「有楽椿(ウラクツバキ)」が満開でした!
有楽椿の由来は、織田信長の実弟・織田有楽斎長益が、茶花として愛でたことにあり、
安土桃山から江戸時代にかけて、茶人に愛用されたそうです
織田有楽斎長益は、大辞泉には「利休高弟七人の一人。有楽流の祖とされる。」とありました
一方で有楽斎は、本能寺の変の直後は秀吉と対立するも、秀吉の時代に入ると和解、しかし関ヶ原の戦いでは徳川方として働き、
その後の大坂冬の陣では、姪でもある淀君と秀頼を守護する大坂方の中心武将の一人として奮闘、
しかし、そのわずか一年後の夏の陣では大坂城から離脱して、京都に隠棲し、以降は趣味人として生きました
明日をも知れぬ時代に、唯々、己の生き残りにために過酷な選択を迫られたこの時代の武将達ですが、
織田有楽斎長益にとっては、織田信長の実弟であるということが、より複雑に、より難しくしたようです
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しかし、
そんな、己の名に隠された事情など知ったことか!
と、
「有楽椿」は、美しい花弁を薄紅色に染めながら、凜として咲いていました!
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長居植物園ツバキ園にて
(N24-70)