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特別支援学校の生徒の詩が文化祭で発表された。
わからないとき
わからないといはバスていのいろ
わからないとき
わからないときは きいろいバスていのいろ
ぼくのよくわからないときは きいろいバスていのいろ
ここでのバス停とは路線バスではなく送迎バスのバス停です
このての学校には褒めて褒めて褒め殺して自分の高い給料を確保しようとする、善人面した悪魔が巣くっている。良くもないのに褒め、面白くもないのに笑う。仮面をかぶった悪魔、「善魔」、教員。
この偽善のるつぼで一番素直なのは生徒たちだ。人手は余っている。だがそれを言うと誰かが転勤になり給料の低い職場へ行く。恨まれる。その転勤該当が、改善を言い出した自分になったら笑えない喜劇だ。すべて沈黙は金。
そこで忙しいふりをする。実際、無駄に忙しい。だが、そのぶりっ子仕事をなくし校内人事配置やカリキュラムを最適化すれば、一部へのしわ寄せはなくなる。だが、・・・
そのしわ寄せの極値が、やけになった人殺しとして表れている。人はいくら収入が多くとも、人の役に立ちたいという本質をなくした仕事をしていると精神は、跛行する。
生徒より先生に気違いが多い。
「善魔」(善人面した悪魔、先生)は必要以上の声の大きさで死んだ〇〇ちゃんを嘆く。
なにがあってもなにも変わらないように、生徒たちは日々を過ごす。保護者、とくに母親は自分を責める。こんな子に産んだのは私だ、と。「善魔」は、軽くそんなことはありませんと顔だけ同情して言う。父親はこんな面倒からはとっくの昔に逃げ、若いピチピチとつるむ。
障害児の生徒には、状況が分かろうものか。生徒は、「わからないとき」と題して詩を書いていた。すべてがわからないのだ。
なぜここにいるか、なぜお父さんはいなくなったか、なぜお母さんは時々隠れて泣くか、なぜお迎えのバスは遅れたか、なぜ食う暇も与えず楽しいね楽しいねと横から口出しするか、帰りのバスから降りた後で見える先生の顔が死人のように冷たいのか。…
すべての彼の疑問は同じ大きさの不安であり、波のように絶えることなく次々と彼を襲う。
長い間、じっとバス停を見ていたのだ。よくわからなくなって。
少なくとも、善魔たちの言う楽しい世界は幻だと知りつつ。