馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

味噌チャシュー麺

2010-09-23 13:03:30 | 日記
9月22日(水)昼飯はデザイナー女性が西表島にいるので作らず。
浅草橋西口近くのラーメン屋 天竜に入る。
味噌チャシュー麺を注文。
厚み、サイズがすごい、そして極旨い。
午前中、荷造り梱包をしたので当然のごとくビールを注文
夫婦二人だけでやっているので昼間のみ。
16時サラリーマン時代の先輩で元上司が尋ねて来た。
定年後、シルバイターとして弊社の検品作業等の手伝いを
していただいている。
この1年は手伝いして頂くだけの仕事は無い。
今日はこの先輩のさらに先輩が亡くなった件で来た。

先週、自宅にサラリーマンしていた頃の大先輩から電話が入った。15年以上会っていない方だ。年齢は既に75歳以上のはずだが・妻からの連絡で携帯電話に連絡した。明るいユーモア溢れる声が聞こえる。上野で南米地域専門の旅行会社を経営していたが経営権譲って、現在は悠々自適の人生を送っている。長い年月会わないでいた。先輩は私の行く末を心配していた。会社移転も知らせなかったので電話通じない。自宅電話を調べたのだ。
その会話の主意は私が20代後半結婚して早々銀座4丁目にある営業部門に
転勤なった時の所長だった方が2年前に死去した知らせだった。
状況は婦人が肝臓癌で亡くなるとその2週間後に後を追うように
自宅で一人亡くなったと言う。
豪快な人だった。大酒飲みでヘビースモーカー
偉くはならなかったが優しい方で夫婦してお世話になった。
外人旅行部出身なので英語が堪能で六本木、赤坂の外国人出入りの
BARにしばしば連れていってもらった。
50代後半は酒と煙草と無理がたたって喘息を患い第一線から退いた。
私が退社してからも交流が続いていたが、その上司が定年と転居とともに
音信が途絶えてしまっていた。

柳橋事務所で亡くなった上司の住所を教えもらった。
居酒屋で思い出話をした。
今飲んでいる先輩と亡くなった上司の下で仕事をしていた時
右肩上がり経済成長した頃で一番充実して楽しいサラリーマン生活だった。
来月、死去の連絡頂いた先輩がロータリークラブの会合で
毎月上野に来るので食事することになった。
詳細を聞けるだろう。
60歳過ぎると病、死が身近迫るのを感じる。
「生き続けねば」と気持ちを奮い立たせる。


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