こんばんは。
今日も今日とて良いお天気です。
その上、なんとなく空気そのものが白けているようで、PM2.5もかなり高いような気がします。
湿気がないのは助かりますが、こうも潤いが無いのも困り者です。
で、今朝のお日様。
どことなく雲はありますが、その後はほとんど雲なし状態。
本気で雨乞いしようかと思っております。(じゃ、早くしろと言われそうですね;)
昨日、もう一つ思い出した話があると書いており、どうしようかと思いましたけれど、上げてみることに致します。
これもまた信じられないような、そんな話の一つではあります。
それは、主人と一緒になる少し前の事でした。
春、おそらく3月頃だったのではと思います。
二人で車に乗っており、場所は安佐南区の緑井あたりだったかと記憶しております。
これもまた、自分の得意分野?のようですが、ふとあの山って登れるのかな?と思いつき、運転している主人に尋ねると、これから行ってみるか
ということになり、そのまま車を走らせました。
その山というのは、テレビの電波塔のある権現山というところで、此処へは頂上まで車で登って行くことができます。
おそらくウィークデイだったのか、その頂上あたりやその途中にも桜があり、それを観るのにシーズンともなると結構な人や車がいるのです
が、その時には自分たち二人だけでした。
車を停めてくるという主人に、自分は先に上の方へ行く旨を告げて歩き出しました。
歩き出すと、これもまた歩いて登って来られたのか、資材を担いだその当時の運輸省の職員の方とおぼしき若い二人連れの男性が測量かなにかを
しにこられている姿を目にしました。
その時、自分は、一人の方と目が合ったように感じていました。
とはいえ、お互い知らぬ同士ですので、特に会釈するでもなく、そのまま自分達の進む方向へと向かったように思います。
自分自身は、元々お転婆といわれてきたような方ですので;、その時どのような格好をしていたのかは忘れましたが、どうやら大きな岩を
見つけて、その上に登ってみようと考えたのでした。
その岩自体は、かなり狭い場所を通らねばその上に登れないのもわかっておりましたが、先ほども申した如く、そのお転婆が功を奏し?よじ登って
みたのでした。
そこをようやっとで登ると、見えたのは、その下に広がる景色です。
すぐ近くにはゴルフコースもあるのですが、そこでプレイする様な音が響いてきたり、或いはすぐそばで鳴いているような鶯の声やら、様々な音が
耳元に届いてきて、ああ、気持ちいいなぁ、このままずっと此処へ居たいなぁ、と感じていたのでした。
時間は多分午後の3時過ぎくらいだったかと思います。
何故それを覚えているかといえば、大体それくらいの時間には、大抵おなかがすいたとかといい、何がしかお茶したりしていたからでした。
ですので、この山に登る前、来る前にもどこかでお茶して行こうかという主人の提案に、いや今いいよと断ったのも覚えていたからです。
こう書くのも、そんなお茶もなにもしていないのに、おなかもすかなければ喉も渇かない、ただひたすら気持ちいいなぁ、此処から帰りたくない
なぁ、と感じていたからでした。
自分が感じたその時の時間は、ほんの5分程度だったかと思います。
その頃、車を停めた主人は、先にどこかへ行った私を捜しにあちこちを歩き回っていたようでした。
申すように山の頂上ですし、車が停められるとはいえ、さほど広い場所ではありません。
捜すのも、それこそものの5分もあれば見つかるような場所です。
それにもかかわらず、いくら声をだして名前を呼んでも一向に出てくる気配はなく、だんだんと焦って来ていたようでした。
折りしも、先ほど自分が出会った運輸省の若い職員さんに主人も出くわし、此処で女性を見かけなかったかと尋ねたのですが、誰一人として
此処へは来ていませんよ、との答えしか返って来なかったといいます。
もし見かけたら、また教えて下さいと頼み、主人はまだあちこちを捜してくれていたのでした。
そんなことになっているなど露知らぬ自分は、その頃、そよ吹く風に頬を撫でられながら、ひたすら気持ちいいなぁ、とそればかりを感じて
いました。
が、ふと、あ、そうだ、主人はどうしているのだろうという思いが頭をよぎり、そろそろ此処の岩から下りようかという気になって、その場所
から離れました。
木々の間を抜けて、道路のあたりへ姿を現した私を見つけた主人は、驚くともなんとも言えぬような顔をして此方を見返してきました。
「どこ行っとったんや」
と咎めるとも安心したともとれるような声をして聞くので
「ごめんなさい、あそこの辺りにある岩の上から景色眺めてました」
と答えると
「あそこの岩か?あそこはさっき行ってみたけど、誰もおらんかった。それもじゃけど、大声で呼んだのも聞こえんかったんか」
と更に尋ねるので
「なんにも聞こえんかったよ、下のゴルフ場の音と鳥の声しか聞こえてないよ。あ、でも運輸省の人二人にあったよ」
と話すと、
「女の人なんて、見てもないと言いよったぞ」
と話したのでした。
自分が車から下りて主人と別れ、その後もう一度顔を合わせた頃には、ゆうに一時間は経っていました。
自分自身はものの5分と感じていた時間でしたが、実際にはそのくらいの時間が経過していたことになります。
その間、自分は周りの人や景色は見えていたのに、周りの人、主人も含めてですが、その人たちはこちら側は見えていなかったということ
になりますね。
いつもの如く、ふと気づいて岩を下りた自分でしたが、それにはどうやら理由があったようでした。
私がいなくなったと思った主人は、そういえばこの辺りに小さな祠があったはずと気づき、辺り一帯を探したようです。
そうして見つけたその祠の神様に向かい、此処で見当たらなくなった連れの者を戻して欲しいと一心に拝んだそうです。
ややすると、私がどこからともなく現れて来て、先ほどの会話をしたことに繋がったのでした。
そんな経緯があったことなど全く知らず、のほほんとしてこれまでの事を聞いていたわけですけれど、もしあの時、主人がその祠の神様に
私を返して欲しいと祈ってくれなければ、実際には自分はどうなっていたのか、そう思います。
あの岩の上では飲食のことなども忘れる位、ただただひたすら気持ちよく、いつまでもこうして此処へ居たいと思っておりましたので。
時間も気にもなりませんでした。
岩の上やら辺りを捜しても声を上げて呼んでも全く見つからず、誰も自分の姿を見てもいない。
それこそ、同じ場所でありながら、別の次元に存在する、こちら側とあちら側のように思えます。
よく「神隠し」といいますが、あの時の自分はもしかすると、そのような状態だったのかもしれません。
今思い返しても、我ながら不思議な体験でした。
この時の話は、その頃自分達の方が面白がってしまい、色んな人にも話したのですけれど、皆さん怪訝そうな顔をするばかりだったのも
覚えております。
息子が幼稚園だったか、もう少し後だったか、やはり同じように桜の咲く時期にそこを訪れ、今度は二人してその岩に登り、最後に件の祠の
神様にお神酒を差し上げて、その時のお礼を申し上げました。
その時には、その岩に登っても、もう以前のようなことは当然起こらず、ごくごく普通に景色を堪能してきたのでした。
今日もまた、煙に巻くような話でした。
ですけれど、自分が体験したことでもあります。
どんな風に感じられるかは、皆さんにお任せしたいと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。
ご相談等、承っております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方の方へお知らせ頂ければと存じます。
今日も今日とて良いお天気です。
その上、なんとなく空気そのものが白けているようで、PM2.5もかなり高いような気がします。
湿気がないのは助かりますが、こうも潤いが無いのも困り者です。
で、今朝のお日様。
どことなく雲はありますが、その後はほとんど雲なし状態。
本気で雨乞いしようかと思っております。(じゃ、早くしろと言われそうですね;)
昨日、もう一つ思い出した話があると書いており、どうしようかと思いましたけれど、上げてみることに致します。
これもまた信じられないような、そんな話の一つではあります。
それは、主人と一緒になる少し前の事でした。
春、おそらく3月頃だったのではと思います。
二人で車に乗っており、場所は安佐南区の緑井あたりだったかと記憶しております。
これもまた、自分の得意分野?のようですが、ふとあの山って登れるのかな?と思いつき、運転している主人に尋ねると、これから行ってみるか
ということになり、そのまま車を走らせました。
その山というのは、テレビの電波塔のある権現山というところで、此処へは頂上まで車で登って行くことができます。
おそらくウィークデイだったのか、その頂上あたりやその途中にも桜があり、それを観るのにシーズンともなると結構な人や車がいるのです
が、その時には自分たち二人だけでした。
車を停めてくるという主人に、自分は先に上の方へ行く旨を告げて歩き出しました。
歩き出すと、これもまた歩いて登って来られたのか、資材を担いだその当時の運輸省の職員の方とおぼしき若い二人連れの男性が測量かなにかを
しにこられている姿を目にしました。
その時、自分は、一人の方と目が合ったように感じていました。
とはいえ、お互い知らぬ同士ですので、特に会釈するでもなく、そのまま自分達の進む方向へと向かったように思います。
自分自身は、元々お転婆といわれてきたような方ですので;、その時どのような格好をしていたのかは忘れましたが、どうやら大きな岩を
見つけて、その上に登ってみようと考えたのでした。
その岩自体は、かなり狭い場所を通らねばその上に登れないのもわかっておりましたが、先ほども申した如く、そのお転婆が功を奏し?よじ登って
みたのでした。
そこをようやっとで登ると、見えたのは、その下に広がる景色です。
すぐ近くにはゴルフコースもあるのですが、そこでプレイする様な音が響いてきたり、或いはすぐそばで鳴いているような鶯の声やら、様々な音が
耳元に届いてきて、ああ、気持ちいいなぁ、このままずっと此処へ居たいなぁ、と感じていたのでした。
時間は多分午後の3時過ぎくらいだったかと思います。
何故それを覚えているかといえば、大体それくらいの時間には、大抵おなかがすいたとかといい、何がしかお茶したりしていたからでした。
ですので、この山に登る前、来る前にもどこかでお茶して行こうかという主人の提案に、いや今いいよと断ったのも覚えていたからです。
こう書くのも、そんなお茶もなにもしていないのに、おなかもすかなければ喉も渇かない、ただひたすら気持ちいいなぁ、此処から帰りたくない
なぁ、と感じていたからでした。
自分が感じたその時の時間は、ほんの5分程度だったかと思います。
その頃、車を停めた主人は、先にどこかへ行った私を捜しにあちこちを歩き回っていたようでした。
申すように山の頂上ですし、車が停められるとはいえ、さほど広い場所ではありません。
捜すのも、それこそものの5分もあれば見つかるような場所です。
それにもかかわらず、いくら声をだして名前を呼んでも一向に出てくる気配はなく、だんだんと焦って来ていたようでした。
折りしも、先ほど自分が出会った運輸省の若い職員さんに主人も出くわし、此処で女性を見かけなかったかと尋ねたのですが、誰一人として
此処へは来ていませんよ、との答えしか返って来なかったといいます。
もし見かけたら、また教えて下さいと頼み、主人はまだあちこちを捜してくれていたのでした。
そんなことになっているなど露知らぬ自分は、その頃、そよ吹く風に頬を撫でられながら、ひたすら気持ちいいなぁ、とそればかりを感じて
いました。
が、ふと、あ、そうだ、主人はどうしているのだろうという思いが頭をよぎり、そろそろ此処の岩から下りようかという気になって、その場所
から離れました。
木々の間を抜けて、道路のあたりへ姿を現した私を見つけた主人は、驚くともなんとも言えぬような顔をして此方を見返してきました。
「どこ行っとったんや」
と咎めるとも安心したともとれるような声をして聞くので
「ごめんなさい、あそこの辺りにある岩の上から景色眺めてました」
と答えると
「あそこの岩か?あそこはさっき行ってみたけど、誰もおらんかった。それもじゃけど、大声で呼んだのも聞こえんかったんか」
と更に尋ねるので
「なんにも聞こえんかったよ、下のゴルフ場の音と鳥の声しか聞こえてないよ。あ、でも運輸省の人二人にあったよ」
と話すと、
「女の人なんて、見てもないと言いよったぞ」
と話したのでした。
自分が車から下りて主人と別れ、その後もう一度顔を合わせた頃には、ゆうに一時間は経っていました。
自分自身はものの5分と感じていた時間でしたが、実際にはそのくらいの時間が経過していたことになります。
その間、自分は周りの人や景色は見えていたのに、周りの人、主人も含めてですが、その人たちはこちら側は見えていなかったということ
になりますね。
いつもの如く、ふと気づいて岩を下りた自分でしたが、それにはどうやら理由があったようでした。
私がいなくなったと思った主人は、そういえばこの辺りに小さな祠があったはずと気づき、辺り一帯を探したようです。
そうして見つけたその祠の神様に向かい、此処で見当たらなくなった連れの者を戻して欲しいと一心に拝んだそうです。
ややすると、私がどこからともなく現れて来て、先ほどの会話をしたことに繋がったのでした。
そんな経緯があったことなど全く知らず、のほほんとしてこれまでの事を聞いていたわけですけれど、もしあの時、主人がその祠の神様に
私を返して欲しいと祈ってくれなければ、実際には自分はどうなっていたのか、そう思います。
あの岩の上では飲食のことなども忘れる位、ただただひたすら気持ちよく、いつまでもこうして此処へ居たいと思っておりましたので。
時間も気にもなりませんでした。
岩の上やら辺りを捜しても声を上げて呼んでも全く見つからず、誰も自分の姿を見てもいない。
それこそ、同じ場所でありながら、別の次元に存在する、こちら側とあちら側のように思えます。
よく「神隠し」といいますが、あの時の自分はもしかすると、そのような状態だったのかもしれません。
今思い返しても、我ながら不思議な体験でした。
この時の話は、その頃自分達の方が面白がってしまい、色んな人にも話したのですけれど、皆さん怪訝そうな顔をするばかりだったのも
覚えております。
息子が幼稚園だったか、もう少し後だったか、やはり同じように桜の咲く時期にそこを訪れ、今度は二人してその岩に登り、最後に件の祠の
神様にお神酒を差し上げて、その時のお礼を申し上げました。
その時には、その岩に登っても、もう以前のようなことは当然起こらず、ごくごく普通に景色を堪能してきたのでした。
今日もまた、煙に巻くような話でした。
ですけれど、自分が体験したことでもあります。
どんな風に感じられるかは、皆さんにお任せしたいと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。
ご相談等、承っております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方の方へお知らせ頂ければと存じます。