木原慶吾&スピリッツの新アルバムHISTORY2が発表された。
そしてこのアルバムには僕もキーボードとしてレコーディングに参加している。
話をいただいたのは8月の初め、忙しい時期で納期も限られていたので
「無理かな?」・・・とも思ったが引き受けた。
スピリッツには忘れられない思い出がある。
80年代の半ば、僕が24歳のころだと思う、木原さんから誘われバンドに参加した。
学生時代バンドに明け暮れ、これから・・・という時期、思わぬ誘いに喜んだが、
その思いは見事に打ち砕かれた。
アマチュアで楽しく演奏することとプロのバンドで食べていくということはまるで違うことだった。
すべての職業でいえることだが、明るい光が当たるところには必ず影がある。
なぜ? どうして? の毎日。
当時スピリッツはムッシュかまやつさんをはじめ、GSのOBの方々など様々なメジャーアーチストの
サポートバンドをやっていたが、そのレベルに僕のプレィなど通用するまでもない。
「もうだめだ! 音楽はやめよう。」スピリッツは一年半くらいで辞めることになった。
「もう会うことはない。」とも思ったけれど、今も木原さんとの交流が続いている。
あの頃の辛さは僕の人生にとって何よりも大きな財産だったと思っている。
そして今回のお誘い、先輩に僅かながらでも恩返しが出来るとすれば今なのかなと思った。
僕が弾いているのは5曲、すべて未発表だった昔の曲だ。 30年も昔を懐かしみながら弾いた。
音楽は やっぱりいい。
そしてこのアルバムには僕もキーボードとしてレコーディングに参加している。
話をいただいたのは8月の初め、忙しい時期で納期も限られていたので
「無理かな?」・・・とも思ったが引き受けた。
スピリッツには忘れられない思い出がある。
80年代の半ば、僕が24歳のころだと思う、木原さんから誘われバンドに参加した。
学生時代バンドに明け暮れ、これから・・・という時期、思わぬ誘いに喜んだが、
その思いは見事に打ち砕かれた。
アマチュアで楽しく演奏することとプロのバンドで食べていくということはまるで違うことだった。
すべての職業でいえることだが、明るい光が当たるところには必ず影がある。
なぜ? どうして? の毎日。
当時スピリッツはムッシュかまやつさんをはじめ、GSのOBの方々など様々なメジャーアーチストの
サポートバンドをやっていたが、そのレベルに僕のプレィなど通用するまでもない。
「もうだめだ! 音楽はやめよう。」スピリッツは一年半くらいで辞めることになった。
「もう会うことはない。」とも思ったけれど、今も木原さんとの交流が続いている。
あの頃の辛さは僕の人生にとって何よりも大きな財産だったと思っている。
そして今回のお誘い、先輩に僅かながらでも恩返しが出来るとすれば今なのかなと思った。
僕が弾いているのは5曲、すべて未発表だった昔の曲だ。 30年も昔を懐かしみながら弾いた。
音楽は やっぱりいい。
北村さんの益々のご活躍を楽しみにしています‼ 頑張ってください。
若いころの苦い思い出はみんないい思い出に変わりつつあります。