北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

中世鎌倉街道 その5

2015-06-01 13:11:39 | 日記
前の記事で、『その「ただの道」って、どことどこが繋がっていたんでしょうか?』と書い

たのですが、この場合の「ただの道」は「みの手」のことなのです、、、


伊勢神宮の内宮の配置です




右下の「古殿地」とあるのは、式年遷宮で「白洲または州浜」状態になった、それまでの正殿

なのですが、その下の「道」は「みの手」だと思うのですが、図で「御贄調舎(みにえちょう

しゃ)」と書いてある建物の先は、どこに繋がっているのでしょうか? それとも行き止ま

りで、どこにも繋がっていないのでしょうか?


この写真の右の建物が「御贄調舎」、さてこの先は?





(その「道」の南を流れる、五十鈴川の支流は「島路(しまみち?)川」と言うらしいのですが、

これが「烏路(からすみち)川」の間違いだったら、僕は死ぬほど嬉しい、、、。内宮の裏山

の中に、「烏なんとか山(もしくは岳)」と言う山があったような、なかったような、、。)


いずれにせよ、「西向天神」もそうなのですが、「みの手」の突き当たりに鳥居があったり、

神社などの本殿や正殿があったりすることは、ほとんどないと思います。(たぶん、、、)

鳥居は山の裾や山の端の「みの手」に平行に立っているのです。鳥居に真っ直ぐ突き当たる

「縄手」は、後から出来た人工的な「棒道」の可能性が大です。(その「棒道」に立っている巨

大な「一の鳥居」や「大鳥居」も、後から立てた可能性が大です。)


神社の神社たる本質は、本殿や正殿ではなくて実は鳥居だ、と言う人もいて、鳥居は難し

いです、、、。



           長くなったので、中世鎌倉街道 その6 につづきます、、、。
コメント
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