンが凄まじい葉銭の山を前に意気揚々とした表情で記念撮影に写っている。このお金は北に進撃する日本軍の取材をするためのドン記者の取材経費だった。ドンは韓国貨幣の価値がどの程度下落していたのか知らなかったのだ。

ソウルを発つ準備をしていた朝、日本人通訳クリタに150ドルを両替してくるように指示した。やっと夕方になって労務者たちに背負われた葉銭の山を見た。驚きのあまり、すっころぶところだった。

「韓国での両替」という題目の記事自体は、米価1セント(1ドルの1/100)である。(ところが)種類にもよるが葉銭15~30個に匹敵した。

普通1ドルを両替しようとすると葉銭が、力持ちの男が抱えていくほどであると説明している。(ここまでCollier's Weekly, 1904.6.4)

また、政府の無策により、(葉銭、ヨプチョンの)貨幣価値が低くなったどころかさらに下がりつつある。(韓国政府は)国の将来を考えず、このようなことがまかり通ると思っていた。(独立新聞、1899,2,3)

貨幣制度がでたらめであるために、韓国の貨幣は外国の貨幣の補助手段に転落した。

どんな国であれ上には政府があり下には百姓(ひゃくせい、庶民)がいる。両者間に財政(政策)はあるのであり、その財政は円滑にかつ、一貫した政策が採られるべきである。そうしてこそ物価も安定し、それのみならず政府と百姓の間の信頼関係が出来るというものである。であるのに自分の国の貨幣を使えなくし、他国から借用するとしたせいで今日この有様となった。

政府は自分の百姓をして隣国の貨幣を使うようにさせた。結果、このザマだ。(ここまで独立新聞、1899,9,22)

貨幣は国家の血脈であり人民の糧食であるのが、今日(1909年ごろ)の韓国では、もともと貨幣の制度が発達していなかったところに、十余年内に、金融機関がまったく外国人の手に移り葉銭、銀銭、銅銭、および外国貨幣等を、たとえば今年、同時に通用させたと思ったら、来年には禁止し・・・(大韓毎日新報、1909,4,7)

1905年7月5日から(朝鮮の)宅地部は貨幣の整理作業に着手した。1908年1月、宅地部布令によるとその年の12月末までに旧白銅貨の使用を禁じ、新貨幣の流通を進めた。しかし貨幣主権の喪失により財界は日本に従属し(日本の通貨を信用し)、鐘路商人たちの間には錢荒が生じた。(錢荒:貨幣価値が乱高下し多くのトラブルが発生する)店舗を閉めて逃げるもの、劇薬をあおり自殺するもの等がいた。

国家が財政運営に失敗し経済が破綻すると国民は塗炭の苦しみをなめるという教訓だ。(出所「帝国(大韓帝国)のたそがれに、われらは」)
               
               (からけん訳、カッコはからけんが付け足したものです。以上、引用終わり)

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この絶望的インフレを止めたのは誰だと思っているんだ。

留意すべきは、日清、日露戦争とは朝鮮を舞台に戦われた戦争であること。朝鮮政府はまったく政府の体をなしてなく、どの外国にすがるかをめぐり内戦状態にあった。

朝鮮王は、自国の貨幣価値をなくせば、外国人が価値のないもの(葉銭)と交換にわが国にものを売るのでわが国は儲かる、という奇説を信じたまま死んだ。まともな金融政策なんてありえない。

とにかく、自国の貨幣制度に対する知識も、やる気も、実力も、なかった。上記のことでバカでも分かることだが、国と国が主権を争い片方が敗北したなら侵略されるのが常識だった時代だ。隣の血走ったサルが頂かないはずない。

だがしかし、日本が朝鮮に行ったのは、半島に覇権を求めたのではない。未開の原野を開拓したに過ぎず、そこにいた野犬は多大なる恩恵をこうむった。

恩恵、すなはち近代化という恩恵だ。敵は半島の向こうに去り、半島は帝国の草刈場となった。

 

 

 

 

 

 


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