これまで書かなかったのは、何しろ情報が少ないからです。内容が、よく分かりません。
シリア内戦との違いは、シリア内戦は国内の内戦と言えます。
フランス統治時代の地図を見ると、大雑把に4つの地域に分けることが出来ます。これは、オスマン・トルコ時代からの行政区分を、そのまま引き継いでいると思われます。
ウイキペデイア【シリア】
この記述に「フランス委任統治領シリア」の目次があります。
その右横に当時の地図があります。
アレッポ州、ダマスカス州、アラウイー州、レバノン国
大体、こんな具合に分かれています。レバノンは、現在独立国です。
だからアレッポとダマスカス地域が妥協すれば、一応の統一国家が可能です。
現在は、ここにクルド人エリアがあって、クルド人エリアが統一政権に参加するかどうかでやや揉めています。
しかし、折り合いの付けようはあると思います。
これと比較するとスーダンは、植民地主義の時代が残した悲劇と言えます。元はイギリスの植民地で、イギリスの植民地の範囲が、大雑把にスーダンと言えます。イギリスの植民地の範囲であって、これが現地の実情を反映しているわけではありません。多くの民族や宗教、部族などを、単に地図上で強引に区切っただけです。だから、実際にどのような民族がいてどのような地理上の区分が昔あったのかが分かりません。
大抵なんでも記述のある、ウイキペデイアにすら項目がありません。大雑把にでも正確に書こうとすると、まだ現状不明で書きようがない・と言うことであろうと思います。
現在は、地図上では北のスーダン共和国と南スーダンに分かれています。
南スーダンは記述があります。
ウイキペデイア【南スーダン】
「2011年7月9日、スーダン共和国(北)の南部10州がアフリカ大陸54番目の州として分離独立した」
ウイキペデイア【第二次スーダン内戦】1983年から2005年
第2次があれば、第1次もあります。
この内戦の果てに出来たのが、現在の南スーダンです。
ウイキペデイア【第一次スーダン内戦】1955年から1972年
つまりスーダンと呼ばれる地域は、独立後内戦が続いていて時々、停戦が成立しますが、また内戦が起きてしまいます。ほぼ政府がないと言えるでしょう。
第一次スーダン内戦の記述を見るとイギリスと周辺国が関与しています。こうしてスーダン内戦は激化して長期化します。
第二次スーダン内戦では、あまり外国の関与はありませんでした。しかし、内戦期間は長いです。南部の非ムスリム勢力が北部のムスリム勢力に対して武装ほう起した結果です。ここでは、宗教の対立が大きな原因になっています。非ムスリム系の南部が事実上独立を勝ち取りました。
※現在のスーダン内戦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、北部のスーダンで行われています。
この流れを簡単に書いているのは、このサイトが分かりやすいと思います。
プラン・インターナショナル(2023年6月16日)
『スーダン・南スーダンで内戦が続く経緯|独立後の現状や必要な支援』
笹川平和財団 (かなり詳しく記述しています)
『過去40年で最も深刻な人道危機に直面するスーダンー停戦と支援再開への道はあるのか?』
ここに今回は周辺諸国が、かなり関与しています。両方に応援団がいますので内戦が終わる気配は、ありません。武器や資金の支援があるからです。特に困るのが、記述にはありませんが湾岸の覇権争いが持ち込まれています。一方をサウジが支援し、もう一方をカタールが支援しています。その他数か国が、双方を支援しています。
まあ、滅茶苦茶で国連や西側もどうにも関与のしようがありません。停戦の働き掛けも今は無理でしょうね。
互いに殺し合い、国連の支援部隊すら入れません。
今、地球上で行われている最悪の内戦です。
とても簡単には書けませんから、詳しく知りたい人は各資料を読んでください。
笹川平和財団の記述が比較的詳しく書いていると思います。
植民地帝国主義時代の悪の産物です。
ロイター 2024年12月29日
『アングル:国連IPIがスーダン飢餓拡大に警告、2640万人に緊急支援が必要』
スーダン内戦と周辺国について書いた記述
現代アフリカ地域研究センター 2023・04・29
『スーダン内戦と周辺国』
◎政府軍(ブルハーン)
サウジ、UAE、エジプト、チャド
◎PSF(ヘメテイ)
カタール、トルコ、東部リビア
というように周辺各国の利害と打算が入り乱れて、政権を握るのが都合の良い方に肩入れしています。多国籍紛争のようになっている現状があります。