日々徒然なるままに

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叔父の引き際

2019-01-30 21:03:18 | 家族のこと
こんばんは。
先日雪が降りましたが、それ以降は目立って天候が崩れることはなく晴天が続いております。
活動するには何かと楽ではありますが、インフルエンザ等のこと、また作物、水の量等を考えると一概に喜べないところですね。
もう少し降ってほしい、雪でも雨でもというこのところです。


                                   


                                    





                                   




                                      




                                         





昨夜のシリウス、続いて今朝の空です。
昨日ブログでは眠いと書いておりましたが、あの後お風呂に入りグズグズしておりますと眠いけれども寝られないというそんな感じになり
結局床に就いたのはいつもの零時近く、また布団に入った後も神経が昂ぶっていたのかいつまでも頭が変に冴えているようでした。
夢も朝起きた時には結構覚えておるほどでしたが、それも次第に薄れておりました。
いずれにしても身体は疲れていても休めない、そんな風でした。  




                                        




それでも一晩寝ると気持ちもかなり持ち直しており、昨日の葬儀の続きを書くのもどうだかな;という気にもなっております。
最中の様子はあのようなものですし、どうもね;ですけれど。
そう感じながらもとうとつと書かせて頂くことと致しました。

後は出棺し斎場にて最後の別れとなります。
棺が火葬場の扉の向こうへ行ってしまい最後に閉められボタンを押されると、とうとうこれであの姿には会えないんだなとより一層寂しさが
募りました。
分かっていてもどうにも出来ない気持ちというのがあるもんだなぁと我ながら感じていたのでした。
そうこうしつつも待合室ではこの時間を利用してお昼のお弁当が用意されておりました。
昨日も申したように見知った顔は従兄弟くらい、後はほぼ叔母方のご親族でもあり結局はそのように分かれてそれぞれに食事を取りました。
弟は葬儀の最中に会社からの電話で出棺のタイミングで一足先に戻りました。
食事をしながら叔父について話をしつつ、外に目をやると気持ちがよいほどのお天気です。
斎場自体がまだ新しく一面のガラス張りの向こうには山並みとともに遠くには瀬戸の海も見えるようです。
こんなお天気の良い日に葬儀ということは、叔父は案外と日を選んで逝ったのかもしれない、とふと感じておりました。
息絶えたのはこの27日の日曜日の朝、雪が降った次の日です。
と言っても叔父の住まう処は割りと暖かい沿岸部であり、雪までは降らなかったのではとも思います。
それまでどのようにして叔父が亡くなったのか全く分からず、自分ら親戚が知らぬ間に患ってでもいたのだろうかと考えておりましたが、そうでは
なかったようでした。
叔父の息子、今回喪主を務めた長男、つまりは彼も従兄弟となる訳ですが、その彼の話によると彼自身とても出張が多い仕事らしくこの27日の
朝もその出張に出かけるところだったのだといいます。
いつも寝ている父親に一声掛けて出かけるとこのことで、この日も普段通りに行ってくるよと声を掛けると大抵、ああ、とか気をつけてなと言葉が
返ってくるのに、その日に限って何も返答がなかったのだそうでした。
不振に思い、部屋へ入り身体に触れてみると既に冷たくなっていたとのことでした。
前日の夜まで特に変わった様子もなく、少ししんどいけど、と言いつつも普段通りに床に就いたようでした。
結局は寝ている間に逝ってしまっていたのだろうということでした。
家族にとってみれば、まさに突然の事で何も予想もしていなかったと言います。
それで葬儀の際、この長男の妹、従姉妹はなんとも言えぬほど泣いておったのかとその時に改めて感じました。
確かに自分の父親ですから悲しくない訳はなく泣いて当然ですけれど、どうにもならぬほど悲しみが強いように思っておりました。
彼女自身は嫁いだ身であり、実家とは離れた広島市内へおります。
訃報を聞いて、まさかと思いながら実家へ戻ってきたのだろうことは想像に難くありません。
それはこの長男とて同じ思いでしょう。
昨日まで何の変哲もなく、やや疲れたとはいえ普通であった父が別れの挨拶をすることなどなくいきなり此方の世界を旅立ったのですから。
生涯無口であり決して怒るということのない人でした、と同時に声を上げて笑うということも少なく、子供や孫らにしてみればそんな父親、
おじいちゃんを如何にして笑わせるかが課題のようなものだったとも話してくれました。
従姉妹はまた、母親を家で殆ど一人で面倒をみていた父だったけれど、少し前に母をようやっとで施設に入れることが出来、少しばかりホッと
した気持ちもあったのではないのか、そんな風に話しておりました。
自分の役目も一応はひと段落した、そのように思ったのかもしれないとも言っておりました。
無口な叔父、おにいちゃんにしてみれば此方にすれば突然にみえても、案外と全てし終えた後の引き際だったのかもしれません。





                                    






今朝は久しぶりで祝詞奏上をさせて頂いたように感じます。
大神からの言葉を受け取りました。

 大神

 (叔父のこと)


 “ この御霊 今しばし此方(の世界へ)おるであろう    

   別れは この者にとっては この時と決めておったようなもの

   あまりに突然な事ゆえ 周りの者は驚き 悲しんだであろうが

   今しばし思い出を語り合うが良かろう

   機会あれば また ○○○    ”


祝詞の後、奉幣を振りながら頭の中へ浮かんだ言葉です。 
やはり考えてしまうのは、どうしても叔父のことであり、それを思いながらおりますとこのような事を言われたのでした。
此方の世界というのは、我々がいるこの3次元のことと思います。
既に目に見える肉体はないけれど、御霊、魂としてはこの世とあの世の中間位にいるのではないのか、そう思います。
そのような世界で自分達には見えずとも、御霊として自由にあちこちへ行っておるのではとも感じます。
うちの主人は亡くなる前に勝手に?肉体を飛び出して知り合いのところを訪ねていたようでしたけれど、それはあくまで身体が不自由であった
が故に一足早くそうしていたのでしょう。(このことは以前に書いておりますね)
叔父の場合は、身体は不自由ではなくとも行動自体が何かと制限されることが叔母の事などからもあったのではとも思います。
あくまで自分がそう思うだけのことですけれど。
今はそれらの制限が外れたため、いつでも叔母のところへも行き来し、また行った先の相手には分からずとも何かを話しに行っておるのかなとも
思います。
或いはこっそり夢に忍び込んで一緒にストーリーを展開させているのかもしれません。
いずれにしても自由の身でしばらくは居るのではと感じております。
別れ自体も、殊に家族はあまりに突然でお別れすら言えていないことに悲しみとも辛さとも言えぬ思いがあるでしょうけれど、この時に逝く事は
既に取り決めていたこと、つまりは寿命であったのかも、とも思います。
何にせよしばらくは互いに叔父の思い出を語り合うことが一番なのではと考えます。
機会あれば云々・・・は、どうも自分の書き方が悪く、後で読み返しても判読できませんでした;。
申し訳ありません;、そのうち分かればまた掲載させて頂きます。




                                      
                      



今日の午後からはある方に会いに行っておりました。
そのお話はまた次回とさせて下さいませ。




                                         




家族のことは家族にしか到底分かろうはずもなく、ひと様にお聞かせするものでもないのかもしれません。
けれど自分自身がここへ記させて頂くことにより、少しでも叔父への思いを残せておけたならとも感じております。
独りよがりのセンチメンタル何チャラ;となりそうですけれど、少しばかりお目こぼし頂けましたら嬉しく思います。

それと、人間ってそんな悲しい時でもどこかしら面白い場面を見つけてしまうものですね、不謹慎ですけれど;。(すみませんです;)
その笑い話;の部分もまた取り上げさせて頂ければと思っております。
その折にはどうぞ宜しくお願い致します;。




                                       




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

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