馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

木枯らし街道の家路!

2011-12-18 22:09:47 | 日記

1217日(土)午前10時半 船橋橋袂の佃煮屋で土産を買う。

JRに乗車して横浜駅で私鉄に乗り換え急行で三つ目の駅下車。

タクシーに乗り1070円支払った。

13時少し前に着いた。

小高い丘に立つグレー色壁3階建。

玄関口の陽当たり良い場所で老人がベンチに腰掛、にこやかに私を見る。

受付で面会相手の氏名を書き、訪問者欄に息子と記入。

名札を付け看護士さんに伴われ2階の母親の部屋に入る。

個室で広く窓から燦燦と陽が差し込む。

お袋はまどろんでいた。

私を見て「額に熱冷ましシートを張替えてくれ」

「お腹の湿布を替えてくれ」

涙声で言い続ける。

「陽が強いから布カーテンを買ってきてくれ」

矢継ぎ早の要求を言う。

「ここを早く出たい」

介護施設ではなく老健なので

 

3ヵ月後には出なければならない。

車椅子に乗せ屋上の庭に出る。

しかし直ぐに痰が出るので吸引のため

又部屋に戻り看護士さんに喉、鼻の吸引をする。

リハビリを担当する若い男性が来て挨拶を受ける。

 

部屋入り口ですれ違った老女が部屋の名札を見て驚く

姓が同じ、名前が私のお袋はマルマルの2字で子が付かない。

隣の病室の名札は姓同じ、名前は子が付くか付かないだけの違い。

年齢も同じらしい。こんな偶然があるのだ。

ちなみに私の妻と兄の妻は元々二人とも名前は同じだったため

結婚して同姓同名になった。

 

母親を病室に残し屋上庭園に上がる。

  

冬空だが陽射しを受け暖かい、西に丹沢山塊が黒くたたずみ、手前の大山の後ろに

雪富士が見える。

 

東には横浜ランドーマークが小さく、くっきり見える。

 

   

中学生時代 冬空の早朝、中学校に通う山林道から丹沢山塊が見え

鼻水垂れ、霜柱の道を走りながら手拭で鼻水拭いて遅刻ぎりぎりで教室に飛び込んだ。

 

高校生になり桑畑の先に青黒く連なる丹沢に憧れ登った。

 

大学生になってからは本格登山で登る機会は少なくなったが

50代後半からは麓に住む友人を訪ねがてら丹沢に登る。

 

屋上から見渡す景色は少年期を過ごした青春無頼の想い出なのだ。

 

部屋に戻り、母親に3時のおやつを持って女性看護士さんがきた。

ゼリー状のお菓子をスプーンで飲む。

食欲はあるのだ。

体に病があるわけではなく、日毎に老化しているのだ。

心も脳も断片的な記憶と遠い想い出が錯綜

 

16時、排尿の世話をして、看護士さんが痰の吸水を始めたので

部屋を出た。

 

お袋のいない実家まで歩くことにして

夕暮れが迫る丸子茅ヶ崎線街道を歩き始めた。

 

新田義貞の鎌倉攻めの道でもあった。

夕闇迫る木枯らし街道を歩くのは私だけ

40年前、深夜、街灯の無い細い道筋を車で通ると

樹林から飛び出すウサギを車で轢いて、車輪下でゴリンと骨が折れる音と

感触は未だ忘れられない。

  

少年時代仰ぎ見た黒い丹沢山塊に向かって

途切れ無き自動車が行き交う道路の歩道をひたすら歩く。

横浜郊外 海抜75メートルの木枯らし街道は冷たい風が体を吹き抜ける。

 

今年の夏820日 炎天下の家路のブログを書いた。

 

1650分実家に到着

徒歩50分 10月にハゼ釣りした時護岸で滑って腰を痛めたが

その痛みが未だ残っているので歩くのが遅い。

弟がいたが嫁さんは留守。

 

実はお袋の見舞いもあったのだが、沢庵を漬ける手伝いに来たのだったが

弟が一人で漬け込んだ。

1月後半になると絶品の沢庵が食べられるのだ。

毎年、お袋が柿の葉、りんごの皮等を入れて丹念に漬け込むのだ。

旨さは絶品、漬物好きの知り合いが食すと必ず唸る!

18時 弟は施設の母親の所に行くので

車に同乗して駅で降ろしてもらった。

18時半 横浜駅ジョイナス地下街の札幌屋

横浜駅に来た時は必ず寄るのだ。

味噌ラーメンを食べる。

朝昼、飯を食べていなかった。

 

20時船橋駅着、居酒屋一平で生ビールと煮込みで10分間立ち寄り。

海老川沿いを歩き川面に向かってマーキング。

それから、居酒屋あんこう、で熱燗とマグロ刺身。

22時自宅着。

 


再び、福島原発被災地からの注文。

2011-12-18 14:28:50 | 日記

1214日(水)福島原発被災地 南相馬の方から注文が再び手紙できた。

蒔絵ボールペン、万年筆、スターリングシルバーボールペン、万年筆

個人としては大量、多額だ。

  

10月にも同じ方から注文だった。

避難した山形、新潟、群馬でお世話になった方にお礼として贈り物。

元々通販雑誌に掲載していたが4月で蒔絵筆記具の掲載が終了

通販会社からの紹介であった。

弊社からの直接購入は格段に安い。

又被災者でもあるので特別価格で提供。

LEDキーホルダーはプレゼントした。

 

11月にはやはり被災した宮城県の仮説住宅から

イタリア製羽根ペンの注文がきた。

やはり、避難先でお世話になった方へのプレゼントだと聞いた。

震災という災難に遭われて困窮しているのに人情に報いる行為

復興回復が進まない現状に苛立つ。

 

本日のランチ 余った野菜で鍋。