か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

議論は同じレベルのもの同士でしか成立しない。

2014年02月14日 | 日常

こう考えるとバカを相手にカッカ来て、自分がバカを相手にバカになってしまいそうな、危うい自分に気がついた。低レベルは相手にしてはいけない。バカは常に伝染力がある。

僕は最初みんなは冷たいと思った。さんざんイイネや絶賛のコメントを送りながら、主水さんが消されると、あたかもその人がいなかったかのように、平然と自分のブログに熱中し続ける。いまだに、何事もなかったようにふるまう人はいやだ。

IDを変えて復活できるのですよ、とか親切に教える人もいる。誰が復活の話をしているか。不当に消されたのがおかしいと言っている。

今からする話は、実に面白くないし、詳しく言えば反論もあろう。だが覚えた知識は忘れる。理解した知識は忘れない。この意味で原理原則からきちんとした理解が必要なのだ。細かいことは忘れた方がよい。本質を見失う。エピソードや例外にあふれたブログは面白そうでもあとに残らない。まるでブスが乳を出したエロ本のようだ。汚いことはやめよう。みんカラ編集部だけでたくさんだ。

「モノはだれのモノか。」この社会では必ず誰かのモノだ。仮に所有者のいないものがあったとしても、最初に所有を宣言した人のモノになる(無私物先占)。根拠は所有権だ。財産権といっていい。ところがこの財産権は二つに分かれる。物権と債権。今回は物権はちょっと置く。なぜなら物権の内容は民法で決まっているから。

で、話はあいまいな債権だ。肖像権とか著作権というと、あたかも抵当権(物権)のように思う人がいる。マチガイ。それらは債権。たしかに、資本主義社会の高度化に伴い肖像権は物権化しなければならない、という議論もある。僕もそう思うが、ここでは論点ではない。

Mが砂場を造った。だれでも遊んでいいよということだったのでKは遊び始めた。すると、Aの絵が落ちている。MはまえもってAの絵は使用禁止だと言っていた。なのにKはAの絵を使って遊ぶ。

Aの絵には所有権があるのでAはKにたいし、差し止め請求、返還請求、現状回復請求、損害賠償請求ができる。Aは、砂場の所有者のMに対しても善良なる管理者の注意義務を怠ったことによる様々な責めを請求できる。

それはなぜか。所有権という物権の中心をなす最重要な権利をめぐる争いだからだ。

ところが肖像権であった場合。たとえばブロマイド。僕Kと原作者Aとの間の問題である。まさにそこが債権なのだ。違うというなら日本でサイトを開くな。つまり、砂場の所有者つまりみんカラMは当事者能力がないのである。僕と著作権者、肖像権者間の問題であり、その当の肖像権者が許諾した以上、みんカラは物権が係争事項にない以上口をはさむことはできない。






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