中国不良品
前ページでは中国の不良品の非常識を書きましたが
日本国内の無理難題もあります。
やっと、トランス5300巻を千個完成させ
次の千個は12月20日までに納品なので
時間的余裕がると安心していたが
突然、1万巻を千個の発注がきた。
納期は12月10日。
「うあ~!無理だわ」!
「なんで」?
「どうも、担当者が忘れていたらしい」。
会話はそれで終わり。
日本的ビジネスではよくある非常識。
10月29日(木)朝9時半作業開始。
ランチを素早く掻き込む。
引き続き、銅線巻き
105個完成したのは18時。

入浴後夕食を食べて通電検査
21時終了。
工程段階が幾重にもあり一つ一つ乗り越えていかねばなりません。
さあ~て 老夫婦二人頑張ります。
20代サラリーマン時代
桜上水事務所の高齢スタッフ4人も手一杯。
息子も海外取引手配で動きが取れない。
仕方ありません。
日本人の勤勉性、粘り、正確性
アナログ製造には向いている。
デジタル庁も必要だが、ファンダメンタルな小さな製造業も
保護育成させないと足元がぐらつく。
当分、ブログ更新は無理かな?
午下がりのサンチョパンサ
凡庸だって使い様です!
日記
2020-04-29 13:07:14
自分が凡庸である事は……人との引き比べから本人が意識し始める。
なら……引き比べなきゃいいんじゃね?
とは行かず……凡庸な人ほど他者と自分の引き比べに余念がないのである。
それは凡庸な人の哀しい性であり、引き比べては落ち込んだり、僻んだり拗ねたりしている。
何か一つで良い。打ち込んだり、引き込まれたりする趣味でも良い、自分が惹かれる対象を見付けた時……凡庸な人は凡庸である事の哀しみから解放されるのである。
凡庸故に、その凡庸な人は他者に取っては全く興味の対象にさえならない。
その自分の凡庸さに取り憑かれているのは他ならぬ自分の卑屈な感情なのである。
自分の凡庸さに取り憑かれている人は……自分の凡庸さを受け入れていない人なのである。
凡庸さを認め受け入れたら……不思議な事に凡庸な自分がとても好きになる。
一生懸命に凡庸を演ってる自分がとても健気に思えるのである。
結果的にその人は、『自分の本分に生きてる』個性的な人となる。
意味の無い引き比べに意味を感じていたのは自分であり、それを以て自分で自分を貶めていたのである。
そんな人が報われないのは、凡庸だからじゃなく、自分を引き比べて 貶めるからなのである。
ありふれた才能を凡庸というけれど、そのありふれた才能の使い方には人それぞれであり、引き比べによる詰まらない使い方も有ればまた天才的な人だって居るのである。
出川哲朗は最悪のビジュアルを最高の自己愛でもって、最高の使い方をしている人だと言えよう。
だから彼は自信満々であり、自分が大好きな人なんだと思う。
自分の愛し方こそが勝負の分かれ目なのである。
そしてそれは……他者の愛し方に直結しているのである。