B型ゲンゴロウのブログ

見たまま、感じるまま、想うままに岐阜から発信するゲンゴロウの日記

子育て感謝状

2024年07月19日 | ファミリー

 

 

今年1月に挙式をあげたケンシロウ

式で親に渡された子育て感謝状

あとで送るからと半年たって送ってきました(忘れてたよ)

病院にいるカミさんに見せなきゃと

早速もって面会にいってきました

見せながら読んであげてたら

ダメ、泣けてきました

伝わったと思う・・

 

 

 

一緒に箱に入ってた大好物

北海道旅行で余市蒸留所で買ったって

これはうれしい

 

 

ケンシロウの大学卒業祝で

カミさんと3人で余市を訪問したのは9年前

もう大昔の感じがします

 

 

 

 

 

 

9年前のヒット曲

 

西野カナ 『No.1』MV(Short Ver.)

 

コメント (2)

愛しい妻のこと話します その2

2024年06月03日 | ファミリー

カミさんが倒れた日から1年半経ちました

それからずっと時が止まったままの感じもあって

仕事とかの日常の月日の流れと記憶・感覚がずれてよくわからないときがあります

 

現在も入院中で生きています

最初に救急車で運ばれて手術した救急病院に約4か月いて

今の病院に転院して1年以上お世話になっています

ナースステーションに一番近い部屋の

窓際のベッドにずっといます

 

今日は面会日でした

今は週一度の15分です

面会が今の僕の生きがいです

耳元にスマホを置いてカミさんの好きなミスチルを流しました

今日の午前中に久しぶりにお風呂に入れてもらったらしく

さっぱりとした様子でした

カミさんの大好きな歌

 

 

Mr.Children 「HANABI」 

 

 

 

変わらず意識はないまま、体は動かせないままです

食事は口から食べることはできませんし

人工呼吸器もずっとつけたままです

 

それでも目はパッチリ開けているし

ときどき大あくびしたり

何か音や気配のする方に首を向けて見たり

左腕に力が入って動くことがあります

登山や走ったりで太陽を浴びまくって顔にシミが増えていたけれど

今はシミが消えて、ふくよかで顔色がよくて、若くなったように見えます

太陽を1年以上浴びないでいるとシミが消えるのか、不思議です

それと白髪が少なくなって髪が黒々しています、不思議です

顔だけ見てるとふつうに元気そうで

目が合って声をかけていると

今にも話しだしそうな希望的勘違いをしてしまいます

鍛えあげられていた足腰の筋肉はありません

体重は15kgくらい減っています

増えすぎないよう減りすぎないようコントロールしてくれているそうです

 

 

 

今年3月のことでした

主治医から電話があり呼ばれました

「容態が急に悪くなりました」

「今回はもたないと思うので会えるご家族を呼んでください」

熱が40℃から下がらず、心拍数が150を超えていました

何かの感染症をおこしているそうです

今にも命の火が消えそうなぐったりとして力がない様子でした

 

 

翌日、ケンシロウが横浜から飛んできて金太郎も一緒に面会

翌々日には、千葉からお義父さんが面会にきました

そのたびに主治医が立ち会って容態を説明してくれました

「大手術をして、コロナ禍を乗り越えて、よく1年以上も生きられました」

「よく頑張りましたよ」と

聞くたびに胸が張り裂けそうで涙が止まりませんでした

お義父さんからは励まされる始末でした

 

 

倒れて数カ月したとき

今後はなにがあってもうけとめる覚悟をしました

葬儀屋の会員にもなったし遺影も用意しました

なんならかわいい仏壇も探したし

いつそのときが来てもあわてないぞ、と

覚悟したつもりでした

でも覚悟なんてできていませんでした

 

 

なにも手に着かない、落ち着かない、オロオロ、ドキドキ

ま~た頭がパニックでまわりが白黒の世界になり

弱気な幼子にような自分がまたまたあらわれました

先生のいうとおり、よく頑張ったね、よく生きたね、とは思うけれど

この世からいなくなる、もう会えなくなる、と思うと

耐えられない寂しさ・喪失感が湧きだしてどうしようもありません

 

 

「〇〇ちゃん、頼むから生きて、死なないで!」

自分勝手な想いで泣いて祈るばかりでした

 

 

10日ほどして「乗り越えましたよ」と

「今回は抗生剤がギリギリ効きましたが、次はわかりません」

飛び上がって大声を出しそうになりました

視界がカラーで広がってなんとも爽快な晴れやかな気分

ひとりでスキップをふみました

懸命に看護してくださっている先生、看護師さん、スタッフに感謝感謝感謝です

みなさんが本当に献身的で優しくて真剣なのが伝わります

 

 

命の崖っぷちを乗り越えたのは3回目です

1回目は、倒れて生きるか死ぬかの9時間の手術

2回目は、入院中に突然心肺停止になったとき

そして今回の危機

死の淵から3度のカムバック!

すごい生命力です

みなさんのおかげです

 

 

ぐちゃぐちゃになる僕をみて

これじゃぁまだいけないなぁ、もうちょい生きるかと

踏ん張ってくれたのかもしれません

 

 

徐々に弱るのではなく

悪くなる時はいっきにあっという間である現実をみました

寝たきりで、口から噛む食事ができず、人工呼吸器であることから

ずっと免疫が弱い状態が続いていて感染症のリスクが常にあることは

当初から聞いていました

だから面会時に僕が何か悪いものをうつすことが一番の恐怖です

大勢が集まる研修とか、会場とかは行きません

飲み会の集まりにもほとんど参加していません

コロナもまだ続いていますしね

 

 

先々週の面会時にうれしいことがありました

面会は時間予約制です

面会しやすいように配慮がみられ、

ベッドのまわりをカーテンで囲んで人目を気にせずに面会できるようにしてくれます

面会してるとチラチラこちらを覗く方がいて、目があうと

「あの~ 先週ご主人が帰られた後、すごく機嫌よさそうにニコニコ笑ってたんですよ」

「絶対に耳は聞こえてますよ」と

僕と同年代の看護助手かサポートスタッフの方でした

「ありがとう、ありがとう」

それだけの会話だったのですが、こみあげてきました

体が動かないので、床ずれができないように、体の体勢や向きを頻繁に変えてくれています

大勢の看護師さん、スタッフさんに24時間お世話していただいています

中には夜勤のみで働いている方もいるようです

お一人がわざわざ伝えてくれたこと、その優しさがうれしかった

今の病院に入れてもらって本当にありがたく思っています

 

 

それから

あとで知ったことですが

最初に運ばれて手術をしてくれた先生は

その症例の手術が抜群にうまいと評判の先生で

もしかしたら岐阜県NO.1かもしれないと

予約なしの救急で、どこが受け入れてくれるか、

誰が担当になるか、これは運です

しかもめっちゃイケメンな先生! 

オッサンがドキドキするくらいでした

「〇〇ちゃん あんな男前の先生に助けてもらって良かったね~」って

よく声かけしてました

転院してもう会えないけど

今でもこれからもいろんな素敵な意味で忘れません

 

 

そんなこんなで入院継続中です

今の病院にいることの安心

週一回会えるどきどきと喜び

どうか一日でも長く生きられますように

 

覚悟なんてできません

そのときがきたら精一杯オロオロするでしょう

気合なんていれず感情むき出しでいいとします

 

 

以上

ひさしぶりに記しました

 

 

コメント (2)

妻に結婚式の報告

2024年01月19日 | ファミリー

 

今日はカミさんの面会日でした

 

ケンシロウの結婚式の写真を見せて話しました

穏やかな表情でほほ笑んだようにみえました

 

 

ゲンゴロウファミリー

 

 

 

カミさんがいないのはやっぱり寂しかった

喜んで笑う顔が見たかった

この日だけでいいから

元気になって一緒に来れたらなって思いました

 

右端はカミさんの父(90歳) 現役で仕事してるすごい人です

 

 

披露宴では隣にカミさんの席が用意されてました

 

 

両家家族だけの参加で総勢11人

新婦のご両親が漫才夫婦みたいにゆかいで

楽しく時間が過ぎました

 

 

そんなこんな話をカミさんに

面会時間10分じゃ話足りないくらい

 

 

コメント

ケンシロウ挙式

2024年01月08日 | ファミリー

 

めでたい

いい挙式でした

 

 

 

ゲンゴロウ・金太郎・ケンシロウ

163・175・180

 

 

 

 

 

 

今後ともよろしくお願いいたします

 

コメント (19)

愛しい妻のこと話します

2023年12月03日 | ファミリー

当ブログを長く見ていただいてる方はお気づきかと思います

いつも一緒に登山や旅にでかけていたカミさんが長く登場していません

なんかあって離婚したんじゃないか

ゲンゴロウに嫌気がさして家を出て行ったのかとか

思われてる方もいるでしょう

ご近所さんもまったくカミさんの姿を見なくなりそう思ってるようです

僕から話しないし、聞くに聞けないんだと思います

ごく少数の方にしか言えなくて、このブログでも一切触れてきませんでした

 

 

1年前の12月初めでした

突然カミさんが倒れました

9時間を超える緊急手術を行い

それからこの1年間ずっと入院しています

意識がありません

僕の人生でこれほど辛いことはありません

 

 

長くなりますが

オロオロ、メソメソしている自分のことなど

この一年を振り返って記したいと思います

病名は伏せさせていただきます

 

 

でかけた先で倒れてるところを発見されて救急搬送されました

救急車から電話があり「急ぎ〇〇病院にきてください」

いろんな検査の同意書に意味も分からずサインして

約2時間後に医師から説明がありました

・緊急手術を行います

・がんの手術とは違い、死ぬか生きるかの手術になります

・7時間くらいかかります

病名や容態の説明は理解できませんでした

あんな元気溌剌の人がいったいどうした? なぜ?

何かの間違いにちがいない、とにかく信じられない

 

 

夕方6時すぎに手術が始まってから

看護師さんから説明がありました

・しばらくは入院生活になるために用意するもの

・手術代のこと

・血液を大量に使う大きな手術ですがチーム一丸で全力をつくします

(献血80回してます、同じB型です、僕の血も使って・・言えませんでした)

 

 

大病院の静かな待機室にて

心臓が高鳴ったまま果てしなく長い長い夜でした

 

 

 

結局9時間を超える手術になり、終わったのは朝3時半ごろ

4時半に執刀医から無事に成功したと手術の画像を見ながら説明を受けました

「麻酔がきれて24時間くらいすれば目を覚ますと思います」

「2週間はなにがおこるかわからないリスクがあります」

「今、面会していってください」

機械だらけのICUの個室で人工呼吸器をつけてるカミさん

手を握るとあたたかくて・・・

その瞬間、嗚咽しながら号泣しました

よかった・・ 生きてる・・・

命を救ってくれた先生にすがるように泣きながら感謝を伝えました

 

 

2日たっても3日たっても意識は回復しません

コロナで面会はできないので、看護師さんからの電話で容態を聞きました

手術から約2週間後にいろんな数値が安定したとのことで一般病棟に移りました

そして問いかけに反応する様子もでてきました

希望はありますよ、と聞いて

どんな状態でもいい

とにかく話ができるまで回復してほしいと祈るばかりでした

 

 

生活は一変しました

通帳、保険、何がどこにあるかさっぱりわからないし

家の事はすべてにおいてカミさんにまかせており

どう生活すればいいのかわからない

俺はどれだけ依存しているんだか、愕然としました

 

 

誰にも言っちゃいけないと思いました

このブログも閉鎖してぜんぶ消そうかと思いました

仕事する気がなく、誰かに合うことも嫌になりました

冷静なつもりがパニックでまったく正常ではなかったと思います

 

 

散らかっていく家を眺めて

これじゃいかん、怒られる

カミさんがやってくれていたことは全部やろうと気合を入れました

掃除、洗濯、そして食事を毎日作ること

帰宅が遅い金太郎に食事を出すこと

金太郎がいてくれるだけでどれだけ心強かったか

一人だったら何もやらず不摂生な生活になったかもしれません

 

2週間で3kg体重が減りました

食べなきゃいかんと意識して食べても食べても減っていく

精神的なことで体が消化吸収しないことを初めて経験しました

 

 

そして大晦日のことでした

その日はケンシロウが帰省してて、金太郎もこの日から休みで

ひさしぶりに3人で家にいました

病院から慌てた様子で電話があり

「容態が急変しました、すぐ来てください、何分で来れますか!」

「死ぬな、〇〇ちゃん死んだらだめだ」と叫びながら車を飛ばしました

1時間ほど待って担当医から呼ばれました

・心肺停止してしまった

・なんとか蘇生して今は安定しています

・またICUでしばらくみます

「こんなときです、ご家族がいれば面会してください」

 

BOYSを呼びました

面会禁止で会えるはずはなかったのに久しぶりに家族4人が揃いました

鍋を食べながら紅白歌合戦をみんなで見るはずだったのにね

ベッドの両側でお母さんの手を握るBOYSを見てたら泣けました

きっと子供たちに会いたかったんだろうなと思いました

 

 

心肺停止のダメージが大きかったようです

その後、今日まで意識が回復することはないままです

残念ながらこれからも回復は厳しいそうです

映画のような奇跡は起こらないのが現実・・・辛いです

 

 

これまで将来への不安とかあまりなかったんだけど

ふと「俺が倒れたらどうなるんだ?」と

BOYSにどれだけ負担をかけてしまうだろう

急に怖くなりました

車の運転がのろのろになりました

すべてにおいて生き方が慎重になりました

 

 

泣いてばかりで

自分の弱さを思い知りました

スーパーで買い物してるときとか突然涙がでてきます

泣き方が異常です、迷子になった子供が泣き叫ぶように

ある先輩に相談すると

「誰かを想って泣けることは幸せなことだから、泣けばいいんだよ」

それで安心して泣くのを我慢しないようにしています

 

 

体の不調が次々に出ました

坐骨神経痛、肋間神経痛、変なしびれ、じんましん、、

医者はストレスが原因じゃないかと

ストレスと言われるのは心外だけど

もしやカミさんの体の痛みが俺にきてるんじゃないか

それならもっとこい、なんぼでもこいと思いました

嫌だった胃カメラ、大腸カメラもやりました

保険も見直しました

 

 

ある日

これからは一心同体で生きようと思いました

いつでもどこでも

僕が見るもの、食べるもの、聞くこと、話すこと、

登るときも、走るときも、いつも一緒だと

好きな登山もランニングも一緒に連れて行くつもりでやろうと

一人で登山するときとか、話かけながら歩きます

ときどき前を元気に歩くカミさんが浮かびます

姿が浮かぶとぼろぼろ泣けてきます

 

(最後に一緒に登った貝月山で)

 

大泣きしながら歩いてて

すれ違った登山者に

「大丈夫ですか?」と声をかけられたこともあります

そんな登山者いないから

 

 

コロナが5類になった5月下旬から面会できるようになりました

週に1回、時間は10分だけです

面会前はドキドキします

会える喜びと容態の心配と

「〇〇ちゃん 大好きだよ ありがとうね 感謝してるよ」

耳元でずっと声をかけます

頑張ってとは言えません もう十分がんばっているから

カミさんへの愛情はより深まっているように思います

愛しくてたまりません

面会して病院を出るときに涙がでます

 

 

医師や若い看護師さんたちが24時間体制で見てくれています

知らないおばさんを献身的にお世話してくれています

病院のみなさんの看護がなければ死んでしまいます

ありがたくてありがたくて泣けてきます

 

 

この1年、結婚記念日も誕生日もきましたが

服も買ってあげられないし、ケーキを買って食べさせてあげることもできません

何かしてあげたくても、何もできません

でも病院のみなさんがずっとそばでサポートしてくれています

ただただ感謝しかありません

 

 

いろいろと様変わりした一年でした

 

酒量が減りました

飲まない日も増えました

 

 

外食が減りました

いつも一緒でした

一人じゃさみしい

 

 

毎日スーパーに行きます

食品などの値段の高騰がよくわかります

料理レシピノートは2冊目になりました

作る楽しさも感じてます

カミさんにも食べてもらいたいです

そして褒めてほしいな

 

 

いろんな歌の歌詞が沁みるようになりました

自分の気持ちに近いこの歌は聞くたびに泣けます

何度も聴いてます

 

 

 

 

 

結婚して31年

いつも一緒にいたカミさん

当たり前だったふつうの日常が

当たり前ではなかったことを思い知りました

もっとこうすれば

ああしてあげればよかった

考え出すと止まりません

 

 

今、心の底から願うことは

今のカミさんに痛みや苦しみが一切なく

穏やかな気持ちで過ごしていてほしい

苦痛を感じててそれを表現できないとしら・・それは生き地獄だから

穏やかな気持ちでいるのなら

一日でも長く生きてほしい

最後まで見守らなきゃ、見守りたい

先に死ぬわけにはいきません

 

 

長くなりました

これまで言えなかったこと

これからは

このブログでときどき吐露したいと思います

 

 

最後に

お見舞金はいただかないことにしています

お気遣いなさらないようお願いいたします

 

 

 

コメント (25)