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日記(9.27) 金木犀 ・ 記事(世間という言い回し)

2014-09-27 13:29:48 | 日記
9月27日 (土曜日)  晴れ

朝焼けが綺麗な日だ。



椿の大きな実も赤くなってきた。



早くも落葉樹は黄葉になってきた。

日毎にハナミズキの実が目立ってくる。



良い香りがするなあ~と思っていたら
もう金木犀が開こうとしている。




畑の青紫蘇の実を摘んで、だしの素とお酒・みりんに漬けこんだ。

酒のツマにちょっと良い。




コクモスも盛りのこの時期、熊谷の小学校は一斉運動会だ。


本日は朝から元気だ。7時には出かけて行った孫君。
お父さんも休暇をとっている。
ジーとバーは開会式の始まる9時頃応援観戦に出かける。



学年毎の競争が始まっていた。
走りがよくないなあ~・・孫君。運動神経は今一かな!
皆、同じ様に見えて写真撮りが難しい。



天気も良く、日射しが強く暑い!
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今日は新聞にも取り上げられていた古い言い回しの事がでていたので記載しておく。
大分、とらえ方が年代ではズレてきているかも・・・・

その昔、「世間が詰まる」とは
金詰まりや世の不景気を指したという。

「世間を外す」とは世渡りに失敗すること、
「世間をすます」は世間体をとりつくろうことを言った。
「世間をやめる」とは世間づき合いから身を引くことという


日本国語大辞典から「世間」にからむ古い言い回しを引いたが、
これはほんの一部だ。
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もともとは仏教用語で生きものとそれがすむ山河大地を指した「世間」で
その後は人の世のさまざまな機微を包み込む言葉となった

「世間」という言葉から日本社会を論じた西洋中世史家の
阿部謹也さんによると、世間の特徴の一つは
長幼の序をたてまえとしていたことだ。

今一つは物を与えられたらお返しをする
贈与・互酬の原則が重んじられた。
世間とは義理や申し訳を立てるべき場だった。


今年の国語世論調査で驚いたのは、
世間ずれ」という言葉をめぐる世代間のギャップである。

先の辞典で世間の裏表に精通し、悪賢くなることとあるこの言葉だ。

だが、それを「世の中の考えから外れている」という
意味だと考えている人が半数を上回ったのだ。


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とくに10代後半で85%以上、20代でも80%近くが
世の中からのずれと受け止めていた


年代が上がるほど本来の意味を知る人が多くなるのは
やはり「世間ずれ」のおかげか。

見方によれば、若い人ほど「世間」を価値基準として
肯定的に受け入れているとも取れる
。・・・?
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同じ調査では今後も敬語は必要という人が10〜20代で100%となった。
さて若い世代で長幼の序を重んじる「世間」回帰が進んでいるのか。


長幼の序とは・・《「孟子」滕文公上から》
        年長者と年少者との間にある秩序。
        子供は大人を敬い、
        大人は子供を慈しむというあり方。→五倫


とあったが、現代の教育がどこまで教えているかだ!
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