能登半島の日本海側の付け根の羽咋(はくい)市から、昔、「北陸鉄道能登線」という単線の
鉄道が、鶴来まで走っていたのですが、JR七尾線の羽咋駅から1つ目は「能登一宮駅」と
言う駅でした。日本海沿いの海岸を走っていた線路なのですが、、、
赤い線が、昔の「北陸鉄道能登線」の跡です。「能登一宮駅」は日本海に川がそそいでいるあ
たりにあったはずです、、、。
今は鳥居だけが残っています。手前が駅でした。
この鳥居の先の集落をずーっと行くと、大きな神社があります。
能登一ノ宮 「気多大社」 です。
Google Map
境内の案内図です。
後ろの濃い緑の森は、「入らずの森」の原生林です。
日本海の方に突き出した、「舌状」の、やや小高い丘陵の先端に位置しているのですが、境
内の案内図の、「正覚院」という寺院から、参道の狛犬の前を横切って、旧回廊の前に抜け
ていく道が「古道」の「みの手」だと思います。駐車場や国道249号線は後に整備されたの
でしょうか、、、。
旧「能登一宮駅」から気多大社に向かって集落の右側、民家の裏の砂山に「折口信夫父子墓」
があります。
もっとも苦しき たたかひに
最くるしみ 死にたる
むかしの 陸軍中尉
折口春洋 ならびに その
父 信夫の墓
と刻んであります。
まさか何十年か後に、自分たちの墓碑のすぐ横の敷地に、鉄骨の大きな工場か倉庫の建物が
建ってしまうなんて、思いもしなかったでしょうに、、、。
中世鎌倉街道 その9 につづきます、、、。
追記 気多大社「入らずの森」のビデオです。
「タブの木」の日本海側の北限が能登半島なのだそうです。
鉄道が、鶴来まで走っていたのですが、JR七尾線の羽咋駅から1つ目は「能登一宮駅」と
言う駅でした。日本海沿いの海岸を走っていた線路なのですが、、、
赤い線が、昔の「北陸鉄道能登線」の跡です。「能登一宮駅」は日本海に川がそそいでいるあ
たりにあったはずです、、、。
今は鳥居だけが残っています。手前が駅でした。
この鳥居の先の集落をずーっと行くと、大きな神社があります。
能登一ノ宮 「気多大社」 です。
Google Map
境内の案内図です。
後ろの濃い緑の森は、「入らずの森」の原生林です。
日本海の方に突き出した、「舌状」の、やや小高い丘陵の先端に位置しているのですが、境
内の案内図の、「正覚院」という寺院から、参道の狛犬の前を横切って、旧回廊の前に抜け
ていく道が「古道」の「みの手」だと思います。駐車場や国道249号線は後に整備されたの
でしょうか、、、。
旧「能登一宮駅」から気多大社に向かって集落の右側、民家の裏の砂山に「折口信夫父子墓」
があります。
もっとも苦しき たたかひに
最くるしみ 死にたる
むかしの 陸軍中尉
折口春洋 ならびに その
父 信夫の墓
と刻んであります。
まさか何十年か後に、自分たちの墓碑のすぐ横の敷地に、鉄骨の大きな工場か倉庫の建物が
建ってしまうなんて、思いもしなかったでしょうに、、、。
中世鎌倉街道 その9 につづきます、、、。
追記 気多大社「入らずの森」のビデオです。
「タブの木」の日本海側の北限が能登半島なのだそうです。