北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

フィリップス館

2014-10-11 20:13:46 | 日記
そのトロネの修道院を、自分のところの修道院を設計する前に、見てきてねと、修道院長

になる人からと言われたのが、ル・コルビジェ。で、出来た修道院が、ラ・トゥーレット

の修道院。コルビジェ事務所の担当者がヤニス・クセナキスと言うルーマニア生まれの、

ギリシャ人の人。この人、数学者で音楽家で建築家と言う人。東欧、恐るべし、、、影を

売るのが商売になる土地柄だ、、、。(ちなみに初代トヨタ・ヴィッツのデザイナーも、

今ではクラッシック・ミニと呼ばれるようになった車のミニの設計をしたイシゴニス卿も

ギリシャ人。)


ヤニス・クセナキスによるラ・トゥーレットの修道院の開口部・窓の割付け。











1958年のブリュッセル万博で、コルビジェ事務所のフィリップス館も担当する。







その時の、図面(のようなもの、、、)








その時の、音楽と映像です。

http://vimeo.com/21697156

ガラスの「キーッ」と言う音などに弱い人は気を付けてください。(私は大丈夫でした。)


(建築教育関係者の皆さんへ。学生さんが、この分野に迷い込むと、なかなか抜け出せな

くなる恐れが多分にあります。卒制の時になっても、不思議な楽譜のような図面を書いて

しまうのです。先生方も、対応にお困りになるでしょうから、皆さん気をつけましょう。

でも、素晴らしい学生さんには、現れて欲しい、、。才能の無い学生さんは、くれぐれ

も、クセナキスさんの真似はしないように、、、。クセナキスさんは、最後は自分の体が

自分自身を痛めつけてしまうほど、才能があったのです、、、。普通の人は、そんな才

能はありません、、、。)


で、ご本人の、ヤニス・クセナキスさん。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建築家は、

2014-10-11 17:31:02 | 日記
頑固そうで偏屈な顔をした人がよろしい。これは僕の経験則。


南米ウルグアイの建築家、エラディオ・ディエステ、、、






設計した教会 (首都モンテビデオから50kmくらい東の、アトランティダと言う街のトラム?の

停留所?の前に建っている。実は、会社を作って施工もしちゃってる、誰も施工出来ない?)











床も壁も天井も全部レンガ、、、。(排煙計算なんて関係ないみたいだ。どうせ燃えるも

のなんて、ありゃしない。)









Cristo Obrero Parish という名前になっています。









南仏トロネの修道院












やっぱり、床も天井も壁も、全部、石、石、石。


中世の修道士と同じくらい、頑固、、、。


「アルメニア建築」も、床、壁、天井、全部、石、石、石。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また、いつかどこかで

2014-10-11 15:47:24 | 日記
って、書きましたけど、もう、我慢できない!紹介しちゃいます。

神谷武夫さんと言う方の「神谷武夫とインドの建築」。


http://www.kamit.jp/index.htm#kami


を、コピーして、貼り付けて、クリック!!

特に、その中のリンクの アルメニアの建築 は圧巻!!

(一番、下の方です。)

この方の写真は、絶対に無断では転載出来ません。全部、ご自身で現地に行って、撮られ

たものだからです。(他所の本からコピーしたものではありません。皆さん、是非、直接

ご覧になってください。そして、多くの方に紹介してあげて下さい。)

写真も、非常に上手です。


載せる写真がないので、アルメニア人ですけど、オーストラリア在住のボクサー、

ビック・ダルチニアン(Vic Darchinyan)選手を紹介します。日本の山中慎介選手

とも死闘を演じ、ノニト・ドネア(Nonito Donaire)選手との試合は近年の名勝負。










いやー、凄い試合でしたねぇー。

(赤のトランクスが、ノニト・ドネア選手、黒のトランクスが、ビック・ダルチニアン選

手です。ノニト・ドネア選手は、フィリピン出身の方。アメリカ西海岸在住。)


追記

ところが最近、この二人が二人とも、ジャマイカのニコラス・ウォータースと言う選手に

立て続けにKO負けしてしまいました。ドネアでさえ「支払いを始めて」しまったのです。

上には上がいるものです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小冊子

2014-10-11 14:32:18 | 日記
私の手元に、ある小冊子がある。天野太郎の建築展 -あるべきようは- 。その中の、ある

方から寄せていただいた文章を読んで驚いた。その文章、、、


一方、レーモンドはチェコの改革派のユダヤ教徒の家に生まれ育ち、土浦に宗教性は薄か

った。なお、チェコで近年行われたレーモンド展の副題は「あるユダヤ人一家の生涯」で

あった。     (注 「土浦」とあるのは、土浦亀城さん。ライトの弟子、建築家。)


びっくりした、、、。三沢浩さん訳の「アントニー・レーモンド自伝」にも、こんなこと

書かれていなかった。(本人の書いた自伝だからか、、、)

アントニー・レーモンドは旧帝国ホテル建設の時、フランク・ロイド・ライトと一緒に

日本に来た人。吉村先生のお師匠さん。でも、奥さんのノエミさんはフランス人で、もち

ろんカトリックだろうから、レーモンドがユダヤ人? そんな事って、あるの、、、、?

でも、考えてみたら、ここでは名前は書かないが(違っていたら失礼だし、、、)ライトの

弟子で、後年、世に名前の残った人にユダヤ系の人は、もの凄く多い、、、はず。

その人達はいかにも頑固そうな風貌の人達で、「炉辺談話」だか「炉辺講話」だかで、

週末、ライトの話を聞きに集まっていた普通のアメリカのアングロサクソンだかヤンキー

だかの青年達とは、ずいぶん違う感じ、、、、。(レーモンドの顔も頑固そう、、、。)

ライト自身にも、僕は、少数民族のケルト人の「ケルト文化」を感じてしまう、、、。

コルビジェの生まれたラ・ショー・ド・フォンも、確かストラスブールの近くか何かで、

フランスでも少数派の文化・宗教の地域のはず、、、。コルビジェの描く不思議な「牛

の絵」も、その少数派の宗教と関係がある、とどこかで読んだ記憶があるような、、、。

なにを言いたいかと言うと、建築の設計の才能って、もしかしたら、少数派の民族の、

「異端」「異教」の人たちの方があるんではないのか知らん?と言う事。(じゃ、日本人は

どうなんでしょうかね、、、、? 「アルメニア建築」については、また、いつかどこか

で、、、。凄いですよー、、、。)

ライト自身は、自分の弟子達のことを、どう考えて、思っていたんでしょうかね?もちろ

ん、「来るものは拒まず」だったんでしょうけど、、、。




写真は、アントニー・レーモンド、、、(なんて呼んだらいいんだろう、、、。)






レーモンドの描いた旧帝国ホテルの鳥瞰パースと、永橋爲成さんの描いた、吉村先生の

皇居新宮殿の鳥瞰パースは、鳥瞰パースの双璧。






訂正  ラ・ショー・ド・フォンは、スイスのレマン湖畔のローザンヌの街の、

    北100kmくらいの国境の街で、フランス語圏ですがスイスの都市でした。

ですから、コルビジェはスイス人ということになると思います、、、。










    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧帝国ホテルのエスカレーターの謎

2014-10-11 12:13:46 | 日記
旧帝国ホテルの項の部屋名をチェックしていて、「大食堂」を「孔雀の間」に書き換える

のに、プロムナードの写真を見ていたら、チラッと見えるエスカレーターの上がりきった

辺りの、例のゴムの手摺り(何て名前なのか知らん?)を発見!「あれっ?」ライトの帝国

ホテルにエスカレーターなんて、あったっけ? それも、こんな、ど真ん中に、、、、?

もしかしたら、ホテル側が、「今の時代に、これじゃ不便だ。」って言うんで、ゼネコン

と相談して、例の「狭い階段」のところに無理くり付けちゃったのかな? (つけたとした

ら、1960年代の始めくらい?)でも、その「チラッと見える」ゴムの手摺りは一台分だけ。

(だって狭いんだから、一台しか付けられないはず、、。)普通エスカレーターは「上り」

と「下り」でワンセット、、、。旧帝国ホテルはご存知の通り、左右対称シンメトリーの

建物。「狭い階段」同士は、8~9mは離れているから、後から付けたであろうエスカレー

ターも、8~9m離れていて、どっちかは「上り」で、どっちかは「下り」。「んっ?」何か

不便そう、、。「下り」のエスカレーターの下まで来たお客さんは、「あらっ違ったわ」

って言うんで、反対側の「上り」のエスカレーターに行こうとする、、。だけど、そこは

厨房からバンケットホール?(つまり、一日3回ご飯を食べる「大食堂」。)との間で給仕

さんたちが、しょっちゅう行ったり来たりしてるはず。これじゃ、信号の無い交差点。

給仕さん達は、お客さんとぶつからないように、もの凄い気を使っただろうし、食事をし

ているお客さんは、行き交う他のお客さん達を見ながら(見られながら)食事をしていた

の?旧帝国ホテルは最後の何年間か、こんな風な光景の中で営業されていたのか知らん?



えいっ、これじゃさすがに判んないだろうから、写真載せちゃいます。






「チラッと見える」ゴムの手摺り、わかりますか? (本当は、この写真手前の左下に、

もう一つの「ゴムの手摺り」が見えるはずなんです、、、。はるか上の方に見えるのは

例の「半球状の不思議な飾り」です、、。これが僕には「心の珠玉(たま)」の、さらに

「珠玉」に見えてしまう、、、。この写真の、向かって左が日比谷公園、右は有楽町駅、

「孔雀の間」。)



写真は、本当に申し訳ありません。勝手に使ってしまっています。(松岡正剛さんなんか

は、どうしているのか知らん?全部、その都度、了解を頂いているのだろうか、、、?)

削除要請の場合は私のメールまで、ご連絡下さい。





追記  旧帝国ホテルの1階の平面図ありましたので載せておきます。23番の番号の

    両側の幅の狭い階段が、後からエスカレーターに変えられてしまっているように

    思うのですが、どうなんでしょうか、、、?



   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする