北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

Fuggerei (フッゲライ)  その4

2016-10-16 08:59:09 | 日記


アウグスブルクの街の郊外には、ドイツ空軍の主力戦闘機メッサーシュミットの工場が

ありました。









  





左は設計者の“ウィリー”ヴィルヘルム・エミール・メッサーシュミット(Wilhelm

Emil "Willy" Messerschmitt博士。






戦争になると、銃砲などの兵器製造工場や、戦闘機などの航空機製造工場、艦船のドッグ

のある都市は、敵に狙われてしまいます。アウグスブルクの街も、第二次世界大戦の末期

、イギリス本土から飛来してきた、連合国側のフランス空軍やアメリカ軍などの爆撃機に

爆撃され、400年以上も経たFuggerei(フッゲライ)も被災してしまいます。










Allied bombings of Augsburg inWorld War Ⅱ-Bunker Movie in Germny と

いう当時の映像です。PartⅠ よりも PartⅡ の方が Fuggerei(フッゲライ) 

映っています。













(映像の中に出てくる眼鏡の老人の方は、デューラー作のヤーコプ・フッガーの肖像画に

似ているような気もするので、敗戦時のフッガー家当主の方か?とも思うのですが、残念

ながらドイツ語が解りませんので、確信はありません、、、。)







戦後、壁だけ残っていたのを、屋根から作り直している写真です。








ドイツの人、ほかの都市でもそうですけど、よく元通りに直しました、、、。偉いです。








                   Fuggerei (フッゲライ) その5 につづく









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Fuggerei (フッゲライ)  その3

2016-10-16 08:59:09 | 日記


    Fuggerei(フッゲライ)の全体の配置平面図です。上を北にするため

    180°回転させてあります。



  


    



航空写真。上が北です。西側に疎水が流れています。(フッゲライの敷地の中に暗渠にな

って入っていって、建物の下を潜って、その先の道路の下も暗渠のようです。)





入口をはいってメインストリートと直交する住棟が、微妙に直角ではなく90°ではありま

せん。77°くらいでしょうか、、、?住棟の切妻の面も実は斜めになっているようです。

どうしてそうなってしまっているのかは、全然わかりません、、、。(一番南の2棟の住棟

の切妻の面は直角のような気がします。)




アウグスブルクの街の動画です。1分30秒あたりからFuggerei(フッゲライ)です。









住戸の動画です。





1階が、手前の道から、そのまま向こう側に抜けられます。住棟が長いので正解と思いま

す。(専用庭のある住戸では、そのまま庭に出られます。)





1階平面図と2階平面図です。1階の住戸は1階だけようです。2階の住戸は、いきなり

階段で上がります。小屋裏階に上がる階段が2階階段室ホールにあります。





Bad 水周り トイレ シャワー ボイラー 洗濯機   

Abstellraum  収納 物置  



16世紀の頃のトイレやシャワーはどうなっていたのでしょうか?給水も、もしかしたら

水盤のあたりに井戸でもあったのか、、、?





                  Fuggerei(フッゲライ) その4 につづきます









               
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Fuggerei (フッゲライ)  その2

2016-10-15 17:28:06 | 日記


このFuggerei(フッゲライ)、古いといえば相当に古いどころでなく、とんでもなく古い

1514年から1521年ごろという建設期間は、日本で言えば応仁の乱が1467年に終わって、

室町幕府の最後の頃、、、。(つまり、もう500年も経っているんですね、、、。)











Fuggerei(フッゲライ)を作ったのは、アウグスブルクのフッガー家(Fugger)の

ヤーコプ・フッガーさん(1459-1525年)、61才のとき、還暦過ぎ。亡くなる5年前。

フッガー家は、当時のヨーロッパでは、イタリア・ルネッサンスはフィレンツェの

メディチ家にも並び称されたと思しき南ドイツの大富豪。






ヤーコプ・フッガーさん  (絵を描いたのはアルブレヒト・デューラーさん)





成る程、この絵を見ても、なんだか、とても良さそうな方に思えます、、、。






1550年頃?のアウグスブルク。(右が北)





中央の左下にFuggerei(フッゲライ)すでにあります。






1800年頃?のアウグスブルク。(右が北になるように180°反転させてあります。)








だいぶ周囲が建て込んできています。









Fuggerei(フッゲライ)の西側(この絵のだと上)の疎水は、今でも流れているようです。






冬のFuggerei(フッゲライ)





入ってすぐ左は教会でしょうか?右はポケットパークのように凹んでいます。突き当たり

の白い三角は水盤の冬の養生とおもいます。






                 Fuggerei(フッゲライ) その3 につづきます   




追記  28′30″あたりに フッガー家 出て来ます。

    


    山田五郎さん、

       カトリック   → 第一次産業

       プロテスタント → 第二次産業・第三次産業 

    と解説していますが、、、

       カトリック   → 農民 ( 地主・土地持ち )・差別層 (領主・貴族・聖職者など?) 

       プロテスタント → 職人(網野義彦さん的な広い意味で、、、)・漁民・被差別層

    と置き換えて、考えてみたら駄目でしょうか、、、?    

    




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Fuggerei (フッゲライ)  その1

2016-10-15 12:55:23 | 日記


山本学冶先生の大好きだった Fuggerei (フッゲライ)。





南ドイツのアウグスブルクの街の図。中央の右にFuggereiとあります。(上が北)








空から見たところ。中央のやや右下にFuggerei。 (右が北)







もうちょっと近づくと、Fuggereiの全貌。 (右が北)







Fuggereiは、世界で初めての低所得者用の福祉型集合住宅の元祖。現在でもおじいちゃ

んや、おばおさん達がおおぜい住んでいて、家賃は創設時と同じ、1年に1ライングルデン

だけって、今だと0.88ユーロ、つまり年間ほぼ100円ポッキリ、、、?





北側の入口アーケードを潜ったところ






買い物帰りの住人の人もいますが、今では観光名所らしくて観光客が、人が住んでいるの

に中に入ってきてしまっているようです、、、。





          






               Fuggerei (フッゲライ)  その2 につづく









 
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Félix Candela (フェリックス・キャンデラ) その5

2016-10-12 11:28:54 | 日記



フェリックス・キャンデラさんのインタビューです。ですが、スペイン語なので、聞いて

もさっぱり判りません、、、。







スポーツマンだったようです、、、。













フェリックス・キャンデラさんが、1939年に29才でメキシコに移ったときは独身のはず

で、何度も出てくる綺麗な女性はメキシコで現地調達した奥さんでしょうか?このブログ

の2014年10月11日の 記事で書いた、南米ウルグアイの建築家、エラディオ・ディエステ

さんもそうなのですが、中南米のスペイン系シェル構造の建築家はキャンデラさん自身も



   I am niether an architect nor an engineer 、I am a builder.

   私は建築家でもなければ技術者でもない、私は施工屋だ。



と言っているように、設計だけでなく自分で建築会社を始めて、設計施工を一体化してい

ます。誰も施工してくれない(施工できない?)からでしょうか?

1970年代にはいると、フェリックス・キャンデラさんは、アメリカで大学教授になって

、亡くなる1997年までスペインに帰ることはなかったようなのですが、不思議な事に、

この25年すこしの間に、アメリカで設計して、アメリカで建った建築は、ほとんど紹介さ

れた事がないようなのです、、、。(何故かは判りません、、、。メキシコでの建て主さ

んは、シェル構造の建物は単価が安いから発注してくれたようなのですが、だったらば

アメリカでもそういう建て主さんが、現れても良さそうなものだったと思うのですが、、

、、。)








たぶんアメリカのどこかの街で、(若しくはキャンデラさんが、スペインに行った時の、

スペインのどこかの街?)、晩年のフェリックス・キャンデラさんと、建築の構造の話か

何かをしている若き日のSantiago Calatrava(サンティアゴ・カラトラバ)さんと思い

ます。





                            おしまい






 
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