毎年、個人的なお花見をして母の命日を祝っている。本当の命日は違うが、自分で判子を押し、母親が大勢の職員に囲まれて精神病院の扉の向こうに消えて行った日が命日な気がするからだ。
通りの桜が満開で、何も知らない母は無邪気にはしゃいでいた。
その思い出と共に、実家の近所の桜の下で特別なお茶でも一杯飲もうと思いつき、どうせならと凝り始めて中国の神話に出てくる薬学の祖である神農の「茶の発見」の故事に倣って、原始の茶の湯を嗜んでいる。
という理由から、春になると京都の建仁寺や二葉姫の社、近所の公園などから賽銭と引き換えに茶の木の下の方の古そうな葉っぱを1枚もらって、ラップに包んで大事に新幹線で運んで来て家の冷蔵庫に安置し、当日に公園まで厳かに運んで茶わんの湯に浮かべて飲む。
ところが今年は京都に行く機会がなく、入手できなかった。それを隣の婆様に何かのついでに話してみた。昔、父が言っていたが、祖母が戦前に家の近くで茶の木を植えていて、それを摘んでただ乾かして飲んでいたらしい。
最初に聞いた時は「は??」と思った。狭山茶どころで育ったので、あの面倒くさい大型機械で刈って工場でシステマティックに蒸したり揉んだり乾かしたり色々する行程を経て、やっと飲める状態になるものだと思っていたが、そうでもないのか。
アクやサポニンなどの毒素を除去している訳でもないのなら、だったら「神農が木の下で飲んでいたお湯に葉が偶然はらり」というシチュエーションも再現できるのではないかと思った。4千年前の伝説なんて、この上ないロマンだ。
それがどう命日や花見と結びつくのかよくわからないが、婆様は冷静に教えてくれた(婆)「その木ならそこにある」えぇ!?どこに?てっきり開発でもうなくなったかと思ってた。どうやら、いつも花見をしていた公園の生垣の裏側の日陰にあったようだ。
今まで何のためにあんなに苦労して遠くから運搬してきたのだろうか。
それにしても大きな茂みだ。細い幹が何本もあつまって人の身長の高さでキノコのようにこんもりしている。インドのアッサム種のように上に高く伸びる気はないようだ。剪定してないけど、何十年もずっとこのままらしいから、中国種か山茶なのかな。そもそも古代の中国といったって広いのだから、神農は中国のどの辺にいたのだろうか。
まぁいいや。今年はその木からもらうことになった。(婆)「どうせなら新芽を摘んだら?」(きの)「一芯二葉か」うーむ。どちらかというと枯れ葉が落ちてきたと思っていたのだが、せっかくなので古葉を2枚と新芽を1つ。ポキ。(婆)「それだけ!?」(きの)「うん。」それだけ。特別なものは少しでいいんだ。
今年は趣向を変えてみる。いつもポットにお湯を入れて運んでいたが、ぬるくて、はっきり言ってただのお湯と葉っぱで味もしない。こんなのを飲んで神農は「よし、これだ!」と思ったのかという疑問があった。飲んでいた湯飲みではなく、沸かしていた鍋に入ったのだとすれば、もっと温度は高いはずだ。
そう考えて、沸騰した湯を家でマグカップに入れた葉と貴重な新芽にかけてみた。そのまま古葉だけを引き上げて花見で飲む分として持って行っていつものようにポットの湯を注いで、いまいち味のしない白湯と枯れ葉が入ったような微妙なものを飲んだ。
暑い。春だというのに日中の日射しがジリジリ差してきてお花見どころではない。そういえば今年はあまり桜が咲いていない。アイスクリームでも食べようか。そう思っていたら、
(知り合い)「花見に来ないか。手打ちそばをふるまいましょう。ジビエもあるよ」
しょっぱいものにつられて行ってみることにした。なぜ中年というものは一定の年齢を過ぎると作務衣を着てソバを打ち始めるのか。彼の場合、土地を買いソバの種から植える気合いの入りようだ。まさかジビエも狩ってきたのか。
共通の知り合いと、その最近買った古民家の別荘とやらに行ってみると、ずいぶん山奥の中古の一軒家だった。しかも家具付きというか、これは前に住んでいた人の残していった家財道具ではないのか。食器棚にぎゅうぎゅうに詰まったバブル時代の応接食器セットや、納屋の軒下に吊るした意味不明の伸びた錆ハンガー、古い時刻表など、ノスタルジー通り越してホラーの舞台ではなかと思ってゾワゾワしてしまう。
音楽家の仲間も招待したとかで、これからまだ何人か来るらしい。玄関の方で音がした。誰か来たのかな。行ってみると慌てた様子の(知らない人)「ねぇこれソバ屋ですよね。どう見ても!開店したんですかっっ」誰なのかな。(きの)「あ、あの、当人は奥でソバを茹でています。」(人)「町役場から来ましたー!どうか一杯でいいから。ソバをくだされー」頼もーぅとばかりに声を張り上げる。どうしたことか、すごい意気込み。(きの)「いいえ、あの、これはまったくの私的な行いでしてゴニョゴニョ」ふざけてやってるだけなんて言い出しにくい。なんであんな旗を出したんだ。
そうこうしている内に、役場からというので警戒したのか出てきて(知人)「営業許可は取ってないので、友人に無料でふるまっているだけです」きっぱりと言い切った。(役)「そんな!桜の名所だというのに見に来た人が昼に食べるところがどこにもないっ」それはこちらのせいではない。(役)「ここには絶対に食べるところが必要なんです!頼むから」今日会ったが百年目とばかりにつかんだ袖を放さない。双方熱意はあるのだが、(知)「届け出がないんです」いかんせん法律が邪魔をする。
折衷案として(知)「では今日だけあなたにご馳走してあげましょう。もしも友人であるならばタダで。ね?友人ですよね・・・・????(笑)」だから言え!じゃあ今知り合ったお友達ということで、えへへっ♥とかなんとか言って、味見だけして満足して帰ってくれ。(役人)「いいえ、そんなわけにはまいりません」なんなんだこの見苦しい三つ巴は。
まだまだ引き下がらない(役人)「じゃあ、あの看板なんですか!」(知)「あぁあれは遠縁の木彫りに作ってもらっただけ。『我隋友』・・・ォウィズ・ユーなんちゃって!ワハハ」もう帰ってもらえ。
いいかげんソバも伸びるし埒が明かないので(きの)「では、ここで連絡先を交換したらどうでしょう。そうしたら後日メールでゆっくりつながることができますね」(知)「おう、そうだ。そうだ。」(役)「名刺が名刺ドドドド・・・」走り去って行った。
そしてまた戻ってきて今度はやぁやぁ我こそはの名乗り合いがしばらく続く。もう知らん。ネットで好きなだけその旧ソ連から来たお役人と友達問答をやってくれ。置いて行く。
あの後、どうやら諦めて帰って行ったらしいが、後から来て(役)「これ、名産(ボソッ)。お近づきのしるし。」しおらしくイチゴなど渡してきたので(きの)「さぁ、これを持って行くといい。」北海道土産のチョコレートを両手にいっぱい持たせて帰す。(ソプラノ)「あれロイズでしょう(怒)!」だってあの奮闘ぶりを見たらもう。
地元の酔っ払いが来て(地主)「あんたあの人の家族か?」などと愉快な質問を連発。この場にいる全員を誰かとペアにしなければならないのなら、不特定多数の知人の集まりなどもはやトランプの神経衰弱に近い。あまりに無粋なので(知)「お酒呑まないの?」(きの)「飲みません。お酒嫌いなんで。(大声)コーラが飲みたい~~!!」雰囲気が悪くなろうが知ったことではない。こういう悪意を持って空気が読めない発言をわざわざする輩を何と呼ぶのだろう。あとで人形遣いだとかいう婆様がQooをくれた。子供だと思われている。
家主御自ら作成したというピザ窯の披露があった。もったいぶった説明(知)「レンガを一から積んで下の段で火を起こしこのように熱が循環・・・」(全員)「・・・。」
焼却炉??
なんかブロックが地味でセメントがグズグズ。品がない。理論上焼けるかも知れないが、あんた建築士だよな。そして、今薪をくべて、今焼こうとしているが、こういう寒冷地の暖房めいたものは全体に火が行き渡ってしばらくしてからでないと機能しない。川原の焚火でバーベキューとは違うのだよ。魔女の宅急便を見てよく勉強しておくといい。キキは手際よくおき炭を奥に寄せていた。
案の定、上の焦げた生焼けのものを食わされる。火の扱いの手ごろな練習として薪ストーブを紹介しておいた。友人の家にあったが、なんとなく外観が鄙びたSLのようで、今にも走って行きそうで見ていて面白かったぞ。
(知)「次は演奏をお聞かせしましょう」どこから出してきたのか楽譜立てをテキパキ準備しだした。さっきか細いソプラノが酔っ払いに絡まれていたのでよけて(きの)「奥に行きましょうか。」やんわり目立たない暗がりに進んだつもりが、始まってみれば何とそこがステージの真ん前であった。(知)「お?かぶりつきですな」いやな表現をするんじゃない。
数人でアンサンブルを演奏し始めた。(音)「17世紀の宮廷音楽です。」はぁ。膝を正して静聴する。中に変わった楽器を持った人がいた。(音)「これはリュート。日本に伝わってきたのは信長の時代ですね。」(酔)「ワシの生まれた頃じゃー。」そうですか。
そしてスコットランドの民謡。ん?これは?すごく聞き覚えがある。隣のDJによるGoogle曲名検索では(画面)「ロッホ・ローモンド」(きの)「ちがう。もっとこう・・・日本語の歌詞で・・・う~~ん」なんだっけ(酔)「こりゃー5番街のマリーじゃ!」(きの)「そうそれ!」たまにはいいこと言うじゃないか。五輪真弓か。パクリ?引用?蛍の光みたいなものか。あーすっきりした。
次の演目は、満を持しての家主による薄茶のお点前。なぜか茶道の心得があるとかで、奥から厳かに100万円の萩焼の器とやらを出してきて早速むつかしい顔つきで(知)「シャカシャカシャカ」始める。今日は出し物がいっぱいですな。
物珍しげに見ているとキッチンペーパーのようなものを出してきて(知)「これでゆすいでこれで拭く。」(きの)「・・・。」まさか(きの)「拭くだけ?」(知)「そう、回し飲み(ニッコリ)」うそ!
不潔!!(きの)「あああ洗ったらどうです!そこの台所にあったファミリーフレッシュって書いたやつでっ」(知)「けけけ。じゃあ順番を1番目にしてあげるよ」そういう問題じゃない!
京都の堀川で見たあの上品なご婦人も威厳のある渋い着物の亭主も、みんな涼しい顔して回し飲みをしていたのか。コロナ下では全く推奨できない行いだ。いや、普段から嫌だ。人数分用意したらどうか。(きの)「ずずっ」見るからに引きつった顔で飲む。(きの)「苦い」(知)「苦いか。うはははは」大喜び。
そうこうしているうちにイノシシ肉が揚がったらしい。結局これがジビエと謳っていたやつの正体だな。なぜこんなに大きく切るのかわからないが、手近なかたまりに(きの)「うぅ、ばくっ」思いきってかみついてみる。そんなに変でもない。ポークチョップのようなものか。ソースよりも塩コショウがいける。茶道の衝撃で感覚がマヒしたのか。こうやって人は何でも食べれるワイルドな子さんになっていく。
そうだ、電話をかける用事があったのだ。ちょっと失礼して玄関の方で植木屋にかける。戻ってくると(音)「ちょっと今なにしてたの?」(きの)「ん?電話してた」(酔)「ここ電波通じてないよ」ええ?じゃあ今の通話はどこにかけていたというのか。ミステリー感が急激に高まった所で(誰か)「もしかしてソフトバンク?」(きの)「はぁ。」(全員)「あぁー!!」みんなauだったらしく、妙に納得してそれぞれ散って行った。ありがとう。某社長。髪の毛より速く走ってるとか言ってすまなかった。
だからあの「そばの旗」だったのか。友人を招待したはいいが近くまで来て迷った場合、もう携帯で連絡はつかない。やみくもに山道を駆け上がり目についた手近な民家にごめん下さいと訪ねていっても、そこの家の親切な自家製ご飯をご馳走になるだけだ。今どき、圏外の地域があるとは思わなかった。
秘境。
そんな言葉が頭に浮かんで、なぜ知人がここの土地をわざわざ買おうと思ったのか、なんとなくわかった気がした。きっとここは秋になったら紅葉も綺麗だろうな。
畑に落ちていたというシカの角をありがたくおしいただいて、夕暮れになり少し涼しくなりかけの敷地内を散策。池にマスが泳いでいた。意外にも山肌に茶の木が自生していて、あ!ここにもあると感慨深く眺める。昔は何でも自給自足だったんだなぁ。
帰り際、とどめとばかりに(知)「たくさんあるから持って帰りなよ」イノシシを3パックももらって、日もとっぷり暮れた頃家にたどり着いてあの大自然の余韻もそのままにトースターで炙ってレモンをかけて、冷やしたQooでいただく。なぜあの家の冷凍庫にはイノシシの肉が ”たくさん” あるのだろう。狩猟の免許でも持っているのだろうか。
文明の条件って何だっけなどと考えながら手づかみでイノシシにかぶりついていたら、テーブルの上に冷えたマグカップがあった。すっかり忘れていて何だろうと中をのぞき込んだら、新芽から浸みだした黄色い液体が底の方に葉っぱの形に沈殿している。ずいぶん黄色い。食堂の薄黄色のお茶と違って、どちらかといえばバスクリンのような不気味な蛍光色だ。
かきまぜて飲んでみた(飲んだのか)。
(きの)「これは!」
うん、断然これだという感じがした。甘いし、ほんのり凍頂烏龍のような桜餅の匂いがする。原始的な白茶に近い。カテキンとタンニンは新芽に多いというから、これはそれらの色なのかな。タンニンで抗酸化し、カテキンで殺菌したのか。
それならば、推測するに神農は「新芽の出るころ毒で疲れて木陰で湯を沸かしていたところ寝てしまった(意識を失った?)。その鍋に葉っぱが落ちて数時間経つ。水出しのような状態になり、ふと起きて飲んだらうまーっ。病気も治ったし!」寝てたからではないのか?
木陰ということは、やはりインドの方でアッサム種か。
それを現代でできるだけ忠実に再現するとしたら、まず春に公園の木の下でたき火をし、その前で数時間眠り、起きてやおら目の前の冷めた水を飲んで大さわぎという、なぜだか多方面から心配されそうな行いではあるが。一風変わったキャンパーとして認識してもらえるだろうか。
まぁとにかく4千年前、神農はきっとこんな涼やかな液体を飲んだにちがいない。
これが茶の始まりである。
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