か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

戦争は命とモノの膨大な浪費だ。当たり前だ。ひとことも文句を言うな。

2013年07月01日 | 東洋歴史

かろうじて日英同盟が機能していたころ、日本はたった4万トンの戦艦さえ作ることのできないまさに東洋の猿の国だった。ヴィッカース社はそんな哀れな日本に対して同情的で、造船指導、機密扱いの設計図などに便宜を図った。

そういう同情心はたいてい仇で返される。日本もあまり中韓に文句は言えまい。イギリスのコピーをして戦艦を造り、その戦艦でイギリスと戦ったのだから。

まさにそのすきまに「海軍の休日」はあった。からけん技術見習士官は佐世保に行き乗船実習を命じられた。兵は乗船すると地獄の苦しみが待っていたわけだが、戦時でもないし半舷上陸が許されている。佐世保の町は水兵さんであふれ色街はにぎわった。

ただ、兵は戦になれば自らが挽き肉準備要員だ。なのに、給与はおよそ10円。しかも今と違い「やった」ことのない奴ばかりだ。ショートタイム一回20円だから門前払いがオチだ。兵隊割引があったそうだが業者も少しはお国のためにという意識があったようだ。

バカを見るのはいつも貧乏人だ。からけん見習少尉が市電に乗ると、女学生たちはきゃあきゃあ言って騒いだ。兵ですら話す機会はほとんどない帝国海軍の少尉だ。僕の伯父である彼は挽き肉にもならず戦後長く生きた。

金剛に乗船するとき、兵の海軍式の敬礼が迎え、ラッパ手が歓迎し、万国信号旗が上がった。講堂に通されしばらく待つと、炊烹員がアイスクリームを配った。この時代、アイスクリームを食べたことのある子供はいない。兵たちはシャバでは食べたことのないものを将校に配っていたのだ。

そこで音楽を聴いた。軍楽隊とか無粋なものではなかったという伯父の言葉に僕は非常に驚いた。講演を聞き数人づつに分かれ艦内を見学したが、本格的クラッシックの音色の余韻が耳をとらえて離さない。

間もなく少尉に任官する人間だから乗組員は極めて丁重に扱ってくれた。管楽器は弦に勝たない。戦を忘れることのできた「海軍の休日」に出会った素敵な音色。兵たちのアマチュアバンドだがいい音は耳の中で繰り返される。

からけん見習士官はずっと疑問になっていたことがあるので尋ねた。

「これ程の広い空間と設備は戦闘時どうするのですか。」

案内は黙ってスィッチを押した。すると電動で講堂の壁面は開き対岸が見えた。実際は船足があるので取り舵を切って船を傾け全部捨てるそうだ。講堂のいすは担架に、講堂自体は救護所に。

きっと兵の一人や二人は滑り落ちるだろう。戦死だからグダグダ言ってはならぬ。

ピアノは悲鳴を上げてずり落ちただろう。落ちながらラムネ製造器は思った、なぜ僕は戦死するのか。アイスクリーム製造器は思った、こんなことなら佐世保の四ヶ町でアイスを作っていればよかった。

戦争は浪費だ。

Posted at 2013/06/22

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