諏訪大社下社秋宮の平面図です。
「千尋池」と言う池があるのですが、その東側(図では上)の道が、もともとの「旧中仙道」の
「古道」で、やはり「みの手」なのではないでしょうか?
その「千尋池」の西側、図の左側に後から「むりくり」作ったようなギザギザの道が、現在の
国道142号線です。
もしかしたら、鳥居をくぐった参道を挟んで、図の「社務所」と「斎館」の前の道は「みの手」
の「古道」の続きだったのかもしれません、、、。このブログの『春日局邸』の「ギリシャ
のドクシアデスさんの理論」じゃありませんけど、元の鳥居の中だけでは納まりきれなく
なって、「みの手」の前まで突き出してきたのかも、、、?だとすると、この「社務所」と
「斎館」の前の道を、ずーっと南の方角に下っていくと、どこかで古い甲州街道とぶつかる
のかな?
(この、「元の鳥居の中だけでは納まりきれなくなって、「みの手」の前まで突き出してきた
のかも、、、?」は、あとで鎌倉の鶴岡八幡でも出てきます、、、。)
「千尋池」のほとりの古い中仙道は、皇女和宮も水戸の天狗党も通ったのかもしれません。
(通った向きは逆で、時間的には4年の違い、、、。あってるかな、、、?)
諏訪大社下社秋宮の「千尋池」です。
そんなに大きな池ではありません、、、。画面の中央の木の後ろにあるのは、平面図の1
の「手水舎」かな?
中世鎌倉街道 その8 につづきます。
「千尋池」と言う池があるのですが、その東側(図では上)の道が、もともとの「旧中仙道」の
「古道」で、やはり「みの手」なのではないでしょうか?
その「千尋池」の西側、図の左側に後から「むりくり」作ったようなギザギザの道が、現在の
国道142号線です。
もしかしたら、鳥居をくぐった参道を挟んで、図の「社務所」と「斎館」の前の道は「みの手」
の「古道」の続きだったのかもしれません、、、。このブログの『春日局邸』の「ギリシャ
のドクシアデスさんの理論」じゃありませんけど、元の鳥居の中だけでは納まりきれなく
なって、「みの手」の前まで突き出してきたのかも、、、?だとすると、この「社務所」と
「斎館」の前の道を、ずーっと南の方角に下っていくと、どこかで古い甲州街道とぶつかる
のかな?
(この、「元の鳥居の中だけでは納まりきれなくなって、「みの手」の前まで突き出してきた
のかも、、、?」は、あとで鎌倉の鶴岡八幡でも出てきます、、、。)
「千尋池」のほとりの古い中仙道は、皇女和宮も水戸の天狗党も通ったのかもしれません。
(通った向きは逆で、時間的には4年の違い、、、。あってるかな、、、?)
諏訪大社下社秋宮の「千尋池」です。
そんなに大きな池ではありません、、、。画面の中央の木の後ろにあるのは、平面図の1
の「手水舎」かな?
中世鎌倉街道 その8 につづきます。