太宰府政庁跡は、日本の古代史に興味をもたれている方なら一度は訪れてみたいところの一つではないでしょうか。
私もその一人で、太宰府、防人、観世音寺、玄、大伴旅人、山上憶良などの文字を歴史書で見る度に行ってみたいと思っておりました。
しかし、持ち前の出不精と、せっかく行くのならじっくりと遺跡や遺構を巡りたいという贅沢な思いが強く、なかなか行くことができませんでした。
ところがこの3月中旬、突然思い立って行ってきました。私は事前に緻密な旅の計画を立てることが大の苦手です。
行くときはだいたいこのパターンで、旅から帰ってからしまった、あそこも行っておけばよかった、
もう少し足を伸ばせばここにも行けたのに、等々後悔の山を築くのです。
今回も太宰府から帰ってから、もう3ケ月も経つというのに、未だに後悔と反省の日々を送っております。
太宰府政庁南大門跡
実際に、この南大門跡に立ち広大な遺構を見渡したとき、何とも表現のしようのない複雑な感情が私を包み込みました。
大阪から丸一日車を飛ばしやって来たはずです。それが車を降り、
政庁跡に立った途端に古都奈良に一瞬にして逆戻りした気持ちになったのです。
おや!ここは奈良の藤原京跡か、いや明日香村の川原寺跡か、いや平城京跡か、どれとも違う、
しかしどれとも実に空気感が一致しているのです。
この理由は太宰府も藤原京も平城京も風水思想に基づいて造営地が選ばれ建設された都城であるためだとよく言われます。
しかし、「同じ風水思想に基づいて・・・」という説明では、
この時に体感した不思議で複雑なモノは何だったのか整理しきれないものでした。
あれから三ヶ月経ちましたが、未整理のまま、脳内に沈殿しています。
実はこのことが気になって、太宰府政庁跡に立ったときに、
ふっと瞬間、脳裏をかすめた奈良県明日香村の川原寺跡に行き、
しばらく周囲を見やりながら立ってみました。
やはり、太宰府政庁南大門跡で感じた記憶が鮮明に蘇るのを感じました。
時を超えた何かがこの両者にはあるのでしょうか。
太宰府政庁正殿跡
ここに正殿がありました。奥に見える山は四王寺山です。
この頂上には太宰府の防衛施設の一つで、古代朝鮮式山城・大野城が築かれていました。
今もその遺構が残されています。
太宰府政庁復元模型
この遺跡を発掘調査の結果、判明した当時の太宰府政庁を復元した模型が、太宰府展示館に置かれていました。
行き当たりばったりの旅でしたが、今回は先程書きましたような貴重な体験をすることができました。
是非もう一度、訪ねてみたい太宰府です。
END