日本が天保の改革などにより、幕府の威光に陰りが差してきたころ、欧州においてはナポレオンの連戦連勝の歯車が狂い始めていた。
日本では鼻がもげてしまい、一夜の過ちを悔いてもあまりあるスケベどもが人口の3割4割を占めていた。江戸は梅毒淋病その他疫病の巣であった。木やりの水はたやすく落下細菌を吸収し、井戸は細菌の培養器に等しかった。
西欧は、黒死病がはやるとみんなで病人を囲み祈った。感染は必然的に広まる。黒死病すなはちペストだ。怪しい女が魔女とされ、ときには男も魔女とされ野蛮な宗教裁判で黒死病の犯人にされた。
つまり日欧、おかれた状況に大差はなかった。死神はそこらじゅうにいたのだ。敵、味方の裏切り、疫病。
違ったのは、欧州の方が若干音楽に対する理解が、庶民レベルまで行き届いていたこと。昔のウィーンの城壁や街の細い路地は音響がいいので、そこでレベルの高いバイオリンを聞くことができた。わずかなことのようだが、普墺戦争の痛ましさに辛酸をなめた国民は心の潤いに飢えていた。
そんななか「楽友会館」はできた(Wiener Musikverein)。しばし人々は悩み多き日常を忘れた。また、忘れさせることができる力を持った音楽が、そこにはあった。
今や、床が木なので、歩くと音がして非常に気を使う。古い。狭くて音響はあまり良くない。ただ寒い季節なのでカネ持ちの防寒具は本物だ。だからそれなりのマイクを使う。日本では逆の意味でそれなりのマイクを使う。
150年。 僕のへぼバイオリンと同年だろう。下品な金ぴかや宗教臭い天井の絵、風呂屋の置物の様なレリーフ。たしかに日本人の感覚には合わない。
だが日本では、そのころの何かしら建築物らしきものは、今にほとんど残ってない。あ、神社の狛犬はいるけど。ホールは最初っからない。
音楽と言えば演歌しか浮かばない低級公務員の思い付きで箱モノが並ぶ国は、下品だ。ウイーンでは、千住 真理子レベルのバイオリニストがストリートで大道芸人として弾いている。そんな国には絶対にコンサートホールが必要だ。日本にはもったいない。道路工事の方がお似合いだ。景気回復にいいぞ。
日本の、とって付けたホールにオーケストラが来ると、なんとSが13000円だ。いかに根付いてないか分かる。楽友会館は4000円程度だ。
たとえばバイオリンの先生をするのは簡単だ。そんなもん僕でもできる。問題は、バイオリン自体で飯が食えるかということだ。日本では10人だ。
紅白バカ合戦は見てもNew Year Concertを見る人はいない。その素養の浅さは、そのまま政治的無能に結びついている。
新撰組が殺人許可証を持ち京都をうろついていたころ、ロンドンではネクタイをしてエスカレータに乗り地下鉄で通勤する労働者が、8時間労働をぼやいていたのだ。ウイーンのトラムはいまだに現役だ。上手にクルマと共存している。
一旦、砂漠のように過去にあったものを消し去らないと、次が始まらないと言う考えは、「造反有理」に通じる。つまり、バカ。
とにかく、今日は満足だ。楽団 Wiener Philharmoniker 指揮 Daniel Barenboim
(Eテレでまた再放送があります)