か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

朝日に救いがあるなら

2017年06月23日 | 和歌

 

賢くて意図をもって読者を誘導しようと謀る朝日の伝統は、いまだ代わるところはない。これは低能新聞にはできないことで、騒げそうな話題を騒いで読者を増やそうとするサンケイ新聞は、文化欄にまで品位がない。

百人斬り競争は、日中戦争のさなか、二人の日本人将校がちゃんころの首切り競争をしたというものだ。この中の一人、向井少尉は新聞記事に自分の写真が出ると、恥ずかしかった、と言った。

現実にはできもしない創作架空の記事を書いておきながらいまだ朝日は謝っていない。二人の将校は、戦時中は英雄となり戦後は処刑された。

このような世論が書いてほしい記事を創作する天才が朝日新聞である。対馬イタイイタイ病、サンゴ棄損事件、教科書検定問題、吉田虚偽証言の正当化、取材記事の恣意的な削除追加ねつ造。長くなるので一つ一つは機会があるときに。

 

僕は朝日にあこがれていた。それは入社試験のレベルが高かったからである。日本のどの試験よりレベルが高く、東大からも不真面目な奴はどんどん落ちた。

およそ僕が届きもしない優秀な人たちの集まりだ。簡単に批判する人がいるがおまいらほど馬鹿じゃないぞ、朝日は。評論の水準の高さと読後の清涼感を示せる新聞は朝日を置いてない。

今は相当バカでも合格・入社できる。自業自得だ。でたらめな経営をすれば読者及び入社希望は離れる。僕が言いたいのはここからだ。

 

それでもなお朝日の読者でいるのはなぜだろう。うちは戦前から朝日の読者だったので散々誤報虚報ねつ造に毒されてきただろう。

 

それでもなお、と固執するのは、文化欄があるからだ。世界一の読者数を誇りつつ小学生の読書感想文程度の評論でいい気になっている新聞は、その読者数ゆえむしろかわいそうだ。バカをより大勢に撒いている。節を含まない文章がはたして日本語の日本語たる表現をなしえているのか。なあネトウヨ。日本語は日本文化の神髄だ。村上春樹みたいな文章が並んでいたら日本語の冒涜だろ。

 

 

読解力に期待して、朝日歌壇より。ほかの新聞も全部読んでいるが臭くてキーボードが腐る歌ばかりだ。

 

歯ブラシが洗面台のポケットに収まりきれぬ時代があった。     小島敦

結婚したときは歯ブラシは原則2本だ。子どもに乳歯が生えてくると小さい歯ブラシを買う。弟ができ4本、5本と増えていく。増えるときには何ともないが、やがて子供も所帯を持ちおいていった歯ブラシはいつか捨てる。・・・そしていつかまた最初の2本に帰る。1本になるかもしれない。

洗面台を掃除するときなどふとした時、ああここまで歯ブラシがあったのに、と思うと当たり前ではあるがやっぱりさみしい。みんなこれを繰り返していると分かっている。だが確実にさみしいのだ。

作者がじっと洗面台を見つめている姿が目に浮かぶ。

 

今度は皮肉が効いた一首。作者の皮肉はいつも強烈だ。

過ちは繰り返します反省も平気です日本人です        馬目弘平

 

 

 

 


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