このどうでもいいブログも、先日最初から見てみてみると割と私の生活の記録にはなっているのだと思う。
全く書きたくない時もあるし、やたらグダグダ自分の事を綴りたい時もある。
初めてブログなるものを書いたのは、長く勤めていた仕事をやめて、毎日が日曜日になった時
4年半前の事
ここは2年と4カ月
折角なので、前の分(もう自分でも見る事ができない)を
旅の記録とか区切りなのでちょっとupしとこうかなと思う
ほとんど旅と食べた物の記録
前もそんな事を思った事がある。
たまに旅、たまにランチな生活なので、大した事はないけど
2012年から
2012年9月
私の故郷 九州への旅
福岡と故郷に帰った友人のいる熊本へ4泊5日の旅
久しぶりにこの時の写真を探して見たら、
アイホンの中の写真 少なくなっていないだろうか?
九州での写真がかなり減ってる気がする。柴犬のアiiビー沢山私は写真を撮ったのに
半分以上 無くなっている。
自動的に消えてしまった。
あるいは私の操作ミス?
2012年
現在 噴火している阿蘇山のニュースを聞いて思い出したのもある。
熊本の彼女の家に行った2日目
彼女の息子さん2人はギターとのミュージシャンになって現在活躍中
たまにだけど彼らのliveにおじゃましている。
こんなに天気がいいのに、この日は残念ながら規制がかかって阿蘇山に入る事は出来なかった。
こんなに素晴らしい天気なのに
といっても、天気は関係ない。
外国の方達も沢山みえたし、残念だった。
随分昔の事 43年前に私は夫と2人で阿蘇山の火口まで行った事がある。
その頃は現在みたいに警報や規制が緩い時代
火口に向かって2人で歩いていた時
突如霧が瞬く間に襲ってきて、辺り一面真っ白になってしまった。夫と少し距離があったので、全くの一人ぼっち
物凄く怖かった。
堪えようもない長い時間に感じたけれど、徐々に霧が晴れてきて助かった。
そんな事はもう無いのだろう
こんなに規制が厳しいから
今回の阿蘇山
写真が無くなっているので記憶も定かではないけど
ハムソーセージ製造直営店のレストランで昼ごはんを食べた。
何かとても面白い事があって、後でも2人爆笑していたのだけど、それが何であったか覚えていないという。
食べた物はハムとソーセージの盛り合わせだったと思うけど
2日目は熊本城へ
おもてなし武将隊のステージを見て
一緒に記念撮影ができた。
昼ごはんを食べた所は写真が消えててないので
宮本武蔵が五輪書を執筆した事で有名な
霊巌洞
と彼女が熊本を車で案内してくれました。
私の日課は
彼女の家の柴犬アビを散歩させる事
走るのが大好きな犬で
可愛かったし、楽しかった。
4日目は私の故郷へ
唯一の親友宅へ
飯塚は私が通った高校がある場所
2人が住んでいた場所はそこから離れている。現在は線路が撤去されて道路になっている。
いわゆる炭鉱の町だった。
住宅地として残ってはいるけど、全くその当時の面影はなくなっている。
私の家の片側は崖になってて線路だった。線路が私にとって思い出なんだなと思う。
あの崖を降りて中学校へ行ったなあ。30分かけて歩いて
あの崖をおりて線路の上を歩いて駅まで行った事のある高校時代
ある日、列車に轢かれた人を見てしまった事
偶然むしろが上げられて、マネキンみたいだった。
今回も彼女は車で案内してくれて、後はのんびりと過ごした。
まだお母さんの介護をされていて、大変な時だったので
1泊して帰ってきた。
そんな彼女も、ご主人の親そして自分の親を介護してお見送りをして
今年になって私のline そしてFacebookに友達申請がきて自分のやりたい事を実現しはじめたのだなあと思う
また一緒に旅ができたらいいねって思う。
全く書きたくない時もあるし、やたらグダグダ自分の事を綴りたい時もある。
初めてブログなるものを書いたのは、長く勤めていた仕事をやめて、毎日が日曜日になった時
4年半前の事
ここは2年と4カ月
折角なので、前の分(もう自分でも見る事ができない)を
旅の記録とか区切りなのでちょっとupしとこうかなと思う
ほとんど旅と食べた物の記録
前もそんな事を思った事がある。
たまに旅、たまにランチな生活なので、大した事はないけど
2012年から
2012年9月
私の故郷 九州への旅
福岡と故郷に帰った友人のいる熊本へ4泊5日の旅
久しぶりにこの時の写真を探して見たら、
アイホンの中の写真 少なくなっていないだろうか?
九州での写真がかなり減ってる気がする。柴犬のアiiビー沢山私は写真を撮ったのに
半分以上 無くなっている。
自動的に消えてしまった。
あるいは私の操作ミス?
2012年
現在 噴火している阿蘇山のニュースを聞いて思い出したのもある。
熊本の彼女の家に行った2日目
彼女の息子さん2人はギターとのミュージシャンになって現在活躍中
たまにだけど彼らのliveにおじゃましている。
こんなに天気がいいのに、この日は残念ながら規制がかかって阿蘇山に入る事は出来なかった。
こんなに素晴らしい天気なのに
といっても、天気は関係ない。
外国の方達も沢山みえたし、残念だった。
随分昔の事 43年前に私は夫と2人で阿蘇山の火口まで行った事がある。
その頃は現在みたいに警報や規制が緩い時代
火口に向かって2人で歩いていた時
突如霧が瞬く間に襲ってきて、辺り一面真っ白になってしまった。夫と少し距離があったので、全くの一人ぼっち
物凄く怖かった。
堪えようもない長い時間に感じたけれど、徐々に霧が晴れてきて助かった。
そんな事はもう無いのだろう
こんなに規制が厳しいから
今回の阿蘇山
写真が無くなっているので記憶も定かではないけど
ハムソーセージ製造直営店のレストランで昼ごはんを食べた。
何かとても面白い事があって、後でも2人爆笑していたのだけど、それが何であったか覚えていないという。
食べた物はハムとソーセージの盛り合わせだったと思うけど
2日目は熊本城へ
おもてなし武将隊のステージを見て
一緒に記念撮影ができた。
昼ごはんを食べた所は写真が消えててないので
宮本武蔵が五輪書を執筆した事で有名な
霊巌洞
と彼女が熊本を車で案内してくれました。
私の日課は
彼女の家の柴犬アビを散歩させる事
走るのが大好きな犬で
可愛かったし、楽しかった。
4日目は私の故郷へ
唯一の親友宅へ
飯塚は私が通った高校がある場所
2人が住んでいた場所はそこから離れている。現在は線路が撤去されて道路になっている。
いわゆる炭鉱の町だった。
住宅地として残ってはいるけど、全くその当時の面影はなくなっている。
私の家の片側は崖になってて線路だった。線路が私にとって思い出なんだなと思う。
あの崖を降りて中学校へ行ったなあ。30分かけて歩いて
あの崖をおりて線路の上を歩いて駅まで行った事のある高校時代
ある日、列車に轢かれた人を見てしまった事
偶然むしろが上げられて、マネキンみたいだった。
今回も彼女は車で案内してくれて、後はのんびりと過ごした。
まだお母さんの介護をされていて、大変な時だったので
1泊して帰ってきた。
そんな彼女も、ご主人の親そして自分の親を介護してお見送りをして
今年になって私のline そしてFacebookに友達申請がきて自分のやりたい事を実現しはじめたのだなあと思う
また一緒に旅ができたらいいねって思う。