馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

連休明け ガラスペン、ガラスペン、ガラスペン、ガラスペン。

2015-11-25 15:43:06 | 日記

 

11月24日(火)

 ガラスペンが凄い。

先週 所さんの日本の出番 

特集でガラスペンが取り上げられて

 

一挙に集中して注文がきたのだ。

連休明けも ガラスペン、ガラスペン 、ガラスペン、ガラスペン

 

梱包段ボールが積みあがる。

 

イタリアボールペンもある。

リボン包装もある。

メディア告知は無料の宣伝。

妻が骨折で動けないので、孫の写真、動画を撮りに

 

17時 暗くなった隅田テラスを歩き門前仲町に向かう。

 

4キロ歩いて門仲から東西線に乗り葛西で下りた。

 

23時帰宅

歩行距離

18.022m


11月22日 恥ずかしながら私達の結婚記念日。

2015-11-23 16:26:50 | 日記

11月22日(日)

本日は、いい夫婦の日

全国的各地で結婚式 披露宴が開かれる。

恥ずかしながら!

私達夫婦も1975年 昭和50年11月22日が結婚式

  

だからと言って 時流に乗った訳ではない。

40年前のことだ。

当時 そんな語呂合わせの言葉なかった。

結婚する頃、失意の暗い日々だった。

上司の不正を追及したら、逆に軽食喫茶で皿洗いさせて

辞めさせようとした。

結婚式前夜 大雨で友人の車で松戸の住まいから

高輪にある教会に行く手はずであった。

しかし、友人の車が出発寸前エンジントラブルで動かなくなり

急遽、タクシーに乗った。

そのタクシーも都心に入ってパンク。

新郎新婦が、12時の式に間に合わないハプニング。

披露宴は、レストラン事業部だったので

会社の会議室も兼ねたホールで開宴。

会社のコックさん達、ホールの女性達が

無償で手伝い。

当時としては、珍しい立食と老齢には椅子を用意した。

 

橋の下、幾多の荒波、濁流に飲み込まれそうになりながらも

河口まで流れてきた。

今日の22日 娘は午前中仕事をこなし

午後から上司のご自宅に呼ばれて飲み会。

妻は骨折して、孫を見に行けず。

 

マンションエントランス前、ショッピングセンター

食品売り場に妻ので手伝いで買い物。

スーパーには、リタイアした団塊オジサンが女房の後ろに従って

買い物しているが、妻はこの光景が嫌いで

私に買い物の手伝いはさせない。

しかし、今日は致し方ない。

 

食材と水2㍑入り6本ケースを台車で運ぶ。

19時 魚の鍋を二人で食べる。

テレビ見ながら穏やかな食卓。

日々 多少のハプニングがありながらも

質素に暮らせるのが一番。

 


高松山から3年ぶりに雪富士を見た。

2015-11-22 20:49:44 | 日記

 

11月21日(土)目覚めたのは6時20分

慌てて支度する。

テーブルにポカリスエット500mlが置かれていた。

夜中に妻が用意したようだ。

骨折した妻の面倒も見ずにハイキングに行く馬鹿亭主。

昨夜午前1時半にトイレに起きた時、玄関に娘の靴は無かった。

6時半 玄関には靴が乱雑に置かれていた。

欧州、中東に絶え間ないテロの勃発。

娘の職場も緊張状態にある。

 

8時 新宿駅小田急 小田原行きに乗車した。

11月1日に高松山に出かけた時は、頻尿で大変だった。

 

昨夕、リンゴ半分、ミカンを一つ食べて就寝。

しっかりと対策したので9時40分新松田駅着まで我慢できた。

駅前は、登山客で溢れ、紅葉祭りが丹沢で開かれる。

臨時バスが出ている。

西丹沢、玄倉行きバスも臨時増発便に乗車した。

高松山入り口で下車したのは、私だけ。

10時 麓に向かって歩き出す。

お爺さんが、リヤカーに畑で取り立ての野菜を運んでいる。

このローカルな光景がいいね。

老いても働ける。

ヒマラヤの高地に住む老人が言った。

「あんたら、金を作るため、喧嘩したり、いがみ合ったり

殺し合いまでするのだから」

「俺達は、ずっと山で生きて畑で食べ物を作ってそれだけさ」

「そうやって山の土に戻るだけさ」

 

麓からなだらかな斜面を見上げると

ミカンの木が連なる道沿いに登山者隊列がゆっくり移動している。

やはり、定期バスの登山者が下りたのだ。

山道は止めて、林道から登ることにした。

 

歩き出して、数分 妙な標識がある。

「新東名高速道路」

山を壊して新東名高速が建設されるのか?

 

林道の蛇行をゆっくり歩むと

後ろから登山靴のカチカチと力強い音。

中年男性が追い抜いて行く。

カーブした林道の樹間から

雪富士が見え出した。

西にカーブしては、富士が迫って来る。

 

2012年5月6日に45年ぶりに高松山で眺めた富士山以来だ。

その後、好天での高松山登山をしたのだが

雲間に覆われ見ること叶わず。

3年ぶりに眺めた。

背後から、マウンテンバイクで登って来る若者。

「頑張って」!

「ハイ ありがとうございます」

50年前 山道を自転車で上がるなんて考えられない。

 12時21分 高松山頂801m着く。

なぜ 高松山ばかり登るかって?

ハイカーが少ない。

アプローチが楽だ。

下車して入浴できる。

頂上が草原で富士と相模湾が望める。

一番は草地に寝転び

68年間の過去を紺青の空に

富士の頂きから上がる煙のごとき雲

見続けて恩讐も彼方に消えるのだ。

 

15分程 富士箱根、相模湾を遠望して

本日 初めて喉にポカリスエットを三分の一程飲む。

あいつを高松山に一緒に登れなかった。

だから あいつの遺品のリュックを背負っている。

それと、一番想い出づるのは

昭和45年 今は亡き山岳部同期二人が丹沢で雪富士をバックに

微笑む姿だ。

 

ひとしきり、想い馳せて

 

12時40分 山北に下山する。

13時40分 11月1日登山時 渋柿を捥ぎ取った処に来た。

渋柿は届かない高い枝に鈴なりで、カラスも食べない。

高校生の頃、実家に渋柿があった。

軒先に干して食べたものだが

親父が亡くなると切り倒された。

 

ベランダに前回捥ぎ取った渋柿を干した。

食べたが旨くなかった。

 

14時20分 山北の集落が見える。

 

ミカンが実る林道を下りて国道に出た。

スマホにアンチャンから電話が入る。

アンチャンは今、弘法山に登っている最中だ。

15時 御殿場線山北駅に着いた。

駅裏 さくらの湯に直行しようとしたが

臨時バスから続々と登山者が下りて

さくらの湯に向かう。

こりゃダメだ!

諦めて発車寸前の御殿場線国府津行きに乗車。

松田駅で下りた。

アンチャンに電話して秦野駅で下車して飲むことにした。

17時 秦野駅下車 トンカツの店に入る。

兄は最近 頭がフラフラするので

病院で診察したのだが、病の兆候はなかった。

加齢とストレスが原因だろう。

杖を突いての登山だった。

兄は以前新宿 中野坂上に住んでいたが

山好きが高じて兄は鶴巻温泉駅近くに引越した。

弘法山ハイキングは日常生活の範囲なのだ。

 

久しぶりにトンカツを食べた。

互いに老齢なので、家庭食卓では肉類を食べることはない。

昨夕から、食事をしていないので、生ビール

カツ、鶏のから揚げ、カツ煮、キャベツ、イタワサ

日本酒 一気に胃袋に飲み込んだ。

 

兄は71歳になるが現役最年長の予備校講師だ。

ネットで、理系志望の受験生にセンター試験 国語を廉価な費用で教えている。

年末に向かって申し込みが増加して忙しい。

 

トンカツの店を出て

隣の庄屋に入る。

カウンター席に座った。

銘酒八海山を飲む。

コップ、枡、受け皿に目一杯注いでくれる。

兄の教え子にヒマラヤ登山する岳人が

八海山に勤めていて、頂いて大酒したことがあったが

外で飲むと高いのだ。

 

隣に男性が二人飲んでいた。

丹沢表尾根 塔の岳を登山したが

頂上は多くの登山者がいたと言う。

今年最後の秋山登山。

 

小田急新宿行きに乗車した

直ぐに寝入る。

自宅に着いたには22時少し前。

直後 娘も仕事から帰宅。

 

直ぐに風呂に入る。

 

今日の歩数計

37.768歩

31.757m

2..060㌍

5時間21分

異常でした。

 

心筋梗塞 飛んでいけ!

 


妻骨折 役立たずの亭主。

2015-11-20 16:21:07 | 日記

11月18日(水)

台湾から取引先社長が来る前

14時、妻から電話が入った。

電話などかけてこないのに、珍しい。

嫌な予感!

電話口で「骨折した、今、整形外科から帰ってきた」

こちらは、言葉に詰まった。

「どうしたのだ」?

「スポーツジムで転倒した」

「右腕と左足を骨折」

マシン器具の台に足を掛けて転んだ。

 

丁度 来客中の方は、若い頃実業団で走り高跳びの選手で東日本大会でも

優勝した選手。

スポーツによる怪我にも詳しい。

その方の奥様もジムで怪我したが、治療費は

ジム側が負担した。

 

さて今後どうするか?

 

全治二か月。

ゆっくり歩行と手指は動かせる。

  

癌治療も5年目になり、12月に

最後の検診を受けて問題なければ完治。

やっと終了だったが、池尻大橋の大学病院

駒沢の国立医療センターに治療に行けない。

 

知り合いが「娘さんに家庭生活の面倒を見させたら」と言った。

年齢的に最もなことだが、娘の仕事はハードだ。

朝6時起床、7時半に出て霞が関に向かう。

帰宅は殆んど午前0時過ぎ。

就寝は午前2時

土日も殆んど出社する。

今流に言えば、ブラック企業

使命感だけで頑張っている。

ああ!我ながら役立たずの亭主である。

 

川嶋なおみと同じくらい痩せていて心配なのだが

(川嶋なおみより美人)?

妻は気丈にも「大丈夫よ」と言った。

いつもが我慢強い。

 

家事洗濯掃除はしている。

雑巾絞ったり、瓶の蓋を回したりが出来ない。

 

妻にしたら、亭主が動けず家でブラブラしているほうが

辛いのだろう。

 

ご同輩の方々 頷かれるか?

 

 

 


フナッシー着ぐるみの中の人 人相を知った。

2015-11-19 16:57:51 | 日記

11月18日(水)15時

台湾 台北に 板橋の地名の工場地帯がある。

軽工業、主に雑貨類を製造していた

20年程前のことだ。

いたと言う表現したように、既に工場は無くなり

大陸に移転して事務所があるのみ、僅かに

家族経営工場が点在するだけ。

 

その板橋から台湾人社長がやってきた。

ピンバッジの企画制作の打合せ。

 

社長は台湾人であって中国人ではない。

台湾人は中国人が大嫌いである。

 

 

昨年夏 台北に行った時、既に政権が国民党から

民進党になるのは確実と聞いた。

 

 

7年前 国民党 馬英九が総統になったが

当時 台湾人経営者達は「仕方ない」と言った。

中国に傾かなければ台湾は生きていけないと感じたのだ。

台湾世代も二世から三世が経済、政治を動かす状況になった。

彼らは中国人ではなく純粋な台湾人なので

大陸に郷愁を感じることもない。

 

今日来た台湾人社長も本省人である。

 

大陸が嫌いである。

表向きは決して本音は出さない。

 

前置きが長くなったが、表題の件に入る。

 

フナッシーが昨年台湾に出かけたのは、TVで放映されたので知っていた。

フナッシーが台湾観光だけが目的ではなかった。

台湾工場で、フナッシーグッズ製作をしたのだ。

フナッシーのバッジを製作したのが

 

来日した社長の会社だ。

製作工場は大陸だが、企画打合せは台北だ。

 

社長はフナッシーと鼎泰豊(本店) ディンタイフォンで食事した。

 

 

え!あの ぬいぐるみを着たままですか?

 

「いいえ、普通の恰好ですよ」

 

どんな人ですか?

台湾人社長

「~~~~~」

それから「~~~~~」

そうですか!

 

当ブログで人相を公開するのは、企業秘密を暴露して

営業妨害になりますので控えます。

 

私も船橋の住人です。

フナッシーが住んでいるところは、おおよそ検討はついている

社長から、湯を注ぐと金魚が現れる台湾茶を頂いた。

高級茶だ。