13日朝7時起床。
3人は、まだ、寝床から起きない。
野天風呂に浸かり、窓から山嶺を窺うが
ガスに覆われ見えず。
7時半 食堂にて朝食。
皆、飲み過ぎで、心身 がスロー。
室内の飲食残骸を片付け
10時 チェックアウト。
ホテルにて、栂池パノラマウエイ往復乗車券と栂池自然園入園券購入
結構な料金だ?
ゴンドラを乗り継いで、標高1400mの栂池自然園入口まで30分で到達。
白馬岳13日(
ゴンドラは、鉄塔を通過するごとに、滑車が、ガクンと揺れる。
白馬岳頂上に向う斜面を眺めたのだ。
当時、麓には現在のようなロッジは少なかった。
隣の八方尾根がスキーヤー達に人気があり
栂池からは、大学山岳部が白馬岳登頂を挑むルートであった。
スキーリフトも短く、ゴンドラなどなかった。
白馬岳2
昭和42年 5月 谷川岳で雪上訓練
三つ峠 ロッククライミング
夏、南アルプス、北岳バットレス登攀
奥秩父縦走
秋 厳冬期縦走のため、立山から槍ヶ岳ルートに食料荷揚げ。
43年3月 北アルプス前穂北尾根登攀。
夏 韓国ウルサナムにてロッククライミング
そして、43年12月 栂池より白馬岳登頂を目指した。
詳細はクリック。
脱出下山中、スキーリフトがある場所に来ると
停止していたリフトを動かし
リフトに縛りつけられ下山。
信濃大町昭和電工病院に担ぎ込まれた。
50年経過したが、凍傷の後遺症は刻まれたままだ。
毎冬、冷風に曝されると、右耳が痛む。
右手には傷痕、右足親指には、爪が綺麗にならず
ぐちゃぐちゃだ。
その後
厳冬の白馬岳登頂は昭和45年12月に4年生として頂きに立った。
ゴンドラを下りて自然園に入る。
尾瀬ケ原と同じく、湿原に木製渡り廊下が通っている。
バスでやって来た高齢の男女が連なる。
レンジャーもいて安全体制。
高齢カップル、中年女性グループが多い。
私達老年グループも渡り廊下を進むが
時折、女性グループは、立ち止まり
水芭蕉を撮影、夢中になり後続者が立ち止まり
行列になっているのも気づかないのか気にしない。
この行動が再三見られる。
山登りが、すれ違いには挨拶をして道を譲りあうのが
暗黙のマナーなのだが、大娘(ダニャン)(中国語でオバサン)達は
はしゃいでばかり。
雪渓は、谷の底から、所々見えたが
白馬岳の稜線は、雲間に見え隠れ
切り立つ稜線の全貌は見えず残念。
約18キロ歩き自然園を出る。
長距離を歩き慣れていない3人はぐったり。
それでも、老人にしては体力がある。
私も 山男ではなく、しょぼくれた普通の爺さんになったと実感。
唯、ゴンドラに向かい合っていた先輩が
私をじっと見詰め、
「何で顔に皺 シミがないんだ」?
「分かりません、男兄弟3人とも髪黒く皺がありません」
「遺伝でしょうか」?
遺漏のお袋も入院前は、肌白く皺がなかった。
弊社のデザイナー女性、中野のママさんにも
言われるのだ。
夏場は、真っ黒に日焼けするが秋には元通り。
肌のための食事や、化粧はしないのだ?
白馬岳 栂池ゴンドラ
14時 車に乗り一路帰京の途へ
続く