六千万人が教科書で読んだ「ごんぎつね」。今論争が起きている。数点の論点があって整理が必要だ。
① 童話作家の新美南吉(にいみなんきち)の原作が雑誌「赤い鳥」に乗った。そこで「ごん」が死ぬ部分で一定の改竄を受ける。その他何ヵ所かの恣意的な改竄がある。
子供というのは低脳な教師が思うほど子供ではない。親が解けない問題をといているし、モンスターペアレントが恥をかくほどその学力は高いのだ。このモンスター、学校が進むに従って大人しくなる。自分の学力が付いていかないらしい。大学で授業に口出しをする親はいない。本当は負けずに勉強すべきなのだが。
鈴木三十が主催する「赤い鳥」に初出する「ごんぎつね」は無残な改竄を受ける。「ごん」は盗ったうなぎの頭をかみ砕く。という文章は「葉の上に乗せてあげました」とかわる。そんなら盗る筈ない。不自然な話の流れだ。撃たれた「ごん」に「兵十」は聞く。「ごん」、お前だったのか、いつも栗をくれたのは。という問いに対し、原作は「ごん」はぐったりなったままうれしくなりました。に対しかいざんした「赤い鳥」は、「ごん」はぐったりと目をつむったままうなづきました。
兵十は火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が銃口から細長く出ていました。これも書きかえられ、火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
あきらかに原作がいい。議論する余地はない。それでも議論になるのは頭が悪いからだ。
② 次はストーリー全体に対する小学生の感想。バカ教員はなぜ人の才能の芽を摘むつまらん指導をしたのか。概略のストーリー。
いたずら好きなきつねのごんは、ある日兵十が病気の母親のために用意したウナギをわざと逃がしてしまいます。ところが、その後母を失って落ち込む兵十を見てごんは反省、償いのために魚や栗を兵十の家に届けはじめます。しかし、そうとは知らない兵十はごんがまたいたずらをしにきたのだと勘違いし、ごんを火縄銃で撃ってしまう。そこではじめてごんが食べ物を運んでくれていたことに気付く。 ねとらぼ 2013,05,09
これに対し、「ごん」がかわいそうだとか「兵十」も一人ぼっちになってかわいそうとかいう感想は十分予想できる。これは遠足どうでしたか。と聞かれて条件反射に「楽しかった」と答える、洗脳された子ヒツジたちが持つ感想だ。こういう無知蒙昧の、数だけ多い兵隊予備軍たち、役立たずの自分の頭で考えない文科省お気に入りの完全無欠のバカたち。いい加減バカをやめろ。
久しぶり気に入った男(小4)を見た。素晴らしい。くされ教員どもの読解力をはるかにしのいでいる。
「こそこそした罪滅ぼしは自己満足でしかない。撃たれて当たり前。やったことの報いは受けるものだ。」
Posted at 2013/06/20