前の記事で、『その「ただの道」って、どことどこが繋がっていたんでしょうか?』と書い
たのですが、この場合の「ただの道」は「みの手」のことなのです、、、
伊勢神宮の内宮の配置です
右下の「古殿地」とあるのは、式年遷宮で「白洲または州浜」状態になった、それまでの正殿
なのですが、その下の「道」は「みの手」だと思うのですが、図で「御贄調舎(みにえちょう
しゃ)」と書いてある建物の先は、どこに繋がっているのでしょうか? それとも行き止ま
りで、どこにも繋がっていないのでしょうか?
この写真の右の建物が「御贄調舎」、さてこの先は?
(その「道」の南を流れる、五十鈴川の支流は「島路(しまみち?)川」と言うらしいのですが、
これが「烏路(からすみち)川」の間違いだったら、僕は死ぬほど嬉しい、、、。内宮の裏山
の中に、「烏なんとか山(もしくは岳)」と言う山があったような、なかったような、、。)
いずれにせよ、「西向天神」もそうなのですが、「みの手」の突き当たりに鳥居があったり、
神社などの本殿や正殿があったりすることは、ほとんどないと思います。(たぶん、、、)
鳥居は山の裾や山の端の「みの手」に平行に立っているのです。鳥居に真っ直ぐ突き当たる
「縄手」は、後から出来た人工的な「棒道」の可能性が大です。(その「棒道」に立っている巨
大な「一の鳥居」や「大鳥居」も、後から立てた可能性が大です。)
神社の神社たる本質は、本殿や正殿ではなくて実は鳥居だ、と言う人もいて、鳥居は難し
いです、、、。
長くなったので、中世鎌倉街道 その6 につづきます、、、。
たのですが、この場合の「ただの道」は「みの手」のことなのです、、、
伊勢神宮の内宮の配置です
右下の「古殿地」とあるのは、式年遷宮で「白洲または州浜」状態になった、それまでの正殿
なのですが、その下の「道」は「みの手」だと思うのですが、図で「御贄調舎(みにえちょう
しゃ)」と書いてある建物の先は、どこに繋がっているのでしょうか? それとも行き止ま
りで、どこにも繋がっていないのでしょうか?
この写真の右の建物が「御贄調舎」、さてこの先は?
(その「道」の南を流れる、五十鈴川の支流は「島路(しまみち?)川」と言うらしいのですが、
これが「烏路(からすみち)川」の間違いだったら、僕は死ぬほど嬉しい、、、。内宮の裏山
の中に、「烏なんとか山(もしくは岳)」と言う山があったような、なかったような、、。)
いずれにせよ、「西向天神」もそうなのですが、「みの手」の突き当たりに鳥居があったり、
神社などの本殿や正殿があったりすることは、ほとんどないと思います。(たぶん、、、)
鳥居は山の裾や山の端の「みの手」に平行に立っているのです。鳥居に真っ直ぐ突き当たる
「縄手」は、後から出来た人工的な「棒道」の可能性が大です。(その「棒道」に立っている巨
大な「一の鳥居」や「大鳥居」も、後から立てた可能性が大です。)
神社の神社たる本質は、本殿や正殿ではなくて実は鳥居だ、と言う人もいて、鳥居は難し
いです、、、。
長くなったので、中世鎌倉街道 その6 につづきます、、、。