日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

寂しいこと、二つ

2019-01-28 19:31:48 | 家族のこと
こんばんは。
一昨日雪が降ってからはこの辺りもようやっと?冬らしい気候になっておるようです。
それでも気温はそこまで低くはなく、今日も寒いとは言え耳が千切れるほどの冷たさは感じませんでした。





                                 


                                                                    


                                      




昨日、車を返してバスを降り、いつもの道を通って帰るのに何かしら様子が違うと思いました。
道の脇の少し高い位置に鬱蒼と木々が茂っており、バスが通る道よりも一段下がったその道を通るのには先ほどまでの車の喧騒も聞こえなくなり、
歩いて帰る道々どことなくホッと出来る場所でもありました。
確かに木立がある分若干暗くはありますが、そこは日が当たりにくく夕方は西日を遮るには丁度よいところでもありました。
また常緑樹でもあったのか、葉が落ちることもなく、ともすれば小鳥たちのささやかな憩いの場ともなっていたのかもしれません。
そんな木々が昨日の夕方の帰宅時にはバッサリとその殆どが無残と言えるほどに切り倒されておりました。
一昨日、いえもう一日前であったかバス通りに面したある一画がかなり以前から売りに出されておりましたけれど、この変形の土地を買う人が
いるのかねぇ、と一緒によく散歩する方と眺めながら通ったばかりでした。
その際にはこれまで同様全く何事もなかった訳ですが、おそらく昨日とその前の日でその土地の裏側に当たるこのこんもりとした木々を刈り払った
ようでした。
その切り払われた木々に小鳥が巣でも掛けていたのでしょうか、なんとも言えぬ悲壮な声でいつまでもキーキーと鳴いており、突然に失った自分達の
住処をどうすればよいのか、と嘆いているように感じられました。
そんな鳴き声を否が応でも聴きながら、やけに明るくなった、いえなり過ぎたと感じるその道を自分自身もなんともやるせない思いで歩いて帰った
のでした。
変形であっても土地は土地、そこを購入した人が、そちら側からすれば東に当たる場所に茂っている木々を伐採してくれと頼んだのかもしれません。
実際のところはどうであれ、人間の都合だけでこれまで長らくそこへ植わっていた木々もほんの何時間の間にチェーンソーで切り倒され、後は
見えるはずのない場所へ空が見えるようになったということなのでしょう。
話をすればただそれだけの事なのですけれど、何もかもが人間の都合で決められてしまうことに何とも言えぬ思いがした自分なのでした。




                                      




昨日、あまり連絡の来ない兄から電話が掛かってきていました。
色々と事情のある実家;それほど仲が悪いわけではないのですけれど自分がその時走行中で電話に気づいたのは随分と後のこと。
何かあるならまた後で掛け直してくるだろう、と此方側の応対も棚に上げてそのままにしておりました。(なんちゅう奴だ;)
その兄から今朝方また電話があり、さすがに今回は出ました。(当たり前ですよね;)
何かあった?と聞くと叔父が亡くなったと言います。
もしかして昨日の電話はその電話だったのとなお聞けば、そうだと話してくれました。
兄の話では昨日の夕方に、叔父の家族から兄に連絡があり、それを私に伝えようとしてくれていたのでした。
昨日の時点で分かっていれば、と思いながら自分の馬鹿さ加減を思いました。

この叔父、自分が物心つく前から実家では父方の両親(私からは祖父母)、自分達親子、それにこの叔父という家族構成であったようです。
ですので自分が覚えているのは叔父さんというよりも常に一緒にいたおにいちゃんという立場の人であり、要するに家族の一員でした。
そのうち実母が自分が小学3年になる前の春休みに他界し、その後は祖母、父親、それにこの叔父と自分達兄弟3人という家族構成になって
おりました。
祖父は自分2歳位でやはり他界しており、なんとなく記憶にあるだけです。
ともあれ、家族5人で暮らしており、そのうちにこの叔父も結婚することとなり家を離れました。
その後に、私と同い年の兄と共に継母が我が家へやってきたということです。
その後は何やかやとあって、ゴタゴタしておりました。(まぁ、私がゴタゴタを作った原因でもあるのですけどもね;)
おにいちゃん(叔父ですね)は他所で家を構え、というよりもおねえさん(結婚した奥さん、自分にとっては叔母の立場の方)の方へ半分婿に入る
感じでこれまでよりは疎遠となっておりました。
けれど、事あるごとに我が家へ寄ってくれ、時には少し距離のあるおにいちゃんの家に帰るには時間が掛かろうから仕事帰りでもあるし、夕飯を
食べていって、と母が夕食を用意しておりました。
元々我が家の家系は無口であり、それほど家族でワイワイとする方ではありませんでした。
以心伝心というのか、言わずとも伝わっているという家族同士の思いがあったのか、後で入ってきた母にしてみれば相当に気も重くしんどい
生活であったかと今にして思います。
そのような中で叔父が訪ねて来ると、母にしてみても少しばかりホッと出来るところがあったのかもしれません。
家族ではあるけれど、既に他所で暮らしている自分にしてみればおにいちゃん、母にとっては少しばかり息抜きの出来る義弟だったのかもしれ
ませんね。

そんな叔父の奥さん、おねえさん(叔母)とはその母が我が家に来る前からの付き合いでもあり、何かと良くして下さっておりました。
家では注文を受けて洋服を作ることを仕事としておられたおねえさんは自分のウェディングドレスも当然手作りをされ、結婚式当日にそのドレスを
着て披露宴の席で一人ひとりに挨拶をして回っておられました。
自分のような子供にもわざわざ膝を折って目の前に来て下さり「これからよろしくね」と、普段はそれほど化粧をしない人がその日ばかりはアイ
シャドーを入れた美しい姿で挨拶をしてくれたのを何故かしらよく覚えております。
そんなおねえさんは私が結婚した後も、妊娠したといえばマタニティドレスを作ってくれたり、ちょっとした小物を縫っては送って下さっており
ました。
ある時、若い頃の歌の話になり、PPMとか良く聴いてたよといわれ驚いたことがあります。
これ、今の方はご存じないでしょうけれどピーター・ポウル&マリーという60年代のアメリカのフォークグループです。
「パフ」とか「500マイルも離れて」等、もしかすると聞き覚えのある曲もあるのではとも思いますけれど。
ともあれ、その頃そのおねえさんがそんなアメリカの歌に興味があるとは思いもしなかったので余計に驚き、でもなんとなく気が合うのはそういう
こと?などと密かに嬉しくもなっておりました。

時は過ぎ、自分の父も11年前に他界し、継母も3年前に逝きました。
その間、その叔母、おねえさんはあれほど溌剌とされていたのにいつの間にか認知症の症状が出てきておられたようでした。
3年前の母の葬儀の折に久しぶりにおにいちゃんに会い、おねえさんのことを伺うと目が離せんし、今日もすぐ戻ってやらんとデイケアから帰って
くるしね、と葬儀後の駐車場で自分達兄弟と短い会話をし、じゃあねと別れたのでした。
思えばそれがこのおにいちゃんと話した最後の時で、それ以降は互いに連絡することもなく今に至っておりました。

昨日の電話、もしかすると介護がいると言われていたおねえさんが、と一瞬考えましたが実際には介護をしていた側のおにいちゃんが一足先に逝って
しまったようでした。

                           


                                          




今夕、つまり今の時点が通夜の時であり、出られれば出たいものの申すように足がない自分にしてみると、少しばかり距離のある葬儀会場へは
夜のうちに行くことはどうにも叶いません。
昨日も借り出したいつもの車屋さんに電話を入れ、明日の朝早くに貸し出させて頂く旨を伝え、同じ市内に住まう従姉妹のおねえちゃんとご一緒
することに致しました。
従姉妹にしてもやはり叔父に当たり、若い頃から仲の良かった同士ですし通夜は無理でも葬儀は出たいと考えられたのでした。
この従姉妹には他にも姉と弟、自分からすればおねえちゃん、おにいちゃんに当たる人達がおりますが、それぞれに年老いた伯母(今回の叔父の姉)
の介護やら、自分自身の身体の不調等によりこの度は従姉妹が代表して出ることになったということでした。
ウィークデイの朝早い時間、心して参りたいと思います。




                                     





                                     





                                      






夕方、はっきりしない曇り空の辺りにうっすらと肉眼ではかろうじて見えるほどの虹が出ておりました。
何とはなしに叔父、おにいちゃんがこの虹を渡って向こうの世界へ行くのかなぁ、それにしては心許ないようだけれど大丈夫かしら;と感じて
おりました。
無口だけれど、どこか飄々としたところのあったおにいちゃん、これくらいどうってことないよと口笛でも吹くように渡って行ったのかも
しれません。




                                         
                                      



少しばかり寂しい話題となりました。
今日のところはお目こぼし頂ければと存じます。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

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2 コメント

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Unknown (れい)
2019-01-30 08:55:25
遠方でのご葬儀お疲れ様でした。
親しくしていた人がだんだん年を重ね変わっていく姿は時の流れを感じ、仕方ないこともたくさんありますね。
私も昨日、伯母のところに行ったのですが、帰り際、車まで見送りに出てきてくれた97歳の伯母は、少しずつ少しずつ「お別れ」の言葉を残してくれてるのかなと感じるような言葉をもらいました。
なぜか一人運転しながら涙が出そうでした。
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そうですよね (あおぞら)
2019-01-30 21:09:38
後で気づくと、あの時そうだったんだよねと感じたりしますよね。

伯母様、ご高齢でもまだお元気でおられるのですね。

それでも少しずつ、お別れの準備をしながらおられるのかもしれませんね。

いつかは別れる時が来るけれど、それが分かるだけになお悲しい、そうも感じます。

一人の時にしか流せない涙、辛い気持ちが募りますよね。
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