といっても対談したわけではなく、ただ彼がしゃべるのを聞いていただけだ。
まじめな人だ。どうでもいい人間が、よく姜尚中を批判する。韓国の手先だ、中共とグルになって日本を滅ぼし在日(韓国人)の天下にしようとしている。などと荒唐無稽な誇大妄想をさらす。
僕はバカには興味は無いので、かかわってこなかった。
すこしおつむが足りないと、学問について錯覚をする。学問は多数決や民主主義や人権とは無関係なのだ。
僕がいうのは、民主主義的に、(良い例が「くじ引き」)で人間が選抜されたら東大には今よりも多くのバカが集まる。そんな民主主義はあってはならないのだ。50年前の支那の文化大革命を繰り返すやつは今やいない。
彼の著作の揚げ足を取る能天気たちは、姜尚中のまじめさを嚙みしめるべきだ。
「悪」は、面白おかしくその場しのぎの生き方をして、日々酒を飲んで脳をアルコール漬けにする。僕はそういうのを能天気だと思ったが、ちがった。そいつらは自己の将来に盲目であるばかりでなく、誠実な生き方をする人を茶化し、無視し、疎ましいまなざしを向け、ときとして攻撃する。そんな積極的バカもいる。
姜尚中は言った。人間は不幸のタネの下にいる。だから、一瞬でも不幸を忘れることができたら幸せになった気がする。それはウソの世界であり覚悟のない生き方だといった。
ぞくぞくっとする低音の口調は女子大生の憧れだったらしい。
1年前、彼は悪について本を出して見せるといった。
会場には悪がたくさんいた。眠るもの。酔っ払って酒臭いもの。クボタの作業帽を取らないもの。すねまで泥をつけているもの。
少なくとも酒臭いのは出すように、座席番号を示してそこらの公務員にいうと、座席番号ではわかりませんといった。そこで一緒に行きましょうと僕は相手を押した。
酔っ払いの排除は、僕の仕事ではない。低級公務員の仕事だ。
給料もらっている奴が動こうとしないときに、僕はボランティアで荒尾文化会館を正常化しようとした。
構造的、また必然的に発生する「悪」達を相手に流れに棹差すたたかいになる。