(ディエンビエンフーにある戦勝記念碑)
2013年10月4日、ベトナム政府広報は、ボーグエンザップが同日にハノイ市内の108軍病院で死去したと発表した(満102歳没)。ベトナム人民軍関係者の強い後押しもあり、通常は国家主席、首相、国会議長、そしてベトナム共産党書記長のみが対象となる国葬が営まれることとなった。現地時間10月11日12:00から13日12:00にかけて、行われた国葬には、ベトナム政府首脳から一般市民まで幅広い弔問客が多く訪れた。遺体は、故郷であるクアンビン省に埋葬された。 by Wiki
========================================================
身内、親せきのいない兵を集めよ。将校はいかん。その兵を各小隊に配置せよ。
敵との距離が接近してくるとその兵は、爆弾を背負い敵のトーチカ(防御陣地)に入り口から入って自爆した。この当時は、どんな精密爆弾も入口を見分けることはできない。
命じたのはボーグエンザップ将軍だ。戦略と戦術と戦闘を指揮した。日本の指揮官とは違い先頭に立った。その戦闘により隻眼になり腕も悪くした。赤いナポレオンと言われるが、本当にナポレオンの戦法を研究した。それどころかアレクサンダーの戦いからベルダン攻防戦まで体を壊すほど研究した。決して共産党が強制したのではない。バカに強制しても時間の無駄だ。
少し頭が悪いと古くなった武器を軽蔑し、そこから学ぼうとしない。なあそこらの右翼、防衛大学に行って世界史の授業を受けてみろ。ファランクスや重装歩兵の考え方はいささかも古くなってない。
ディエンビエンフーの戦いにおいて、彼がとった多くの戦法のうち上記の「衛生兵を撃つ」ことと「自爆を命じた」ことについて少しだけ書く。
ジュネーブ条約には違反だ。しかし米国とは決定的に異なる点がある。アメリカは南ベトナムに世界最高の猛毒ダイオキシンをまいた。数百年にわたり奇形児を生まなければならなくなったベトナムの母親の気持ちを考えろ。無害というアホがいるが、お前こそダイオキシンを食ったのか。ご飯にかけろ。
アメリカは第二次世界大戦で使われた爆弾の量の十倍の爆弾を北ベトナムに落とし毎年900人の子供を殺した。共産主義者なら子供でも殺していいわけか。
それでもアメリカは帰る場所がある。本国だ。ベトナムはアメリカにやられたら帰る場所がない。アカ(共産主義者の蔑称)が攻めて来るので防いでやってるのか。大きなお世話だ。しかも、アカが勝利した今はアメリカとベトナムは友好的である。
人殺しを殺すのは権利である。それならより効率的に殺さねば負けて殺されるだけだ。衛生兵には死んでもらおう。
アメリカの北ベトナム爆撃によって多くの戦争孤児が生じた。この孤児たちはもはや命も惜しくないほどアメリカを憎んでいる。まさに苦渋の決断だった。この孤児こそ国が救うべき子供たちではないか。それを人間爆弾にするなんて。彼は小日本帝国の軍隊に学んだ。
ボーグエンザップ将軍は、自分の信念が揺らげば国が滅ぶことを自覚している。断腸の思いで子供たちを突進させた。
ただし、小日本と違うことがある。小日本は仕方なく、成り行きで、ルーズベルトの陰謀で、と言い訳がましく理由を並べあてもなく開戦した。
ボーグエンザップ将軍は科学的な計算によって論理的に勝利を導きだしていた。だから、ディエンビエンフーの戦いはケサンなど各地の戦いに続いた。
「ベトナム人は決して誰の奴隷にもならない 自由に勝る素晴らしいものは無い」