Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

痕跡

2011-04-30 23:33:15 | アニメーション
今日はイメージフォーラム・フェスティバルのプログラムAを見てきました。
水江未来の「TATAMP」が一番よかった。
古川タクの「はなのはなし」は、元ネタが分からないと意味不明なんじゃないかという部分があるのでそこは危惧しているのですが、まあでも分からない人でも楽しめるのかな。けっこう笑える作品なので、これもよかった。

他にもそれなりの作品はありましたが、しかし昨日に引き続き、どうもぼくの趣味に合わない作品が多かったです。いや別に悪い作品と言っているわけでなくて(自分は評価を下せるほどの審美眼をもっていないし)、単純に、個人的な感想として、あんまりおもしろくなかったなあ、と思いました。去年のハーツフェルトの衝撃とどうしても比べてしまうので、今年はその意味で損かもね。他の観客の人たちがどう思っているのかは知りませんが、でも去年のレベルを求めて出かけると、肩すかしを食うというか。

印象に残ったのは「私の痕跡」という、ごく短い作品。人の姿を鉛筆で書いては消し、書いては消し、を繰り返してゆくのが基本の作品なのですが、消しゴムで消したあと、どうしても鉛筆の痕跡が残ってしまう。何度も上記の行為を繰り返せば、白い紙にはうっすらと黒い痕跡が残ることになります。その痕跡を、「私の痕跡」=「人生の痕跡」と言っているのだと思うのですが、なかなかおもしろい。それに着目したこと自体はそんなに新しくはないと思うのですけれども(たぶん)、でも実際に書く行為を撮影しているので、過程が見られて楽しいかな、と。

で、アニメーションとは関係ありませんが、「自分の痕跡」というものについて、やはり考えてしまうわけです。いや、こういうことを考えさせるのがそもそものこの作品の狙いなのかもしれませんが。自分が生きてきた痕跡ってなんなんでしょうね。ぼくがこの先生きていても、たいした痕跡は残らないし、というか残せない気がするのですが、それでも生きる意味はあるんでしょうかね。まあ痕跡と業績とは違います。ぼくが業績を残せないのはその通りだと思うのですが、痕跡すら大して残らないような気がしてしまうんですよね。ぼくの周りには、業績も痕跡も残せそうな人が何人もおりますよ。実際に既に残している人だっておりますよ。そういう人たちに比べて、自分という存在は何の価値があるんでしょうね。もちろん、人それぞれなんでしょうよ。でも。結局、ぼくには「己を知る」ということができていなくて、多くのものを求め過ぎているのかもしれません。才能もないくせに、才能のある人が求めているものを、才能ある人だけが求めていいものを、ぼくも無邪気に求めているのかもしれません。だから苦しいのでしょうね。全く、哀れで惨めな生き物だな。もしも・・・いや、いいや。書くのはやめよう。ネガティブすぎる。

人形アニメーションほか

2011-04-30 00:15:18 | アニメーション
今日はイメージフォーラムフェスティバルの初日。新宿でプログラムMとNを見てきました。

ですが、個人的にはいまいちだった・・・。プログラムNは既に見ているのが半分あって、それらは良作なんですけど、初見のがちょっと・・・。それにしてもヒュカーデの『愛と剽窃』はもう何度目だろう?オライリーの『エクスターナル・ワールド』に日本語字幕が付いていたのはよかった。と言っても、結局この作品がどのような作品であったのか、ということはまだぼくにはよく分かりません。ソローキンが文学でやっていることを、オライリーはアニメーションでやっている、ということなのでしょうか?これはアニメーションだから虚構の世界ですよって言ってやりたい放題、ときに手法を露出し、遊びもちりばめる。文学が紙の上の白いインクに過ぎないとしたら、アニメーションもスクリーンの上の線と色に過ぎない。アニメーションがアニメーションであるための存在理由とは何か。それには何ができて、何ができないのか。何をしてよくて、何をしてはいけないのか。あるいはそもそもそのような「何」など存在するのか。そういう根源的な問い。傑作かどうかはまだ分からないですけど、問題作であることは確か。そして重要な作品であることも。

プログラムMは、レイノルド・レイノルズという監督の三部作が主軸でしたが、これがぼくには少々受け入れがたくて、なんともはや。やたら裸体が出てきましたが、もうそれが見所ってことでいいや。でもこの作品、賞を受賞しているみたいで、評価が高いようです。分からない・・・。どこかブラザーズ・クエイやシュヴァンクマイエルの悪夢的世界を思わせるのですが、んー・・・

ブラザーズ・クエイの新作『マスク』がMプログラムのトリ。これはよかった。というか、ぼくにとってMにはこれしかなかった。クエイ兄弟の映像の美学はすごいですね。もちろん人形アニメーションなのですが、奇しくも昨日は『ファンタスティックMr.FOX』を見てきたところだったので、人形アニメーションの東西を一遍に視聴した感じ。ここでついでに『ファンタスティック・・・』の感想を昨日に追加して書いておくと、「ところがどっこい生きている」という映画だったように思いました。うっかり書くのを忘れていたのですが、この映画を見て感じたのは、高畑勲の『ぽんぽこ』とどこか通底するものがあるような、ということ。動物が主人公ということ、人間と対立すること、という両項目こそ同じであるとは言え、だいぶ趣きの異なっている両者なのですが、でもどちらの作品も、その基本的精神には「ところがどっこい生きている」という強かさと逞しさがあるように思ったのです。『ぽんぽこ』への説明は不要でしょうが、『ファンタスティック』の場合、この「ところがどっこい」というのは、ラストになって明らかになっていきます。狼への畏敬の念を持つフォックスは、野生の魂を持って生きていたいと願っている。でも現実には文明に染まり、人間用の食物を盗んで生きてゆく。このギャップは、フォックスに対する批判ではもちろんなくて、その強かな生きざまへの賛美だと思うわけです。狼のように生きたい。それは偽らざる夢でしょう。しかし現実はそうはいかない。ある程度妥協しながら生きていかざるを得ない。でも妥協したって、いつも屈折した思いを抱えて生きたくはない。だから、フォックスたちはスーパーで人間のものを盗みながら踊る。こうやって生きているんだぜって踊る。狼のように完全な野生には戻れない。でも、ところがどっこい、おれたちはおれたちなりに楽しくかっこよく生きているんだぜって。フォックスの生き方をかっこ悪いと思う人がどれだけいることか。あんなにかっこいい狐、ぼくは他に知りませんよ。

で、今日のブラザーズ・クエイ『マスク』ですが、とにかく映像美の極致なのですよ。光と影の妙で魅せるのです。ストーリーですか?ポーランドの巨匠スタニスワフ・レムの原作が下敷きなのですが、これはこれでけっこう難しい物語ですね。美女と殺人機械と国王の悲恋譚で、最後に2年と2日雪が降り続く。そういう話です。雰囲気だけ分かればいいと思います。耽美的で物悲しい、廃墟的なアニメーション。ブラザーズ・クエイの作品の中では、この新作が一番好きだなあ、ぼくは。ストーリーがわりと分かりやすいから、というよりは、映像の神秘性に惹かれました。