馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

暑さと根性論。

2018-07-23 16:58:16 | 日記

7月22日(日)

昨日、午前中、ウオーキングに出ようとしたが、

太陽の直射は耐えがたい。

住まいの中階段を上り下りすることにした。

20階建て 中階段3基

15階建て 中階段1基

一階段16段なので上下動3.184回。

暑さは無いが、空気の回流はなく、サウナでスポーツジムにある

ベルトコンベヤーで走っている状態。

40分程だが

運動量はアップだがキツイ。

階段登りすると、翌日 駅階段を上がるのは楽だ。

 

階段登り1

階段上り下りを終了して海の公園にて

風で汗を吹き飛ばす。

 

船橋 親水公園

ビール、ハイボール飲んで午睡。

夕方、徒歩5分のはま寿司で妻と食べる。

 

ニトリで1畳の畳を購入。

徒歩180秒の自宅へ手持ち。

本物の井草畳ではないので軽い。

ベッドのマットの上に敷く。

去年の夏に、妻とは別室になった。

妻は大喜び。

 

クーラー嫌いなので、ベッドに畳を敷き

その上で寝ることにした。

 

畳に直寝は、弾力性がないので

一般には寝にくいが、貧乏家庭で育ち

煎餅布団には慣れっこ。

山岳部だったので、テント下は雪、岩

寝袋で睡眠。

 

窓辺からショッピングセンターの灯り、家路に向かう駅への

従業員の急ぎ足。

授業員出入口前、道路には数台の車が並び彼女を迎える。

知ることもない人々を上から眺め、何処へ帰るかも知らない。

出会うことのないその人生を思い巡らす。

 

上弦 下弦の月を眺めながら

眠りに入るのは格別だ。

 

 

22日(日)朝9時 20階建て階段を一基上り下り

して遊歩道を歩き新鮮市場へ。

遊歩道を上半身裸の若者が来る。

茜浜遊歩道。

老いたる私は上半身裸であれば

ホームレスにしか見えない。

 

それにしても暑い。

 

50年前 山岳部では、2ℓのポリタンがリユックに詰めて

夏山登山したが、昼飯時に少し飲むことが許され

7分目まで水を幕営地に着くまで残さなければならなかった。

途中、沢を横切り、小さな滝にも出会ったが

水分補給は許されなかった。

当時の非科学的 医学的な無知と根性論が

まかり通っていた。

1年部員だった当時 同期が

余りの喉の渇きに、石油が入ったポリタンを

水のポリタンと間違いこっそり飲んだ部員がいた。

翌朝、顔、首に吹き出物が現れ、

食べ物が喉から吐き出された。

それでも、容赦なく登行させ、歩けなくなると

棒で叩いた。

 

その夏 ワンダーフォーゲル部が

五島列島合宿をしていた。

女子部員が、当時の病名である日射病で昏睡状態になり

その後死亡。

当時は、個人の健康 体力が原因とされ

管理監督の責任は問われることはなかった。

 

そんな古いアナログ体質が、今でも

まかり通っているのが、日大アメフト部。

 

体育会体質に馴染めない

優秀な運動選手が去るのは残念だ。

 

 


NHKでイタリア文具特集。

2018-07-21 11:45:44 | 日記

7月20日(金)

昨夜 酔い過ぎで、ベッドに潜り込んだ。

ラインメールの音がする。

22時50分。

弊社のデザイナー女性からだ。

「NHKでイタリア文房具やってますよ

「うちの鉛筆が出てました」

仕方ねえ!

起きてテレビを点ける。

 

なるほど、色彩豊かなステーショナリーグッズが

画面にアップされる。

 

イタリア人のデザインは、アジア人には、持っていない

スタイル、感性が小さな文具に鮮やかに表現される。

 

唯、クオリティーに関しては、日本制作が優る。

 

弊社は、イタリアトスカーナ

ダライッティーステーショナリーを販売している。

 

プレゼントとして、リボン包装依頼が多い。

 

特に、羽ペンガラスペン注文が多い。

 

 意外や、政治家、有名女優からの注文。

 

映画会社、ディズニーランド正面には

ミッキーマウスと一緒に羽ペンが飾られれている。

 

入学、卒業、誕生日祝い品。

印象が強く、使用しなくとも

手元に置いて、インテリアとして

デスクに置く。

 

この暑さで販売は低迷。

秋まで待たねば。

 

大分民謡。

この秋は

雨か嵐か知らねども

今日の勤めに田の草を刈る。

 

ダメだと思って何もせず

諦めてはいけない。

 

アマゾンショップ

(株)三商 オリジナル制作


50年前の厳冬期白馬岳登頂を回想 4

2018-07-20 16:03:11 | 日記

7月13日(金)

50年前 厳冬期白馬岳登頂回想4 続き 

 

老いたる4人組 白馬岳麓を後にする。

車に乗り込んで、一路東京へ。

50年前 北アルプス登山は、新宿から夜行 急行アルプスか

上野発夜行急行黒部であった。

今では、車で高速道路を突っ走り4時間余で麓まで到着。

半世紀経過の利便性、スピードは、山登りの基礎的な

自らの足で一歩一歩歩き、頂きを極めるという

自虐的登山な精神が衰退しているのかと感じる。

中高年から登山される方が多くなったが

体力、危険度、判断の年齢相応の実感指標が判断できず

無謀な事故が起きているように感ずる。

 

車内では、オジサン達の会話が面白い。

3人の先輩方は、桜上水事務所近くにある

小学校の同級生。

凄い!

こんな年齢まで交流があるのだ。

K大附属中からK大を卒業

ナショナルフラッグに入社した方の半生は、面白い。

親父が政府系金融機関だったので、コネ入社した。

最初の赴任地が沖縄で、アメリカが統治しており本土復帰前。

「沖縄の女子社員は、内地の男と一緒になることに一生懸命」。

「俺も 引っかかってしまった」。

それでも、娘二人生まれたが、二人共現役で東大に入り

官僚、と外資系金融機関に入った。

 

ずっと家庭内別居みたいなことが続いていて

朝昼晩食事は別々で自ら調理して食べる。

仲が悪い訳ではなく、淡々と生活している。

73歳になるのに30代の愛人がいて

暗黙の了解を得ているらしい。

偶然だが、私の実家がある一軒隣の女性とは

職場で同僚だった。

中学3年間クラス一緒。

先日 亡くなった女優生田悦子さんにそっくりの美人で

学業優秀だが気が強く地元の国立大学卒業。

ナショナルフラッグ社内でも、ひと際目立ち華やかであったと言う。

社内結婚したと言う。

私は言った。

 

「まだ、実家に旦那と子供二人で住んでいますよ」

「へ~ あの娘が平凡な生活しているのだ」

複雑な表情で溜息。

 

愛人の為に 顔の現れる加齢斑をレーザー治療している。

 

四方津に住む先輩は、温厚面倒見が良い。

娘さんは、イタリア人と結婚。

フィレンツェで暮らしていたが

不況でハズバンドが失業

日本に子供を連れて実家に戻った。

 

先輩曰く、イタリア人は働かない。

娘が片道3時間かけて働きに出る。

私にも、知り合いの女性二人が外国人と結婚したが

外国人男は働かない。

 

どうも、日本女性は、夫に尽くし

働き稼いで男を養うと思い込んでいるようだ。

娘家族と別居したがっている。

 

山岳部時代、私が1年生の時

4年生だった先輩は波乱万丈の人生だが

やはり温厚で面倒見が良い。

独立して今でも仕事している。

会津奥只見に山荘を所有。

奥さんは、強い人で先輩は頭が上がらない。

だが、相思相愛。

 

70歳過ぎる男は、女房子供に相手されず

家庭内では厄介者。

野生動物だって、象ライオンも

老いては群れから放り出され

戦う体力もなく

ハイエナの餌になって終わり。

 

カマキリは雌が雄食べて命全う。

人間社会も男の寿命が女の寿命より

長かったたら女の取り合いで戦い

絶滅する。

 

老いたる男は、森を彷徨い

朽ち果てて養分になるぐらい。

精々、女房に邪魔扱いされずに

片隅で生きましょう。

 

少しばかりの友人と

有終の酒飲んで墓に参りましょう。

有終の老人達。

歩数計

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


50年前の厳冬期白馬岳登頂を回想 3

2018-07-18 10:54:13 | 日記

50年前の厳冬期白馬岳登頂を回想2

続き

  

帰路の車に乗り込む時

切れ切れに綿帽子の雲間から見え隠れする

山嶺を仰ぎ見た。

 

若くして逝ってしまった同期の無念に想い馳せる。

同期が北アルプスで滑落死して45年の歳月。

生きていれば69歳。

  

それと、51歳で逝った同期は、故郷立山を仰ぎ見る

富山平野の田の畦道に建立した墓石に

31歳で亡くなった父と眠る。 

栂池高原には、頂きから雪渓と緑なす急峻な樹間を吹き抜けて

一陣の爽やかな風が老いた肉体に吹き抜けた。

 

バイバイ 又来るよ


50年前 北アルプス厳冬期白馬岳登頂を回想 2

2018-07-16 17:12:37 | 日記

50年前 北アルプス厳冬期白馬岳登頂を回想 1 より続き

 

13日朝7時起床。

3人は、まだ、寝床から起きない。

野天風呂に浸かり、窓から山嶺を窺うが

ガスに覆われ見えず。

7時半 食堂にて朝食。

皆、飲み過ぎで、心身 がスロー。

室内の飲食残骸を片付け

10時 チェックアウト。

ホテルにて、栂池パノラマウエイ往復乗車券と栂池自然園入園券購入

結構な料金だ?

 

ゴンドラを乗り継いで、標高1400mの栂池自然園入口まで30分で到達。

 

白馬岳13日(

ゴンドラは、鉄塔を通過するごとに、滑車が、ガクンと揺れる。

白馬岳頂上に向う斜面を眺めたのだ。

当時、麓には現在のようなロッジは少なかった。

隣の八方尾根がスキーヤー達に人気があり

栂池からは、大学山岳部が白馬岳登頂を挑むルートであった。

スキーリフトも短く、ゴンドラなどなかった。

 

白馬岳2

昭和42年 5月 谷川岳で雪上訓練

三つ峠 ロッククライミング

夏、南アルプス、北岳バットレス登攀

 

奥秩父縦走

秋 厳冬期縦走のため、立山から槍ヶ岳ルートに食料荷揚げ。

 

そして、昭和42年 12月、立山から槍ヶ岳縦走

 

 

43年3月 北アルプス前穂北尾根登攀。

夏 韓国ウルサナムにてロッククライミング

 

そして、43年12月 栂池より白馬岳登頂を目指した。

 

詳細はクリック。

 

厳冬白馬岳登頂 凍傷になる。

 

脱出下山中、スキーリフトがある場所に来ると

停止していたリフトを動かし

リフトに縛りつけられ下山。

信濃大町昭和電工病院に担ぎ込まれた。

 

50年経過したが、凍傷の後遺症は刻まれたままだ。

毎冬、冷風に曝されると、右耳が痛む。

右手には傷痕、右足親指には、爪が綺麗にならず

ぐちゃぐちゃだ。

その後

厳冬の白馬岳登頂は昭和45年12月に4年生として頂きに立った。

 

ゴンドラを下りて自然園に入る。

尾瀬ケ原と同じく、湿原に木製渡り廊下が通っている。

バスでやって来た高齢の男女が連なる。

 

レンジャーもいて安全体制。

高齢カップル、中年女性グループが多い。

私達老年グループも渡り廊下を進むが

時折、女性グループは、立ち止まり

水芭蕉を撮影、夢中になり後続者が立ち止まり

行列になっているのも気づかないのか気にしない。

この行動が再三見られる。

 

山登りが、すれ違いには挨拶をして道を譲りあうのが

暗黙のマナーなのだが、大娘(ダニャン)(中国語でオバサン)達は

はしゃいでばかり。

雪渓は、谷の底から、所々見えたが

白馬岳の稜線は、雲間に見え隠れ

切り立つ稜線の全貌は見えず残念。

約18キロ歩き自然園を出る。

長距離を歩き慣れていない3人はぐったり

それでも、老人にしては体力がある。

私も 山男ではなく、しょぼくれた普通の爺さんになったと実感。

 

唯、ゴンドラに向かい合っていた先輩が

私をじっと見詰め、

「何で顔に皺 シミがないんだ」?

「分かりません、男兄弟3人とも髪黒く皺がありません」

「遺伝でしょうか」?

遺漏のお袋も入院前は、肌白く皺がなかった。

我が家は貧しかったので、寒村育ちの
お袋が漬ける漬物しか3度の食事でのおかずだった。
発酵食品だ。

 

弊社のデザイナー女性、中野のママさんにも

言われるのだ。

夏場は、真っ黒に日焼けするが秋には元通り。

肌のための食事や、化粧はしないのだ?

 

白馬岳 栂池ゴンドラ

14時 車に乗り一路帰京の途へ

 

続く