帝国ホテルと言えば、旧帝国ホテル。もしも、今、日比谷公園の前に残っていたら、間違
いなく、「世界遺産」。こんなものを壊すなんて、R事件のOさんじゃなても、「蛮行」そ
のもの、、、。もしも残っていたら、日本国は、国と学会と建設業界の総力をもってして
(学会って建築学会ね、一応、、)その地下免震耐震改修工事を行っていたでしょう、、。
(あー、もったいない、、。東京という街の「心の珠玉(たま)」が、失くなってしまって
いるままなのです、、、。)
ご当地、函館市は、各界に様々な人材を輩出しておりますが、早稲田大学名誉教授、明石
信道さんも、そのお一人。その大著『旧帝国ホテルの実証的研究』は、建築本なのに、本
の中で散歩が出来ると言う、稀な書。(小説なら、いざ知らず、、、。)ある時、例の
ごとく歩いておりましたら、「はっ!」と気が付いてしまいました。このホテル、玄関か
ら入って、今は明治村に残っている入り口ホールの、さらに奥に行くと(明治村は残念な
がら、そこで行き止まり、、、)、長大なバンケットホール?があり、その両側には列柱が
並ぶコリドー?(つまり廊下)があるのですが、そこをさらに奥まで進むと、脇に、目立た
ない、人が行き違うのが大変なくらいの、狭い階段があるのです。この階段を上がると、
それまでの進行方向(東西)とは直交する方向(南北)で、この建物の巾いっぱい長さの、
2階のプロムナード(談話室というか、さらにその奥の孔雀の間の待機スペースとでも言
いますか、、、)に、いきなり出ます。(ここの天井は圧巻で、この建物の肝でしょうか?)
さらに、そこから上を見上げると、不思議な半球状の飾りのある3階の(確か、この3階
に上がる、途中踊り場で直角に折れる、やはり狭い階段も、ちらっと見えたような、、)
、巨大な踊り場といいますか、明り取りもかねたようなフロアーがあるのです。(ここか
ら孔雀の間が見下ろせた?、プロムナードは、もちろん見下ろせます、、。)
何に気が付いたかと言うと「この空間構成は吉村先生の軽井沢の山荘と、同じじゃないか!」
と思ってしまったのです、、、。片方は当時の巨大ホテル、吉村先生の山荘は、ご存知の
通り、7m20cm正方形の小さな木造の建物です。でも、同じなんです、、、。吉村先生の
山荘は、1階のRC部分の階段から、
2階に上がって振り返ると、急に視界がひらけます。
(ここに、子供のような喜びがあります、、、。)そして、さらに、梯子のような急角度の
さらに狭い階段を上ると、(またしても振り返ります。)
3階の小屋裏部屋から、4m80cm×4m80cmの居間が見下ろせるようになっているのです。
(ここにも、子供のような喜びがあります、、、。)
吉村先生は7m20cm×7m20cmの中で、それを無理なく自然に実現してしまっているのです、、、。
囲碁で言えば、手筋、形とも良く、大局観に優れ、その読みは深くて、人間的にもバランスが良く、
いつの間にか半目勝ちをしてしまう名人、とでも言いましょうか、、、。
私が「終生、尊敬申し上げる」って意味、少しはお判り頂けるでしょうか、、、?
この項、実は手元にホテルの平面図もなにもなくて書いております、、、。勘違い等あり
ましたら、訂正するかも知れません。
いなく、「世界遺産」。こんなものを壊すなんて、R事件のOさんじゃなても、「蛮行」そ
のもの、、、。もしも残っていたら、日本国は、国と学会と建設業界の総力をもってして
(学会って建築学会ね、一応、、)その地下免震耐震改修工事を行っていたでしょう、、。
(あー、もったいない、、。東京という街の「心の珠玉(たま)」が、失くなってしまって
いるままなのです、、、。)
ご当地、函館市は、各界に様々な人材を輩出しておりますが、早稲田大学名誉教授、明石
信道さんも、そのお一人。その大著『旧帝国ホテルの実証的研究』は、建築本なのに、本
の中で散歩が出来ると言う、稀な書。(小説なら、いざ知らず、、、。)ある時、例の
ごとく歩いておりましたら、「はっ!」と気が付いてしまいました。このホテル、玄関か
ら入って、今は明治村に残っている入り口ホールの、さらに奥に行くと(明治村は残念な
がら、そこで行き止まり、、、)、長大なバンケットホール?があり、その両側には列柱が
並ぶコリドー?(つまり廊下)があるのですが、そこをさらに奥まで進むと、脇に、目立た
ない、人が行き違うのが大変なくらいの、狭い階段があるのです。この階段を上がると、
それまでの進行方向(東西)とは直交する方向(南北)で、この建物の巾いっぱい長さの、
2階のプロムナード(談話室というか、さらにその奥の孔雀の間の待機スペースとでも言
いますか、、、)に、いきなり出ます。(ここの天井は圧巻で、この建物の肝でしょうか?)
さらに、そこから上を見上げると、不思議な半球状の飾りのある3階の(確か、この3階
に上がる、途中踊り場で直角に折れる、やはり狭い階段も、ちらっと見えたような、、)
、巨大な踊り場といいますか、明り取りもかねたようなフロアーがあるのです。(ここか
ら孔雀の間が見下ろせた?、プロムナードは、もちろん見下ろせます、、。)
何に気が付いたかと言うと「この空間構成は吉村先生の軽井沢の山荘と、同じじゃないか!」
と思ってしまったのです、、、。片方は当時の巨大ホテル、吉村先生の山荘は、ご存知の
通り、7m20cm正方形の小さな木造の建物です。でも、同じなんです、、、。吉村先生の
山荘は、1階のRC部分の階段から、
2階に上がって振り返ると、急に視界がひらけます。
(ここに、子供のような喜びがあります、、、。)そして、さらに、梯子のような急角度の
さらに狭い階段を上ると、(またしても振り返ります。)
3階の小屋裏部屋から、4m80cm×4m80cmの居間が見下ろせるようになっているのです。
(ここにも、子供のような喜びがあります、、、。)
吉村先生は7m20cm×7m20cmの中で、それを無理なく自然に実現してしまっているのです、、、。
囲碁で言えば、手筋、形とも良く、大局観に優れ、その読みは深くて、人間的にもバランスが良く、
いつの間にか半目勝ちをしてしまう名人、とでも言いましょうか、、、。
私が「終生、尊敬申し上げる」って意味、少しはお判り頂けるでしょうか、、、?
この項、実は手元にホテルの平面図もなにもなくて書いております、、、。勘違い等あり
ましたら、訂正するかも知れません。