今日は早く寝よう。
自分にはこれといった思想、信条、信仰がありません。今まではそれでいいんじゃないかなとぼんやり思っていましたが、今日とつぜん、それだと厄介なことにもなりうるな、と思い始めました。
たとえば、ある本を読んで、「何物にも意味はない」という言葉に感化されたとします。ところが次の月に別の本を読んで、「何物にも意味はある」という言葉に感化されるとします。一体ぼくはどちらの側に立てばよいのでしょうか。それぞれ、それなりに興味深い考え方だし、実際のところ同じくらい興味を抱いたとします。う~む。何物にも意味はあるのか、それともないのか、という宙ぶらりんなところでぼくは漂い続ける。
で、あるとき論文を書いちゃったりします。そのときは何物にも意味はないと考えていたから、それを前提に論を進めます。しかし翌年になったらもう正反対の考え方をしているものだから、前年に書いたその論文が、まるで赤の他人のそれのようにひどくよそよそしく感じられ、途方に暮れてしまうのです。・・・幸いまだそういう経験はないのですが、でも容易に起こりうるのではないかとぼくは恐れているのですよね。
やっぱり、これはこうだ、あれはああだ、という信念を持っていた方がいいのでしょうか。ぼくはいつもいつも、あっちかなこっちかなと「思想街道」を右往左往しているばかりなのです。
そういえば、ロシア語の本、積算で50ページくらい読みました。あと4日で予定の部分は終わるはず。ただ、ちょっと追加で読まないといけないところが10ページほどできたので、今週中に終わるかぎりぎりのところ。それが済んだら、別のに取り掛かりたいところですが、それと並行して、あるいはそれ以前に、日本語の本を読んでおこうと思っています。
お、今日は早く寝れそうだ。
自分にはこれといった思想、信条、信仰がありません。今まではそれでいいんじゃないかなとぼんやり思っていましたが、今日とつぜん、それだと厄介なことにもなりうるな、と思い始めました。
たとえば、ある本を読んで、「何物にも意味はない」という言葉に感化されたとします。ところが次の月に別の本を読んで、「何物にも意味はある」という言葉に感化されるとします。一体ぼくはどちらの側に立てばよいのでしょうか。それぞれ、それなりに興味深い考え方だし、実際のところ同じくらい興味を抱いたとします。う~む。何物にも意味はあるのか、それともないのか、という宙ぶらりんなところでぼくは漂い続ける。
で、あるとき論文を書いちゃったりします。そのときは何物にも意味はないと考えていたから、それを前提に論を進めます。しかし翌年になったらもう正反対の考え方をしているものだから、前年に書いたその論文が、まるで赤の他人のそれのようにひどくよそよそしく感じられ、途方に暮れてしまうのです。・・・幸いまだそういう経験はないのですが、でも容易に起こりうるのではないかとぼくは恐れているのですよね。
やっぱり、これはこうだ、あれはああだ、という信念を持っていた方がいいのでしょうか。ぼくはいつもいつも、あっちかなこっちかなと「思想街道」を右往左往しているばかりなのです。
そういえば、ロシア語の本、積算で50ページくらい読みました。あと4日で予定の部分は終わるはず。ただ、ちょっと追加で読まないといけないところが10ページほどできたので、今週中に終わるかぎりぎりのところ。それが済んだら、別のに取り掛かりたいところですが、それと並行して、あるいはそれ以前に、日本語の本を読んでおこうと思っています。
お、今日は早く寝れそうだ。