こんにちは。
ちょっと間があいてしまいまして、失礼致しました。
23日の日曜日は、仕事にて笠岡まで出張。
昨日の24日は、これまた知人に誘われて、こちらは全くのプライベートですが、しばらくぶりで宮島を訪れて参りました。
この両日とも、快晴といえる上天気!
雲ひとつ無く晴れ渡り、殊に日曜日などはこれまた行き帰りの道中は、仕事とはいえ、絶好のドライブ日和となりました。
この仕事の件については、いずれどのようなことで参らせて頂いたのか、改めて書かせて頂ければと思います(この
パターン、多いですけどね;)
さて、宮島です。
これもまた往復、車ですが今回はお誘い頂いた方の車で参りましたので、自分はラクチン助手席のヒト^^。
普段、自分でステアリング握るばかりで、当然外の景色なんぞ見ることも無いわけですが、昨日は運転することから
開放され、普段見もしない回りの景色を堪能。
たまには助手席、いいものですね。
宮島は、当然島ですので向こうへ渡るにはフェリー等の船となります。
昨日は、ごく普通に対岸の宮島口から所要時間10分のフェリーで行きましたが、そこに乗る人々の顔ぶれが何とも多彩!
1996年に世界遺産に登録されてからは、それこそ世界各国の人々が観光に訪れることとなり、その数も年々増えてきて
いるようです。
実はこの宮島、自分の父方の父、いわば自分の祖父の本家がある処でして、自分自身のルーツともいうべき場所です。
しかし、現在の自分の代では、父の葬儀の折にその本家の大伯母?に当たる方にお会いしたくらいで、あまりご縁が無いというのが
実状ですね。
どこどこの誰の娘(自分がですね)、といってもお互い、よくわからない感じで;。
それでもやはり、その葬儀でお見かけしたその大伯母の顔つきはどことなく自分にも似ているところがあるようで
血筋ってあるんかいな、と感じたのも事実でした。
ともあれ、そんな自分のことはさておき、件のフェリーに話を戻すと。
顔つきは一緒と感じるけど、どこか違うな~と思うと、韓国の方だったり、おや賑やかねぇ、と思うとこちらは
中国の団体さんだったり、或いは欧米の方だったりと様々。
欧米というと、つい英語圏の人と思いますが話す言葉は英語のそれではなく、どことなくロシア語?と感じたり。
色の白いだけでは、自分のような日本のオバサンには区別がつかないのが本当のところでした^^;。
そんな国際色豊かな人々満載のフェリーが桟橋について(そう、月曜日だというのに満杯なお客さんでしたよ)三々五々
皆さんが降りられるのですが、そこでもまたベビーカーを押す若いパパさんがいたり、お年を召して杖をついておぼつかなそうに
歩く奥様を優しく手を引いてゆっくり進まれるご主人とか、キャピキャピ(相当に古いな、この表現;)の日本のオネエサン方が
いたり、と、ここって宮島じゃったよね?と思わず広島弁でつぶやきたくなるような一コマでした。
それらの人々が一斉にこうして島へ渡られるのですから、もうついた途端、そこらじゅう外人さんだらけ。
先にも書いた如く、そこいら辺で色んな各国語が飛び交っておりましたよ。
そうこうして歩いていくと、ちょっとした人だかりが。
写真にあるように、まるでモデルとしてのこのボクと鹿をそこへセットのように配置したかと思われるようなこの光景。
このボクが、またなんともいえぬ良い笑顔を周りの人々にごく自然に振りまいており、本当に絵になる情景でした。
(この時期の鹿はそれほど攻撃的ではありませんが、秋頃になると繁殖期を向かえ、雄は気が荒くなっていますので
ご注意下さいね)
厳島神社に近づいてくると、ありました、狛犬さんです。
ですが、自分自身、これまでにも散々訪れて、これまた散々目に入っているはずなのに、何故か今まで気づいていませんでした;。
そんなわけで、今回こちらをパチリ。
二枚目のは、まるで啓示を受けたかのような光のシャワーが(笑)
でも、幸先よさそうですよね。
お馴染みの宮島の大鳥居です。
昨日は、これから潮が引いていくようで、結構な人数の人達が、その鳥居のそばまでお越しになっていました。
肝心の厳島神社の境内は、今回自分自身、写真を撮っておりません。
拝礼させて頂くことに気持ちが行っておりましたし、撮った写真はありましたが、大勢の方がかなり写っておりましたので
今回は載せるのを止めさせて頂きました。
美しい朱塗りの回廊や、台風や高波に備えて床板は敢えて隙間を取ってただ置かれていることなど、説明をしだすといくらでも
出てくるのですが、またの機会にさせて頂きたいと思います。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
この三女神が主祭神とされております。
そうして、これはあまりご存知のない方がおられると思いますので、これだけ書かせて頂きますと
回廊を巡り、拝殿で参拝された後は、皆さん普通はそのまま社殿を後にされるのですが、その前に
回廊の少し奥へ進まれますとこちらに「大国神社」(だいこくじんじゃ)として大国主命と保食神(うけもちのかみ)を
合わせ祀(まつ)られておる社が御座います。
こちらは厳島神社のHPでも述べられておりますが、
「房顕覚書」の天平六年(1537年)に大黒と記述があるのが初見で
現在の大国神社と考えられる。かつてはお供え物を此処に仮に安置し御本社に運んでいた。
との記述があります。
ここまで足を運ばれる方はあまりいらっしゃいませんが、訪れることがありましたら、どうぞこちらの
神様にもお手を合わせてみられては如何でしょうか。
厳島神社を参拝したあとは、散策しながらもお腹もすいてきます。
水族館のある辺りまで歩いていきつつ、その辺りのお店に入りお昼とすることにしました。
ここでも、また外人さんの姿が。
商店街とはずいぶん離れている場所にある、いわば食堂のようなお店でしたので、メニューはこれまでそうであったように?
日本語でしか書かれておられません。
それにもかかわらず、皆さんどのように注文なさったのか、自分達日本人が食す、ごく普通の丼物とか麺類を頼まれて
中には不器用ながらも橋を使い、或いは自分よりも器用に箸を使いながら、食事を楽しんでおられました。
そういえば和食もユネスコの無形文化遺産に登録されたんでしたよね。
そんな影響もあるんでしょうか、お客さんは半数以上が外国の方という中で食事をしたのでした。
その後は、また少し歩きつつ
あまり人気のない浜辺から、此方へ来るフェリーを眺めたり
いまが盛りの八重桜を見たりして歩いていました。
そういえば、その桜の木のしたに数人の若者の姿が。
てっきり日本の大学生かと思いきや、これまた英語でペラペラぺラ。
どこまで行っても、外人さんとは縁が切れません。
紅葉谷といわれる辺りまで歩き、今日はこの辺りでやめとこうかと引き返し
豊臣秀吉が作ったとされる千畳閣という処から眼下に臨む厳島神社を眺めたりしていました。
と、少し長くなりましたので、ここで続きとしますね。
ちょっと間があいてしまいまして、失礼致しました。
23日の日曜日は、仕事にて笠岡まで出張。
昨日の24日は、これまた知人に誘われて、こちらは全くのプライベートですが、しばらくぶりで宮島を訪れて参りました。
この両日とも、快晴といえる上天気!
雲ひとつ無く晴れ渡り、殊に日曜日などはこれまた行き帰りの道中は、仕事とはいえ、絶好のドライブ日和となりました。
この仕事の件については、いずれどのようなことで参らせて頂いたのか、改めて書かせて頂ければと思います(この
パターン、多いですけどね;)
さて、宮島です。
これもまた往復、車ですが今回はお誘い頂いた方の車で参りましたので、自分はラクチン助手席のヒト^^。
普段、自分でステアリング握るばかりで、当然外の景色なんぞ見ることも無いわけですが、昨日は運転することから
開放され、普段見もしない回りの景色を堪能。
たまには助手席、いいものですね。
宮島は、当然島ですので向こうへ渡るにはフェリー等の船となります。
昨日は、ごく普通に対岸の宮島口から所要時間10分のフェリーで行きましたが、そこに乗る人々の顔ぶれが何とも多彩!
1996年に世界遺産に登録されてからは、それこそ世界各国の人々が観光に訪れることとなり、その数も年々増えてきて
いるようです。
実はこの宮島、自分の父方の父、いわば自分の祖父の本家がある処でして、自分自身のルーツともいうべき場所です。
しかし、現在の自分の代では、父の葬儀の折にその本家の大伯母?に当たる方にお会いしたくらいで、あまりご縁が無いというのが
実状ですね。
どこどこの誰の娘(自分がですね)、といってもお互い、よくわからない感じで;。
それでもやはり、その葬儀でお見かけしたその大伯母の顔つきはどことなく自分にも似ているところがあるようで
血筋ってあるんかいな、と感じたのも事実でした。
ともあれ、そんな自分のことはさておき、件のフェリーに話を戻すと。
顔つきは一緒と感じるけど、どこか違うな~と思うと、韓国の方だったり、おや賑やかねぇ、と思うとこちらは
中国の団体さんだったり、或いは欧米の方だったりと様々。
欧米というと、つい英語圏の人と思いますが話す言葉は英語のそれではなく、どことなくロシア語?と感じたり。
色の白いだけでは、自分のような日本のオバサンには区別がつかないのが本当のところでした^^;。
そんな国際色豊かな人々満載のフェリーが桟橋について(そう、月曜日だというのに満杯なお客さんでしたよ)三々五々
皆さんが降りられるのですが、そこでもまたベビーカーを押す若いパパさんがいたり、お年を召して杖をついておぼつかなそうに
歩く奥様を優しく手を引いてゆっくり進まれるご主人とか、キャピキャピ(相当に古いな、この表現;)の日本のオネエサン方が
いたり、と、ここって宮島じゃったよね?と思わず広島弁でつぶやきたくなるような一コマでした。
それらの人々が一斉にこうして島へ渡られるのですから、もうついた途端、そこらじゅう外人さんだらけ。
先にも書いた如く、そこいら辺で色んな各国語が飛び交っておりましたよ。
そうこうして歩いていくと、ちょっとした人だかりが。
写真にあるように、まるでモデルとしてのこのボクと鹿をそこへセットのように配置したかと思われるようなこの光景。
このボクが、またなんともいえぬ良い笑顔を周りの人々にごく自然に振りまいており、本当に絵になる情景でした。
(この時期の鹿はそれほど攻撃的ではありませんが、秋頃になると繁殖期を向かえ、雄は気が荒くなっていますので
ご注意下さいね)
厳島神社に近づいてくると、ありました、狛犬さんです。
ですが、自分自身、これまでにも散々訪れて、これまた散々目に入っているはずなのに、何故か今まで気づいていませんでした;。
そんなわけで、今回こちらをパチリ。
二枚目のは、まるで啓示を受けたかのような光のシャワーが(笑)
でも、幸先よさそうですよね。
お馴染みの宮島の大鳥居です。
昨日は、これから潮が引いていくようで、結構な人数の人達が、その鳥居のそばまでお越しになっていました。
肝心の厳島神社の境内は、今回自分自身、写真を撮っておりません。
拝礼させて頂くことに気持ちが行っておりましたし、撮った写真はありましたが、大勢の方がかなり写っておりましたので
今回は載せるのを止めさせて頂きました。
美しい朱塗りの回廊や、台風や高波に備えて床板は敢えて隙間を取ってただ置かれていることなど、説明をしだすといくらでも
出てくるのですが、またの機会にさせて頂きたいと思います。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
この三女神が主祭神とされております。
そうして、これはあまりご存知のない方がおられると思いますので、これだけ書かせて頂きますと
回廊を巡り、拝殿で参拝された後は、皆さん普通はそのまま社殿を後にされるのですが、その前に
回廊の少し奥へ進まれますとこちらに「大国神社」(だいこくじんじゃ)として大国主命と保食神(うけもちのかみ)を
合わせ祀(まつ)られておる社が御座います。
こちらは厳島神社のHPでも述べられておりますが、
「房顕覚書」の天平六年(1537年)に大黒と記述があるのが初見で
現在の大国神社と考えられる。かつてはお供え物を此処に仮に安置し御本社に運んでいた。
との記述があります。
ここまで足を運ばれる方はあまりいらっしゃいませんが、訪れることがありましたら、どうぞこちらの
神様にもお手を合わせてみられては如何でしょうか。
厳島神社を参拝したあとは、散策しながらもお腹もすいてきます。
水族館のある辺りまで歩いていきつつ、その辺りのお店に入りお昼とすることにしました。
ここでも、また外人さんの姿が。
商店街とはずいぶん離れている場所にある、いわば食堂のようなお店でしたので、メニューはこれまでそうであったように?
日本語でしか書かれておられません。
それにもかかわらず、皆さんどのように注文なさったのか、自分達日本人が食す、ごく普通の丼物とか麺類を頼まれて
中には不器用ながらも橋を使い、或いは自分よりも器用に箸を使いながら、食事を楽しんでおられました。
そういえば和食もユネスコの無形文化遺産に登録されたんでしたよね。
そんな影響もあるんでしょうか、お客さんは半数以上が外国の方という中で食事をしたのでした。
その後は、また少し歩きつつ
あまり人気のない浜辺から、此方へ来るフェリーを眺めたり
いまが盛りの八重桜を見たりして歩いていました。
そういえば、その桜の木のしたに数人の若者の姿が。
てっきり日本の大学生かと思いきや、これまた英語でペラペラぺラ。
どこまで行っても、外人さんとは縁が切れません。
紅葉谷といわれる辺りまで歩き、今日はこの辺りでやめとこうかと引き返し
豊臣秀吉が作ったとされる千畳閣という処から眼下に臨む厳島神社を眺めたりしていました。
と、少し長くなりましたので、ここで続きとしますね。
狛犬さんに降り注ぐ光のシャワー
「私たち」写真仲間のあいだでは
「天使の梯子」とも呼んでいます!
あおぞらさんだからこそ
気づくことができた光景ですよね(*^_^*)
狛犬さんに降り注ぐ光のシャワー
「私たち」写真仲間のあいだでは
「天使の梯子」とも呼んでいます!
あおぞらさんだからこそ
気づくことができた光景ですよね(*^_^*)
ましてや申す如くガラケーでの撮影?眩しくてその場ではよく確認出来てなかったりしますしね^^;。
この日は上天気、本当に気持ちよい時に神様の島を訪れさせて頂けて何よりでした^^。