北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

瀬戸山肇さん

2015-06-24 23:24:44 | 日記

いろいろな設計事務所に顔を出しましたが、人間的に最も尊敬できる方でした。名前のと

おり鹿児島出身で、奥様も野生の馬のいる都井岬の出身でした。三里塚闘争の時の反対派

の櫓の構造計算をしたという武勇伝をお持ちで、芝浦工大の沖種郎さんの弟子筋との事で

した。事務所は門前仲町から、だいぶ歩いて永代橋の袂に近いところで、下町です、、。

アルバイトでお手伝いしたのは、サウジアラビアの低層コンドミニアムで、黒川紀章事務

所から類設計に出た図面の下請けの下請けみたいな仕事で、単価もそれはそれは酷いもの

でした。何をどうしたいのか、何がどうなるのかサッパリ解らないのに、何度手直しして

もA2一枚8000円で、それでも瀬戸山さんはニコニコしながら、当時、新橋にあった類設計

にアルバイトの僕と打ち合わせに行くのです、、、。「こんなに優秀で人柄も良いのに、

どうしてなんだろう?」 まだ若かった僕には不思議でなりませんでした、、、。直接注文

の設計の仕事が入ったと思ったら、千葉県の五井の駅の近くの栗田工業と言う水の会社の

鉄骨の工場で、瀬戸山さんはご自分で構造計算もされるのですが、Cチャンの胴縁に大波

スレートを専用金具で取り付ける部分の「重ね」の長さからCチャンのピッチをどう割り出

すかを、アルバイトの僕に教えてくれるのです、、、。「世の中って、なんて理不尽なん

だろう?」と思うけど、瀬戸山さんは愚痴めいたことなんて言いません、息子さんが近くの

商船大に入ったんだよってニコニコしているんです、、、。格好つけるでもなく、えばる

でもなく、たまに門前仲町から少し木場寄りの安いスナックに連れて行ってくれて、人生

にフラフラしている僕を心配してくれるのです、、、。「若い頃は三里塚の闘士だったん

だろうか?」 でも目の前の瀬戸山さんを見ていると、「そんなはずないよなぁー、たまたま

構造計算を手伝っただけなんじゃないのかなぁー」と思ってしまうのです。函館に一人で

来てしまった僕を、「東京に戻って、瀬戸山研究所で働かないか?」と、心配して手紙をく

れたのも瀬戸山さんだけでした。どうしてこんなに良い人に良い仕事が来ないのか、建築

の世界は理不尽そのものでした、、、。それでも瀬戸山さんは、いつもニコニコしていた

んです、、、。


追記  鉄骨造の場合、柱脚のアンカーボルトの詰めモルタルの、施工の順序や、方法や

    材質の重要性を、アルバイトの僕に教えてくれたのも瀬戸山さんでした、、、。


追記の追記  瀬戸山さん、どの櫓の構造計算したんだろう?



                                        







今となっては、もう判りません、、、。 でも、前にも書きましたけど、僕は今まで一度

も成田の飛行場は、見送りにも見学にも行った事はなく、上手く行けば、このまま一生、

行かなくてすみそうです。と言っても、なんの主義主張がある訳でも何でもなくて、たま

たま、そうなってしまっているだけなんですけど、、、。 

 

 

追記 一番下の鉄塔は『横堀鉄塔』という鉄塔で、今でも下の半分が立っているみたいです。

 

   

 

  

   大間原発・あさこハウス    『仏が浦』を見たあと国道338号線を走って、入り口まで行きました。            

 

   

 

   国道338号線の『鹿島宿舎( 大間町)』の『鹿』の字のところから広い道を入って

   途中から狭い道がグルっと廻り込むように、○○の敷地のすぐ横まで、行き止まりで

   つながっています、、、。

 

 

 

 

 

        

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする