1月14日(土)
診療所玄関を出たところで電話した。
電話口に出た男性に新年の挨拶。
直ぐ近くにいることを伝えた。
男は 今直ぐ 「シャッターを開けます」
診療所から歩いて3分の距離。
細い路地に見えるところまで来ると
シャッター音が、ガラガラと上がる。
古い木造2階建て、既に2階の窓に取り付けていた
製麵所の看板は、外され抜かれた杭が白く残っている。
息子と母親が立っていた。
新年の挨拶をする。
年末に、へぎ蕎麦とステーショナリー類の物々交換の約束していた。
しかし、正月過ぎても電話がなかった。
息子が言った。
「連絡したかったのですが、1月3日に父が亡くなりました」
「元旦に入院先の病院へ、製麵所を閉鎖すると告げた」
長野と新潟の県境で、父は製麵工場の小僧
母は女中をしていた。
一緒になり懸命に働き、暖簾分けして船橋で製麵所を開いた。
父にとっては、ショックであった。
3日 夜、病院から「ご主人が息をしていません」の連絡を受けた。
正月参賀日は、看護師さんも少ない、見回りが手薄になったようだ。
「二つの事が重なった結果です」息子は言った。
お悔みを述べた。
と言っていたが、母親はショックで心臓が止まりそうになった。
生蕎麦を3袋頂く。
後で、物々交換品を持ってくると伝えた。
「2月に、親戚が集まり供養するので製麵します。
一同で父親を忍んで食べます」。
その時 連絡します。
帰り道 葬儀屋に聞いたことを思い出した。