こんばんは。
朝起きるとこれまでとは違い少し肌寒さを覚えました。
窓を開けると明らかに空気が冷たい、そう感じます。
秋から冬へと季節が入れ替わったようですね。
以前とは違いいきなりの、いわばデジタルな切り替わりなのは今後なおそのように進んで行くのかもしれません。
今日は大嘗祭、それに伴い出雲大社をはじめ、全国の分祠、教会、また自分達のような講社に至るまで大嘗祭当日際をご奉仕致しました。
天皇ご自身がなさいますのは今夜一晩を掛けて斎行されますが、我々はその大嘗祭に先がけてということでありました。
これは即位の礼の折にもそうでしたが、この度も同様に当日祭祝詞を奏上させて頂き、祈念申し上げたものです。
先の即位礼の際にもこれまたそうであったように、今日も朝から気持ちよく晴れておりました。
さながら天候も配慮を示すかのように感じられます。
弊講社のこととてどなたもご参列にはなられませんでしたが、神様と自分、相対してのお祭りとなりました。
祝詞の文言に「海川山野の味物を置足らわし」(うみかわやまぬのためつものをおきたらわし)とあります。
これは神様の御前に山海で採れた(あるいは獲れた)様々な食べ物をお供えしてという意味合いですが、うちではそこまでもいかず;
せいぜいが野菜と海産物をお供えしてのお祭りとなりました。(お恥ずかしい;)
それでも大神様に召し上がって頂こうというお心のもとにお供えさせて頂いた物です。
即位礼の際と同じく斎服(さいぐく)という装束に身を包み、気持ちも厳かにお祭りに臨みました。
いつになく朗々とした声が出るなと我ながら思いつつら祝詞奏上後は奉幣を振り祈念申し上げました。
この際に頭の中では、どうぞこの令和の御代が皆様の心が一つになり新しい時代へとなって参りますように、一世一代、この御代が
どうぞ安らかで国民(くにたみ)が、この国土が良くあれますように、と本当に有難うございますとそのような事柄しか浮かんできませんでした。
即位礼、臨時大祓、この度の大嘗祭当日祭、そのいずれにおいても感極まる思いが致し、こみ上げるものを感じておりました。
大袈裟でも何でもなく、ただただ、ああ有難いなぁ、そう感じるばかりでした。
その祝詞奏上後、大神からは
“ ようそろう
良き哉 ”
このような言葉を賜りました。
長い言葉ではなく頭の中に多くの煌くような光り輝くような、そのような感覚が押し寄せてくる感じです。
言葉に言い表せないのがもどかしいのですが、嬉しいという思いの最上級というところでしょうか。(余計分かり難いけれど;)
つまりは神様ご自身がとてもお喜びであるということなのでしょう。
上で記した事の中には、そこまで自分が思えることがあるのかというような事柄を書いておりますが己れ自身が装束に身を包むと何故かしら
そのような思いが押し寄せるようにして湧き上がって参ります。
神主という者自身が、神様と人間の仲取り持ち、つまりは中間に位置するからこそそのような思いも浮かび上がるのではと感じます。
奉幣を振り終わり目を開けると図ったかのように窓から光が差し込んできました。
今日の日を天も祝して下さっているかのようでした。
大嘗祭当日祭を無事済ませ装束も畳み、外を見てみるとこの季節特有の千切れ雲が多く飛んでおります。
またもやスマホを片手にバシャバシャ写しておりますと。
さながらうねるような雲が見えてきます。
尚も撮っておりますと。
(手前が邪魔ですが少しだけ睨みの利いた龍に見えませんか?)
(此方は少しひげのある龍?)
最後は。
(上の光る雲に注目)
(僅かな時間の中で・・・)
(龍の背に乗るどなたか?に見えてきたかも?)
見え方や感じ方は人それぞれですし、どう見てもただの雲でしかない、そう言われればそれまでです。
けれど祭りの後に自分にしか分からずとも、これほどまでに龍の姿を見させて頂けたのは何にも増して嬉しいばかりです。
先にも申したように天までもが祝福して下さっている、そんなように感じられた空の有り様でした。
夕方歩いてくると昨日までとは違い、相当に風が冷たく感じられました。
最初に述べたように季節の空気の入れ替えをしたかのようです。
これからぐっと気温が下がってくるのでしょう。
被災地ではまだまだ手を入れねばならない箇所、また個人宅もかなりの数に上るかと思われます。
寒い季節を迎えますがどうか少しでも早く元のように近づいて頂ければと願う思いです。
(またもや龍みたい? 笑;)
(こちらは空行くクジラでしょうか)
今日は大嘗祭当日祭について書かせて頂きました。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝起きるとこれまでとは違い少し肌寒さを覚えました。
窓を開けると明らかに空気が冷たい、そう感じます。
秋から冬へと季節が入れ替わったようですね。
以前とは違いいきなりの、いわばデジタルな切り替わりなのは今後なおそのように進んで行くのかもしれません。
今日は大嘗祭、それに伴い出雲大社をはじめ、全国の分祠、教会、また自分達のような講社に至るまで大嘗祭当日際をご奉仕致しました。
天皇ご自身がなさいますのは今夜一晩を掛けて斎行されますが、我々はその大嘗祭に先がけてということでありました。
これは即位の礼の折にもそうでしたが、この度も同様に当日祭祝詞を奏上させて頂き、祈念申し上げたものです。
先の即位礼の際にもこれまたそうであったように、今日も朝から気持ちよく晴れておりました。
さながら天候も配慮を示すかのように感じられます。
弊講社のこととてどなたもご参列にはなられませんでしたが、神様と自分、相対してのお祭りとなりました。
祝詞の文言に「海川山野の味物を置足らわし」(うみかわやまぬのためつものをおきたらわし)とあります。
これは神様の御前に山海で採れた(あるいは獲れた)様々な食べ物をお供えしてという意味合いですが、うちではそこまでもいかず;
せいぜいが野菜と海産物をお供えしてのお祭りとなりました。(お恥ずかしい;)
それでも大神様に召し上がって頂こうというお心のもとにお供えさせて頂いた物です。
即位礼の際と同じく斎服(さいぐく)という装束に身を包み、気持ちも厳かにお祭りに臨みました。
いつになく朗々とした声が出るなと我ながら思いつつら祝詞奏上後は奉幣を振り祈念申し上げました。
この際に頭の中では、どうぞこの令和の御代が皆様の心が一つになり新しい時代へとなって参りますように、一世一代、この御代が
どうぞ安らかで国民(くにたみ)が、この国土が良くあれますように、と本当に有難うございますとそのような事柄しか浮かんできませんでした。
即位礼、臨時大祓、この度の大嘗祭当日祭、そのいずれにおいても感極まる思いが致し、こみ上げるものを感じておりました。
大袈裟でも何でもなく、ただただ、ああ有難いなぁ、そう感じるばかりでした。
その祝詞奏上後、大神からは
“ ようそろう
良き哉 ”
このような言葉を賜りました。
長い言葉ではなく頭の中に多くの煌くような光り輝くような、そのような感覚が押し寄せてくる感じです。
言葉に言い表せないのがもどかしいのですが、嬉しいという思いの最上級というところでしょうか。(余計分かり難いけれど;)
つまりは神様ご自身がとてもお喜びであるということなのでしょう。
上で記した事の中には、そこまで自分が思えることがあるのかというような事柄を書いておりますが己れ自身が装束に身を包むと何故かしら
そのような思いが押し寄せるようにして湧き上がって参ります。
神主という者自身が、神様と人間の仲取り持ち、つまりは中間に位置するからこそそのような思いも浮かび上がるのではと感じます。
奉幣を振り終わり目を開けると図ったかのように窓から光が差し込んできました。
今日の日を天も祝して下さっているかのようでした。
大嘗祭当日祭を無事済ませ装束も畳み、外を見てみるとこの季節特有の千切れ雲が多く飛んでおります。
またもやスマホを片手にバシャバシャ写しておりますと。
さながらうねるような雲が見えてきます。
尚も撮っておりますと。
(手前が邪魔ですが少しだけ睨みの利いた龍に見えませんか?)
(此方は少しひげのある龍?)
最後は。
(上の光る雲に注目)
(僅かな時間の中で・・・)
(龍の背に乗るどなたか?に見えてきたかも?)
見え方や感じ方は人それぞれですし、どう見てもただの雲でしかない、そう言われればそれまでです。
けれど祭りの後に自分にしか分からずとも、これほどまでに龍の姿を見させて頂けたのは何にも増して嬉しいばかりです。
先にも申したように天までもが祝福して下さっている、そんなように感じられた空の有り様でした。
夕方歩いてくると昨日までとは違い、相当に風が冷たく感じられました。
最初に述べたように季節の空気の入れ替えをしたかのようです。
これからぐっと気温が下がってくるのでしょう。
被災地ではまだまだ手を入れねばならない箇所、また個人宅もかなりの数に上るかと思われます。
寒い季節を迎えますがどうか少しでも早く元のように近づいて頂ければと願う思いです。
(またもや龍みたい? 笑;)
(こちらは空行くクジラでしょうか)
今日は大嘗祭当日祭について書かせて頂きました。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。