アウグスブルクの街の郊外には、ドイツ空軍の主力戦闘機メッサーシュミットの工場が
ありました。
左は設計者の“ウィリー”ヴィルヘルム・エミール・メッサーシュミット(Wilhelm
Emil "Willy" Messerschmitt博士。
戦争になると、銃砲などの兵器製造工場や、戦闘機などの航空機製造工場、艦船のドッグ
のある都市は、敵に狙われてしまいます。アウグスブルクの街も、第二次世界大戦の末期
、イギリス本土から飛来してきた、連合国側のフランス空軍やアメリカ軍などの爆撃機に
爆撃され、400年以上も経たFuggerei(フッゲライ)も被災してしまいます。
Allied bombings of Augsburg inWorld War Ⅱ-Bunker Movie in Germny と
いう当時の映像です。PartⅠ よりも PartⅡ の方が Fuggerei(フッゲライ)
映っています。
(映像の中に出てくる眼鏡の老人の方は、デューラー作のヤーコプ・フッガーの肖像画に
似ているような気もするので、敗戦時のフッガー家当主の方か?とも思うのですが、残念
ながらドイツ語が解りませんので、確信はありません、、、。)
戦後、壁だけ残っていたのを、屋根から作り直している写真です。
ドイツの人、ほかの都市でもそうですけど、よく元通りに直しました、、、。偉いです。
Fuggerei (フッゲライ) その5 につづく