TASS通信
「社会と文化」の項目から
新年とクリスマス 2024年12月31日
『ファクトボックス:ロシアの新年の祝い方:すべては木のために』
この記事にロシアの新年の祝い方とかクリスマスの話が書いてあります。
モスクワのクレムリン大聖堂の広場に新年を祝うメイン・ツリーが到着し飾り付けが行われました。記事の先頭に写真があります。飾りつけは、欧米とほぼ同じです。
「新年のお祝い」用の「ツリー」です。
クリスマス・ツリーは、ないのか❓(後に推測を書きました)
ユリウス暦の関係で1月7日が、ロシアでは12月25日に該当します。キリスト教正教の国では、大体1月7日がクリスマスだと思います。新年は❓旧正月の1月14日です。
どうして、1月1日が新年なのか❓
⇒これは理由が見当たりませんから、周辺(西欧)の国に合わせたのだろうと思います。そのため新年のお祝いのツリーとクリスマスツリーが兼用になったのだろうと思います。ツリー-には、両方の意味があると言うことでしょうね❓日本ならクリスマスツリー+門松です。両方、兼用なら確かに便利ではあります。この部分は私の推測です。
ここから旧ロシア帝国の歴史に戻ります。
ロシアで最初にクリスマス・ツリーが登場したのは、ロシアでは「動乱の時代(1598-1613)」のポーランド侵攻後の時代だそうです。これは、すぐには定着しませんでした。全然、習慣がなかったからです。
ピョートル大帝(1672-1725)の時代に暦に関する2つの勅令が出され、大みそかにモスクワの大聖堂広場や今日のショッピングモールに当たる地域で針葉樹のツリーが飾られるようになりました。この習慣は、モスクワのドイツ人街に住んでいた外国人から借用したものである。だから大体、欧米のクリスマス・ツリーの形式を踏襲しているわけです。
ロシアのツリーは、ピョートル大帝の皇帝命令により導入されました。その後は、新年の祝賀行事は1日から7日まで続いたようです。要は、羽目を外してどんちゃん騒ぎが出来るから(こりゃ、いいや!)と言うことで貴族階級を中心にロシアの行事になって行ったようです。(政府公認のドンちゃん騒ぎは、どこの国でも好まれます)それが一般にも普及していったのでしょうね。
以下、クリスマスの歴史が記述されていますが、省略。
ロシア革命後の1920年代・・・・・
『1929年:クリスマスのお祝いは、「異質なブルジュワ的かつ宗教的遺産」として禁止』されてしまいました。
しかしロシア国民のクリスマスへの思いは、共産主義と言えども消し去ることは出来ませんでした。
1935年12月28日
ソ連の老政治家パペル・ポステイシェフがソ連の有力紙プラウダに「大晦日に子供たちのために大きなクリスマスツリーを飾ろう!」と題する記事が掲載されました。これを口火に全国で「クリスマスの祝日を開催する」決議が可決されました。
多分、クリスマスと言うニュアンスは消して「新年のお祝い」と言う名目にしたのでしょうね。
こうして新年のお祝い(実はクリスマスのお祝い)と(クリスマス)新年のツリーが復活しました。
☆ここは凄く面白いところです。共産党政府はクリスマスを、ブルジュア的で宗教だからダメ!と禁止しました。しかしロシア人は巧妙に逆らってクリスマスを復活させました。(ロシア人民、万歳❓)
以下、省略
クレムリンの大聖堂広場のクリスマス・ツリーが復活したのは、1996年12月からだそうです。
ツリーの木の選定は、大統領府から調査団が派遣され厳密に選ばれるのだそうです。
読めばすぐ読めますが、書くのは大変なのでごく一部だけ抜粋引用。
共産主義時代のソ連にも、こんな事があったのか・と思うと興味深いものがあります。
まだまだロシアは、近くて遠い国で日本人が知らないことばかりです。
お互いに相手のことを知り合う・と言うのは大切なことだと思います。
「鬼畜米英」は、全然ダメでしたね❓
それはロシアであろうと中国であろうと北朝鮮であろうと同じです。
ろくに相手のことも知らずに一方的に批判するのも、おかしなことだと思います。
ロシアに関していえば、ウクライナと戦争をしているだけで特に日本に害を与えた訳ではないですよ。
それを「極悪非道」のように罵倒するのは、考えなくてもおかしいでしょう❓
※私が時事日記を書いているうちに思うようになったこと。【⇒2024年の総括】
相手のことや事情も知らずに、一方的に誹謗中傷・否定するのは、よろしくない!
そうする前に相手を知り理解する努力をしなさい!
知りもしない相手を、勝手に誹謗中傷・否定することに何の意味があるんだ❓
判断は、相手をよく知った上でするべき事です。
「鬼畜米英は」は、ダメです!