トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

台湾人・・・

2010-02-07 12:02:00 | 旅 (自転車)
 16年ほど前に初めて仕事で台北の街に行った頃は、今と違って、日本との格差を凄く感じた。
記憶にあるのは、その頃はコピー製品を販売する商店があったり、
売春を斡旋する人達が、街角で客引きをしたりしていた。

 取引先といろいろな世間話をしていて、まもなくIT関連産業に積極的な投資をして、それが急成長していることに気が付いた。お隣の韓国が重厚長大産業に力を注いでいたのと対照的な印象を感じ、この国と先行きに希望と興味を感じていた。

 そして、訪問する度に街は様変わりして高層ビルもふえた。台北だけでなく、台中も同様に大きく様変わりし続けている。

 以前は、電車の移動もバスの移動もすごく時間が掛かって、台北から台中までの移動も一日がかりだった。
時間短縮の為にたしかNT$2000くらい払って、小さな飛行機で台北の松山空港から台中で飛行機で移動した記憶もある。
いまは、日本と同じように新幹線はあるし移動時間は雲泥の差だ。

 仕事を通じて僕が、知っている台湾の人達は、以前から全てにとてもポジティブだ。
昭和30~40年代の日本の企業戦士は、きっとこうだったにちがいない。

 そればかりか、彼らの企業努力には目を見張るものがある。現在、安物自転車(いわゆるママチャリ)は中国の上海周辺や天津地区からの輸入が多いが、中~高級品の最終的的な組み立ては台湾だ。一部のフレーム等は一部香港にほどちかいシンセンで生産され台湾に輸入される。注目すべきところは、ラインで働いている人達。タイ・フィリッピン等、東南アジア諸国から出稼ぎに来ている。品質管理をしているのは台湾の人達なのだが、中国本土の安い生産コストに対抗するために賃金を抑えられる外国人を上手く利用しているのだ。

 台湾人の現役企業戦士の親には日本語教育を受けた方が少なからずいる。
以前から親しくさせていただいている友人の父親は、もと特攻隊に志願して生き残った台湾人。そして私の訪問を楽しみにしてくれている。彼は元々英語の先生でもあり、インテリだ。昨年訪問した時に日本語を話せない私の友人は、
「もう、父は歳とって頭が呆けているので気にしないで・・・」
との主旨の話をして、家に招いてくれた。

 日本が大好きな、彼の父親は日本の国旗を部屋に飾り、さらに昭和天皇の写真まで飾ってある。日本でもチョットその手のお宅に訪問しないとお目にかかれない雰囲気だ。
呆けているとの話だったが、以前と同じようにネィティブな日本語で挨拶をされた。世間話もふつうに・・・・どこが呆けているのか?友人の話がイマイチ理解できず、今日は調子がいいのかぐらいに思っていた。

「最近の日本の政府は、酷いと思いませんか?」との友人の父上切り出しに、
一瞬、「えっ?!何がですか??」と私・・・
「私が知っている日本政府は、大晦日に職を失って食事も出来ないような人々を放置して置く様な事をしなかったっ!」
とマジに嘆いていた。
 これで、どこが呆けているのか?訝しさを感じられずにいられなかったのだが、奥様の発言に合点がいった。日本の衛星放送のニュースを見て、ブツブツテレビに向って文句をいう頻度が増えているらしい。ある種の幼児化減少も伴っているようなのだが、日本語を理解しない僕の友人にとっては、呆け症状が進行したと思えて仕方が無いようだ。

 今年の正月の年越村のニュースで、せっかくの年越資金の提供が博打や酒の費用に使われてしまったとの報道があった。政府のみならず人々の気持ちも、昔と違って酷いことになっているのか?友人の父上は今頃なんて嘆いているのだろうか?
 


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