か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する   8

2013年11月14日 | 韓国

Pusan_beach

いきり立って19世紀の砲艦外交を再興しようとする右翼。バルカン砲が何門だ戦闘機はマッハ何だ。お粗末ちょんの軍隊は飛ばない戦闘機、がけを登られない戦車、事故を起こす陸軍。などとあげつらってシコシコやってるが、世界を見よ。戦闘で国境が決まったのは日清戦争当時すらない。それから何年たった。いま一発でも撃てば、日清のときの三国干渉どころではない。百国干渉が起きるぞ。ま、ブータンは味方してくれるかな。

今や国連総長も世界銀行総裁もそのチョンがやってる時代だ。妥協と主張を巧妙に繰り返しながら、時間をかけて自国の主張を少しでも通し、できないものは将来へつながるよう布石を打つ。先のことはだれにも分からない。不確定要素が多い。しかしパイプを通じていると事態は、思わぬ解決に結びつく場合がある。外交だ。精密で誠実な外交は必ず出口を見出す。コネと情実と買収に頼る途上国型外交は、破たんする。

こんな芥子粒みたいな島の取り合いを平和的に解決できないで、何の千島が戻ろうか、何の樺太南半部が戻ろうか。

日韓関係は、20年前とは逆に相当に悪化した。韓国は、国民と言う飼い犬に教育や世論操作を通じ、反日キャンペーンを行った。愛国心とか領土とか聞くと絶叫しだすのは、日韓共通した単純無能な手先たちだ。いずれもありがたい国家の手先。

これ以上こじらすと東アジアの最大のホットスポットになる。領土問題は痛み分けしか方法はない。外務省は多くの試案を持っている。彼らは戦になると無能だ。だが戦の前後は粉骨砕身努力する。彼らには愛国心はない。しかし、通すべき論理に対しては雄弁だ。そこらの低脳が1メートル先を見るとき彼らは500メートル先を俯瞰している。

漁業交渉において日本は、たった一本の線を引くのに、5本も6本もの試案を用意している。アホの「竹島ーぁ」という火病に似た絶叫よりも、的を射た官僚の一言が干天の慈雨となる。アホは邪魔しかしない。

韓国の外務官僚も、一人一人は日本に劣らず優秀だが、数がいかんせん、少ない。どの会議にも同じ奴が顔を出す。まるでの下手な芝居で一人何役もしているのを見るようだ。しかし、だからこそすごいということを理解すべきだ。日本にこんな芸当のできる人はいない。僕はたった数十個の単語の訳、文の関係性に正確さを求め苦労した。

因縁の入らない協定の文面を相互の担当で考えていると、人間として互いに優れたところを認め合う、一種の友情が芽生えるのを感じた。ぼくは、時間をかければ日韓の将来は明るいとみている。ヒステリー競争になったら、韓国の火病競争に勝つものはいない。秘密保護法の成立前に言っとくが、日本では韓国分析専門の役人は300人いる。頭に来たら負けだが冷静な思考をする限り、日本の論理にはナイフの刃さえ入る隙間がないほどだ。世界最高であると自負している。わざわざ下品にも武力行使をして強引な手段をとってはいけない。解決の道は山とある。

今から100年前、極東の小島(わが帝国)はロシアの接近に怯えていた。緩衝地帯を求める小日本は、半島によだれを垂らした。朝鮮は朝鮮で、病気と泥棒しかいない現状の打破ができるのは、事実上太陽の帝国以外にないと考える。大きなクマの前にウサギとネズミが手を組んだ。

ウサギが誠心誠意ネズミをいたわる姿が痛ましい。だが末端の国民は内鮮一体の意味を解することもなく、朝鮮人は唾棄すべき存在であり劣ってアホで汚くずるい、と考えそのバカを見て自分の貧困を慰めた。現在とどこが変わるか。

写真は釜山、松島。海水浴に興じる朝鮮人達。イギリスがインドに、インド人のために海水浴場を作ったか、動物園を、大学を病院を一つでもつくったか。低能左派、枠にはめるものの味方をやめろ。

たしかに、朝鮮人差別はあった。総督府ではどうしても日本人の意見が通るようになっていた。だが一方で、本当に極東に差別のない大東亜の樹立を夢見る人たちがいた。彼らが残した優れた建造物は、現代でも韓国の重要なインフラである。彼らは悪人か。

======(前回のつづき)

監獄(刑務所)行政に関する資料もまた興味深いのであるが旧韓国政府の監獄をこう評する。「旧韓国政府で監獄はほとんど東洋各国の監獄と同じであるとはとても言えないほど痛ましいものであった。衛生設備が足りなかったし、収監者に対する虐待は極めてひどいのは、いつものことであったし超満員の状態は信じられないレベルに達していた。」

一方、日帝(日本)治下になってからは、監獄状態について著者は「毎年監獄が増え、監獄内の生活条件が改善された結果、少なくとも大型化した監獄は他の国のそれに匹敵するほどになり、米国内の大部分の監獄よりもはるかに優れた状態だった。」

             メーギョンエコノミー 第1503号 1909,04,29

「私は日本の朝鮮統治がそんなに悪くなかったと思う。」 「私は極めて貧しい農村の子どもとして学校に通うしかなかったが、日本人が、義務教育を受けなかったら父母が罰せられる、と命令し学校へ通えるようになった。」

「そして、成績が良かったので日本人の先生が師範大学へ行けと勧めてくれたし、その後軍官学校を経て東京の陸軍士官学校の進学し首席で卒業できた。」

「日本の教育は極めて公平だったと思っている。」

            朴正煕大統領(現 パククネ大統領の父)

(からけん訳)「知ってはいけない日帝時代の真実」 つづく


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