5月21日(土)
渋谷駅 スクランブル交差点に着いたのは正午丁度。
渋谷スクランブル交差点1
急ぎ足で渡り道玄坂を上がる。
昨日、弟に「まだ、咳が止まらず回復しないので
お袋の見舞いには行けない」とメールした。
その夜、弟からラインメール。
「お袋の容態がおかしい、寝たきりでうわ言を呟いている」
「体熱も高い」
状態を見なければ!
松涛邸宅街を抜け、介護病院に12時半に着いた。
3階の病室、ベッドに横たわっている。
元気だった頃の半分の体になってしまった。
白い上掛けに包まれミイラのごときだ。
私の顔を見ようともしない。
4月18日には、ひ孫を見せに息子夫婦も見舞いしたのだ。
看護婦さんが「昨日は熱がありましたが、今日は下がりました」
「他の患者さんも連続して発熱しました」
どうやら、季節の変わり目による体調崩しのようだ。
暫く、お袋を見続けていたが、5階のラウンジでお茶を飲むことにした。
ラウンジから、ベランダに出て新宿方面を眺める。
都庁が見える。
現代のお城である。
現城主は舛添である。
人望の無さに気付いた都民は一揆が始まりそうだ。
しかし、メディアは狡い。
舛添の性根を知っていたにも関わらず
今まで黙っていたのだ。
形勢が劣勢になった途端
川で溺れた犬が川岸に必死に這い上がろうとするを
妨害するがごとき棒で叩く。
メディアは、今頃になって
実は、舛添はケチで~~なんだと暴露。
まあ!そんなこと思っていてもしょうがない。
ふと、思いついて介護病院を出た。
病院前山手通り対面に渡った。
通りに小さな門がある。
表札に「東京大学裏門」
そう、ここは、東京大学駒場キャンパス。
小さな入口から、緑の木々が点在するキャンパスを散策。
樹林を通り過ぎる風は和やかだ。
14時半 介護病院に戻る。
お袋は呟き続けている。
92年の人生が目まぐるしく駆け巡っているのだ。
咳止め薬の副作用で睡魔が襲う。
5階の談話室ソファで目をつぶる。
ウトウトしていると、スマホが鳴る。
アンチャンからだ「こちらに向かっている」との連絡。
16時 兄は秦野からやって来た。
虚ろだったお袋の目に輝きを射した。
長男は可愛いのだ。
「帰るな、帰るな」かすれ声で言う。
長男、末っ子は可愛いのだ。
私が少年期、悲しい心はこの事だった。
振り向いてくれない母親に
無頼な行動で反応したのだ。
社会人になり、ギスギスの人間関係に気付き
結婚して子供が生まれて生きてゆくことの重さを知った。
貧しい家庭で子供3人育てるのは容易なことではなかった。
当時 母親として精いっぱい頑張っていたのだ。
18時 介護病院を出た。
来る時(介護病院)行列している中華の店喜楽で食べることにした。
渋谷でNO1の人気店。
店内は空いていた。
ビール、日本酒、餃子、モヤシソバを頼んだ。
弟が車で見舞い来ない時は、ここでビールと麺を食べるのだ。
19時 渋谷駅で兄は井の頭線に乗車。
私は銀座線に乗った。
兄は71歳 まだ現役の最年長予備校講師。
病に伏した家族を抱え懸命に働いている。
弟も零細企業の経営者。
苦しんでいる。
男3人兄弟
孤軍奮闘中。