宮本輝さん著の「三十光年の星たち」の下巻が読み終わった。
物語は、ひとりの名もない、頼りない、たいした学歴もない青年が、
三十年後をめざして、手探りでもがきながら、
懸命に自分の人生を作り始めるというもの(あとがきから引用)。
もっと続けてほしいという、終わり方であったが、
一生懸命に生きねばと思う、素晴らしい作品であった。
仁志が秘伝のパスタソースの作り方を習う際、
「ああでもない、こうでもないと自分で考えなあきません。
自分で考えて、ああ、そうかと思い至ったことしか、
現場では役に立ちませんねん。」といわれるシーンがある。
本当にそうだと思う。
マニュアルがない、教えてくれないという人が多いが、
そんなふうに覚えても身に付けたうちに入らないと思う。
また、トラちゃんが陶磁器店に弟子入りを懇願した際、
「三十年間、ひたすらこの師匠に仕えることができるか。」と言われ、
「なぜ三十年なのか」と聞くシーンがある。
その際、師匠がいう言葉は。
「これから先、三十年のあいだ、そのつどそのつど、悩んだり、
苦しんだり、師匠を疑って反発したり、ときには恨んだりもするだろう。
そして、そのつど、なぜだろうと考えつづけるだろう。
そうやって考えつづけて、あるときふっと、ああそうなのかと
自分で気づいたこと以外は何の役にもたたないのだ。」
わかるといことはこういうことなのだろう。
三十年、一つのこととはなかなかいかないが、
仕事も勉強も自分で”分からない“と、
本当の意味で身に付けたことにはならないのだと思う。
ところで、本作品のなかに京丹後市久美浜町の森の話がある。
これは、料亭「高台寺 和久傳」の創業者が作った、
「和久傳の森」がモデルで、
また、「染司 おかよし」という植物染めの染屋がでくるが、
これは「染司 よしおか」がモデルらしい。
宮本さんの作品は小説としても面白いのだが、
無知無学な自分に新しいことを教えてくれる貴重な参考書でもある。
物語は、ひとりの名もない、頼りない、たいした学歴もない青年が、
三十年後をめざして、手探りでもがきながら、
懸命に自分の人生を作り始めるというもの(あとがきから引用)。
もっと続けてほしいという、終わり方であったが、
一生懸命に生きねばと思う、素晴らしい作品であった。
仁志が秘伝のパスタソースの作り方を習う際、
「ああでもない、こうでもないと自分で考えなあきません。
自分で考えて、ああ、そうかと思い至ったことしか、
現場では役に立ちませんねん。」といわれるシーンがある。
本当にそうだと思う。
マニュアルがない、教えてくれないという人が多いが、
そんなふうに覚えても身に付けたうちに入らないと思う。
また、トラちゃんが陶磁器店に弟子入りを懇願した際、
「三十年間、ひたすらこの師匠に仕えることができるか。」と言われ、
「なぜ三十年なのか」と聞くシーンがある。
その際、師匠がいう言葉は。
「これから先、三十年のあいだ、そのつどそのつど、悩んだり、
苦しんだり、師匠を疑って反発したり、ときには恨んだりもするだろう。
そして、そのつど、なぜだろうと考えつづけるだろう。
そうやって考えつづけて、あるときふっと、ああそうなのかと
自分で気づいたこと以外は何の役にもたたないのだ。」
わかるといことはこういうことなのだろう。
三十年、一つのこととはなかなかいかないが、
仕事も勉強も自分で”分からない“と、
本当の意味で身に付けたことにはならないのだと思う。
ところで、本作品のなかに京丹後市久美浜町の森の話がある。
これは、料亭「高台寺 和久傳」の創業者が作った、
「和久傳の森」がモデルで、
また、「染司 おかよし」という植物染めの染屋がでくるが、
これは「染司 よしおか」がモデルらしい。
宮本さんの作品は小説としても面白いのだが、
無知無学な自分に新しいことを教えてくれる貴重な参考書でもある。