3月13日(火)朝8時半
天気情報で、快晴、風強く杉花粉が舞うと伝えている。
九時、海沿いを歩く、魚港の上を横断する京葉道路が見えて来る。
昨年秋頃より通勤経路として歩かなくなった。
今日は言い知れぬ感情に導かれるように歩いた。
京葉道路の先に護岸にへばり付く小さな松林ある。
そこで立ち止まる。海面を見つめる。
三寒四温のはずだが、海風は冷たい。
稚魚ハゼも湾底の泥地で春の温水を待ちわびているだろう。
護岸脇に茂る松林、ここで一昨年、あいつとハゼ釣りをしたのだ。
2009年8月22日
河口の喫水でボラが跳ねる、潜水艦のような黒い鯉と体長50センチになる鱸が悠然と回遊している。都鳥が浴槽に浮かぶ幼児の玩具のように波間に揺らいでいる。
だが、環境省の調査でこの河口は放射性セシウム6400ベクレルの高い汚染値が検出された。
橋を渡ると釣具屋があって、昨夏は息子夫婦と釣具と餌の青イソメを買い
水門でハゼ釣りした。
漁師達は不安になっている。
江戸前の魚、海苔が汚染されてしまうのではと懸念。
そっと忍び寄る原発の恐怖。大地震発生から一年が経過、港の河口にまさかの汚染。
そして、役所から封書に市長名で「義援金配分の知らせ」と手続き書面がはいっていた。マンションが地震により一部損壊と認定されたので各戸に一律一万五千円を支払いします。私はり災者なのだと気付いた。
ベランダのタイルが一枚、廊下側が一枚剥がれた。
管理組合に損傷部分を報告して剥がれたタイルも保存してある。
最も破損部分はマンションの共有部分なので修繕積立金より
修復する。
書面表題は「災害義援金の支給」と記され
市民の皆様へ
○ ○市長 個人名
一瞥すると、市長が見舞金をくれるとも受け取れる。
最下段に囲みで市役所の担当課が記されている。
この地域は現首相のお膝元、出身地、選挙区だ。
合法的選挙対策、ばら撒きか?
東北には本当に罹災してどん底生活と苦闘の人々が多数いる。
なぜか 後ろめたい気がする。
手袋をはずして湾内を携帯電話カメラで撮る。
右指に激痛が走る。
44年前冬 北アルプス白馬岳で凍傷になった後遺症で
突然の凍風に晒されると指は痛みを思い出すのだ。
橋を渡ったところの釣具屋の隣に、小さなリバーサイドマンションがある。
学生時代友人が一人暮らししていた。
2010年6月25日 食道癌で逝った。
それから、ずっと空き部屋になっていたが
昨年10月に売れた。
それまでは、郵便受けに溜まるチラシ広告を私が廃棄していた。
その必要もなくなったのだが、彼の住まいを通るのが辛かった。
そんな気持ちでこの道を通るのを避けてきたのだが
3月13日 朝、足はマンションに向かったのだ。
通り過ぎて振り返り角部屋の3階を見上げる。
あいつが窓辺から見つめているような気がするのだ。
既に主は代わったのだと、窓辺を見ながら溜息つく。
3月17日(土)午前 テレビ番組で「ぶらり途中下車の旅」見ていると
あいつの住んでいたマンションが写った。
大地震、原発事故も知らず、住まいの下
河口の放射能汚染されたことも知らず。
私なりに懸命にお前を寄り添ったつもりだったが
「お前に苦言を呈す、バカヤロウ」!
と仲間からメールが送信されてきたのは
衝撃だった。
今でも、何がいけなかったのか?
何が足りなかったのか?
確かにお前に十分世話が出来なかったのかもしれない。
しかしと!
まだ、先の話だが黄泉の国で、私が逝ったら
「バカヤロウ」!とは言わないでくれ>
3月12日(月)学生時代の友人が勤める会社から
革製USBフラッシュメモリーの注文を受けていた。
本日、納品した。
今までその会社は他から見積りをとり、名入れをして
販売を試みていたがなかなか決まらなかった。
友人もセクションが違うので口出しをしなかった。
困っていた担当者に弊社を紹介した。
その会社のクライアントは研究所で
3月後半にパーティーがありお土産でプレゼント。
担当者とクライアントは喜んでいる。
巷にはUSBフラッシュメモリーは廉価で販売されているが
おしゃれで名入れ印刷が出来る贈答用は殆どない。
小さい物なのでお土産には喜ばれる。
3月6日ランチ ナポリタン
3月7日ランチカレー
3月9日 ランチ あさり丼と刺身
3月10日(土)午前9時、柳橋事務所に行く準備をする。
携帯電話が見当たらない。鞄、ジャッケット、ズボン、コートにもない。
携帯に架けるが呼び出し音後に留守電になる。
昨夜、23時頃、自宅近くの居酒屋から戻った。
そこに置き忘れたなら店主が出てくれる。
出ないので何処かに置き忘れたようだ。
9時半、妻がマンションのテレビ電話で管理室と会話している。
娘が起き出して傍らで聞いている。
どうやら娘も昨夜、携帯電話を置き忘れたらしい。
内容が理解し難いが、昨夜銀座で職場内の方々と食事したが
レストランに娘は携帯電話を置き忘れた、
出た後で気付き戻ったが携帯電話はなかった。
最後に出た上司が持っていたのだが
その上司はそのまま2次会に行ってしまった。
致し方なく、夜10時過ぎ職場に戻り
上司の携帯電話を調べ電話した。
上司は有楽町の駅まで携帯電話を届けると言ってくれたので
待っていたが11時半過ぎても来なかった。
寒い駅前で1時間半待ったが現れず致し方なく
自宅に帰ったのだ。その時午前1時になっていた。
酔っていた上司はその事をすっかり覚えていなかった。
朝起きて見ると携帯電話が二つあることに気付いた。
娘の携帯電話は中がロックされていて電話番号が見られない。
致し方なく、自宅住所を調べ管理事務所へ連絡した。
当然、管理室は娘の自宅電話など知らせないので
メッセージを受け取り、テレビ電話で伝達した。
父娘同時に昨夜携帯電話を忘れたのだ。
私は3月6日(火)にも落し物をしていた。
7時10分、快速電車乗車、車内はギュギュウ詰め
駅に停車と同時に左右前後が揺り戻し
傘と紙袋と帽子を手で持っていたのだが
下車すると傘と紙袋は有ったが帽子がない。
慌てて再乗車して車内床を見るがない。
駅改札で忘れ物センターの電話番号をもらい
毎日、問い合わせするが見つからない。
息子夫婦が去年11月結婚式でプレゼントしてくれた
ハンチング帽子なのだ。
冬の朝夜の通勤途上、冷たい風吹く海沿いを歩くので
暖かく気にいっていた。
気持ちが、がっくりしているところに又携帯電話の忘れ物!
最近、知り合いの名前が直ぐに出てこないし、顔も浮かばないのだ。
内心、ボケではないかと心配している。
11時は柳橋事務所にクライアントが来ることになっているので
10時に外出。傘差し急ぎ足で向かう。
11時、事務所前でクライアントは待っていた。
電話やメールしても返事がないので戸惑っていた。
携帯電話は事務所で充電器に繋げたままだった。
土曜日、クライアントの方と有名な料理学校の卒業記念品
革巻きボールペンの検品作業と包装、熨斗紙付けをする。
クライアントは、身長188センチ実業団陸上部走り高跳び選手
大会で優勝した実績もある。
現在は独立されてLED関係の仕事もなさっている。
優しい人柄で不況の中で飛び回り苦労されている。
互いに協力して打開していかなければならない。
包装作業は540個完成残り44個
3月17日納品する。
18時半浅草橋袂の居酒屋で一杯!
娘は先週、職場のパソコンにお茶をこぼしてキーボードが
動かなくなった大事件を起こした。
昨年は駅ホームで乗車しようとして転落
何処か父娘ズレテいる。
息子は神経質なのだが全てに乱雑なところがある。
実母も含めて認知症の可能性?
ところで土曜日、娘の上司は朝起きると携帯電話が二つあることに気付き。
娘に電話すると眼前の携帯電話が鳴って、やっと前夜のことを思い出したのだ。
土曜日午後オフィスに上司は持参、
娘はその後ミュージカルを見た。
その後、上司がご馳走してくれたそうだ。
やれやれ、家族みんな呆けているのかな?
でも、人様に悪さしないから良しとするか!