ソメイヨシノがどれぐらい咲いているだろうかと思い、今日、長居植物園を訪ねました。
その結果は明日、報告するとして、園内を散策中に
スモモが咲いているのに気付きましたので今日はこれをUPします。
ところで余談ですが、「スモモ」をネットで検索すると、
判で押したように「日本書紀や古事記、万葉集に登場する」ということが書かれています。
この出所はどこなのか。万葉集はともかくも、
「日本書紀」好きの筆者としては、日本書紀のどこに登場するのか気になって仕方ありません。
そこで、現代語訳の「日本書紀」を引っ張り出し、「推古朝時代に伝わった」をキーワードに、
593年の推古天皇即位から調べてみました。
結果は、意外に素っ気なく書かれているだけでした。
先ず、「推古24年春一月に桃・李の実がなった。」、
そしてその10年後の「推古34年春一月、桃や李の花が咲いた。」と、たったこれだけです。
しかし、よく考えると、わざわざ何故、日本書紀の編纂者はスモモの花が咲いたことを
取り上げたのか、不思議です。
そこで、これは慣用語のように使用されているのではと考え、
推古天皇在位中の期間で1月から3月までのことが記載されている段を全て見直してみました。
やはり「・・・が咲いた」など季節の花をわざわざ取り上げているのは、
この二項目だけで慣用語として書かれたようではないようです。
日本書紀は歴史書として編纂されたものです。
意味も無くこうしたことを記載することは先ずありません。何らかの理由があったはずです。
例えば、よく言われるような「推古天皇の時、日本に伝来した」というのも、これに該当します。
珍しい木々が大陸からもたらされ、それを誰かが朝廷に献上した。
その献上された木がこの正月に咲いた。そこでわざわざこれを吉兆という意味も込めて記載された。
こう類推した結果、「推古天皇の時、日本に伝来した」となったのかも知れません。
果たしてそれだけなのでしょうか。そういうことであれば、何故二度も書かれたのかという疑問が残ります。
どうも、これ以外に何か別の理由があったような気がしてなりません。
こういうどうでも良いことにこだわって読むのも、日本書紀という書物の持つ独特の面白さです。
何せ1300年以上前に編纂された書物です。謎だらけです。
そこに素人が好きなことを類推して楽しむことができる余地があります。
今後、引き続き調べてみようと思っています。
END