周囲のサルより一回り大きいサルがいた。
人間どもはベンツと名づけた。若い頃から喧嘩っ早くて人にも飛びかかってくる。
だが、喧嘩の仲裁などには独特のタイミングを体得しており、ときに威圧し、ときになだめ、その場を平和に収める才覚を発揮した。
やがて彼は群れのボスになる。大分県高崎山。700頭のボスに。会ったことのある人も多いはずだ。餌場で悠然とえさを食む銀色の長い体毛を揺らす老猿を。
力ばかりでボスになれるのではない。女子供を大事にするか。他の群れとの揉め事には先頭を切るか。秩序を乱すものには適切な制裁を下すか。そして一番大事なことだが、イケメンであるか。
ベンツはそのすべてを満たしていた。ナンバー2のサルによって入念に毛づくろいされた毛は歩くたびに波打った。
リーダーはあらゆる面で構成員を凌駕していなければならない。
ところがこのベンツ、他の群れのいい娘を見つけるや、あっさりと700頭のボスという地位を投げ捨て彼女と同棲をはじめる。新しい群れで迫害に耐え底辺に甘んじた。しかし彼が頭角をあらわすのに時間はかからない。彼なしには喧嘩はできないのだ。
抜群の統率力。上のものを立てる秩序意識。(もと700頭のボスだったんだぞなんて過去の栄光をひけらかしたりしない) はるか年下のサルの毛づくろいもした。
臥薪嘗胆、20年。彼は再び隣の群れのボスになった。
ところが寄る年波には勝てず、彼はひっそりと姿を消す。人間で言えば100歳を超えていた。ところがしばらくしてひょっこり群れに戻ってきた。動物は自分が死ぬときはなるべくその姿を見せないようにする。
ベンツを再び見たときは、消えかかるろうそくが一瞬明るくなるようだった。最後は人間に助けられて群れに戻された。これは許せない。こんなざまで800頭の群れの統率は取れない。いつも毛づくろいしていたナンバー2のサルはベンツを追い出した。ナンバー2はすでにボスとしての地位を確固なものにしていた。
人間よ、このときのナンバー2の苦しさが分かるか。組織のためには自分が30,40歳の若造でも心を鬼にし100歳を襲撃すべきなのだ。そんなことは分かる。しかし、一ヶ月前まで毛づくろいをしてあげていた老猿を、噛み付きひっかき森へ放逐しなければならない。おそらくベンツは息絶える。
老ベンツを群れに戻したとき、彼の毛並みに輝きはなく目も悪くしていた。人間はなんて余計なことをしたんだ。
ベンツが戻ることは、もはやなかった。 2014年1月。
(画像はベンツではありません。)