衝撃的ニュース
新生児取り違え事件
還暦の60歳で判明。
こんな事 凄く過ぎて何も語れない。
妻が言った。
「私はその病院で生まれたの」
「妹、弟も同じ病院で出産」
「妹は取り違えられた男と同年」
妻の両親は既に他界。
当時の病院の様子を聞くことは出来ない。
香港出身の作家 金庸が執筆した武侠小説 侠客行
惚れた男が他の女を娶り、双子の男を産んだ。
嫉妬した女は、双子の一人を盗んだ。
洞窟で文字も読めない野良犬のように育てた。
叶わなかった恋への憎悪を子供を苛めぬくことにより
復讐したのだ。
方や、慈しみ育てられた子供は
成長するに連れ、我がまま、甘えで偏狭な男になった。
盗まれた赤子を探す夫婦は、長い年月捜索の旅路を経て
やっと子供を見つけるのだが
貧しくとも心優しい子供は苛められても母親に尽くしていた。
我がまま育ちの実子は親まで欺いた。
人間の遺伝子が血が繋がらなくとも慈愛を授けるのか?
育った環境がその後の生き方を形成するのか?
現実の60年間を経てDNA鑑定までして親兄弟でないことを証明。
訴訟まで起こした背景は、兄弟間での相続、遺産の争奪の判定なのだろう。
両家が同じ貧しい家庭であったらDNA鑑定、訴訟まで起こさない。
取り違えとは違うが、母と子が断絶した一部を垣間見たことがある。
父親の転勤に伴い各地を転々とした。
小学低学年の頃、住んでいたアパートに
太ったオバアチャンと小学校入学前の男の子との
二人だけで住んでいた一室があった。
私も、幼いなりに、「何であの子はお父ちゃんとお母ちゃんがいないのか」と感じていた。
それから 私達家族は横浜郊外に転居した。
私も青年期になり、社会人になり、結婚もした。
子供も生まれた。
その頃、会社を辞め生活困難になり横浜の実家に家族4人居候した。
私がいない時に突然 若い男がお袋を尋ねて来た。
若者は名乗った。
当時 住んでいたアパートでオバアチャンと二人暮らししていた
男の子だった。
昭和20年代前半、戦後の貧しさで生まれた子供を
育てられずに捨て子したのだ。
捨てられた子供は親族でもない見知らぬ一人暮らしのオバアチャンが育てようとした。
だが、はやり母親は耐え切れずオバアチャンに
返して下さいと懇願した。
オバアチャンは幼児を背中に負ぶい紐で括り付け
母親にはガンとして受け付けず返さなかった。
母親は、涙を流し立ち去った。
その幼子が一流私大を卒業して、自分の実両親を探す旅に出た。
どのような経緯で横浜の家を知ったのか定かではないが
実母の存在と行方を捜し歩いたのだ。
自分が誰であるのかの苦悩は他人が口挟めない。
お袋は若者が深い苦しみの表情で帰って行く後ろ姿に
声も出せなかった。
何の役にも立てなかったのだ。
その若者も今回の取り違い事件の子供と同年代。
戦後の混乱期の深い闇は未だ存在するのだ。
家族兄弟姉妹間の相続、遺産争いは醜い。
今も、その渦中に巻き込まれて私は苦しんでいる。
3億円の借金を抱えて逃亡した夫婦を助けた。
経営する会社、従業員を見捨て、
取引先、金融機関にも見放された夫婦は
私の会社に夜逃げした。
義父が作り上げた会社を夫婦の放蕩で莫大な負債を抱えた。
夫婦とも、親兄弟と遺産争奪で訴訟合戦。
金融機関とも訴訟。
贅沢と虚飾に溺れた夫婦は、人の情愛も利用したあげく
捨てた。
善意の周囲の人達を裏切り
借金を従業員に押し付けた。
ついに
義父が建てたビルも売り払い。
葉山の中古マンションに逃亡した。
資産、金を食い荒らし
人も去って行った。
それでも、入念に装う似非セレブの顔。
昨年 12月 ある店で知った。
カウンターの隣に座った白髪紳士との会話で
「スズキ徽章の社長をしていた長野利男はでたらめ男でね」。
みんなして社長を首にして追い出した。
借金返済する印鑑を押印する場面で
突然印鑑持って逃げた。
「その時、でたらめ男を助けた馬鹿がいるんだよ」
「今は九段スズキ本店という看板を出して麹町でやっている」。
助けた馬鹿男こそ 私なのだ。
次回に続く。